日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

『拡張少女系トライナリー』を取り巻く虚構と、そして祈り

(8月までのあらすじ)2ヶ月弱によるインスタントなココロトリップをキメたぼくは、コンテンツが1年半積み上げた情報の多量摂取により自己世界を急拡張するものの、しかし突如かつ予定通りの自己拡張世界の断絶によって完全に中毒に陥ってしまった!

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さて、拡張少女系トライナリーというアプリゲームが8月31日の15時、惜しまれつつサービス終了した。このヤバいアプリケーションの紹介のようなものをこの前したのだが、今回はサービス終了にあたってというわけでもないが、もう少しあれこれと終了しての感想を記していきたい。
今度はネタバレもあるけど一応終了しちゃったゲームだし、まっさらでもわかりやすいように意識して書いていくからトライナリーという存在の話をしようぜ、なあ……。
必死で説明していくのだけれど如何せんシナリオが難解なのでミスがあったら本当にすみません(あまり自信がない)
 

〜嘘で固めたミルフィーユ〜どこまでも虚構に満ちていたトライナリーの世界

 

「嘘で固めたミルフィーユ」とはこの作品の主題歌である『テクトラ! - Yumemille feuille guruRemiX. -』の一節なのだが、これがトライナリーの作品スタイルそのものに深く関わってきている言葉だと思う。
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これはサービス終了後に買いに行った嘘ではないミルフィーユ。辛いことがちょっと軽くなるぐらい甘い。

さて、まず一つこれが表しているのは人々が現実世界に作り出すもう一つの世界フェノメノン』のこと。これを収束させるためにヒロインたちの所属する組織『トライナリー』は2016年の日本で日夜活動している。人々がフェノメノンを発症すると現実世界に繭を作り出し、その内部では発症者の潜在意識の一部の具現化である『クラン』の支配する世界が構築されている。
人間の心象風景じみた空間たるフェノメノンの内部は、チャットメッセージが空中を飛び交ったり、ゲームのようにコマを一つずつ進んで行かなくてはならなかったり、と現実世界とは似ても似つかぬ異空間。しかし物語中盤、これまで現実世界だと思っていた日本そのものがヒロインの一人『逢瀬つばめ』の作り出したフェノメノンの内部であり、登場人物皆が洗脳されていたことが判明する。実は本来のあちらの世界は2031年であり、大戦によって日本全土が荒廃しきった危機的状況。「嘘で固めたミルフィーユの中」とは他でもない、外側パリパリで中身はふわふわなTOKYOを含む日本のことであり、慣れ親しんできた風景も、そこに居たトライナリーを含む人々も全て偽りの姿だったのだ。

では「嘘」とはこのフェノメノンの事だけなのか、というとそうでもない。日本を覆うフェノメノンの外部の"本来の世界"において、この"つばめノン"収束のための使命を帯びていたトライナリーの面々。しかしその収束とは彼女たちがフェノメノンを発症し、世界との同化により新たに"彼ら"の望む再生された形で日本を上書きすることで完遂されるという計画だったことが終盤に判明する。
これは我々の感覚から言うと当然死に近く、言ってみれば彼女たちの犠牲によって成り立つということだ。"彼ら"と呼ばれる外の世界の事実上の支配者グループに彼女たちが洗脳("彼ら"側曰く教育)されている事も仄めかされ、見方によってはこれもまた本来の彼女たちではない、「嘘」の姿ともとれる。

また嘘とも言い切れないが、このゲームのスタイルそもそもがプレイヤーに与える情報を制限し、ステレオタイプなギャルゲーと誘導している節がある。ラブラブトレーナーことナビゲーター的役割を務める千羽鶴は冒頭でトライナリーのヒロインたちとの結婚をプレイヤーに迫り、フェノメノンの収束といった要素こそ最初からあったものの、あくまで恋愛ゲームとして楽しんで貰えたらいいですよ、というような顔をしている。このゲームにはちゃんとそうした交流養素もあるのでそこに偽りこそないものの、この時の千羽鶴は「トライナリーの面々のフェノメノンを発症させる」という"彼ら"同様の手段で、しかしそこで別のフェノメノンの形で世界を覆うことで"彼ら"の支配から脱却するという計画を推進していた。その通りに突き進めていくと彼女たちを死なせてしまうことに近いことになるというのは、プレイヤーからすると、そんなことは聞かされていない、騙された! という感じである。(ちなみに中盤にて千羽鶴の思惑が判明した後、最初から教えてほしいというプレイヤーに「正確な内容を全部伝えたらカオスな電波ゲーだと思われてしまうではないか」的に返すようなやりとりが存在した。たしかに嘘も方便というやつ)

騙す方向で言うと、異なる時間に干渉することで記録された事象を欺くようなシナリオもある。最初に開放された4人のヒロインのチャンネルをどれかクリアすることでゲーム内通貨で開放することができるようになる5番目の神楽ch。そこまでのシナリオで紆余曲折の果てになんとか現状の日本の維持には漕ぎ着けたものの、"彼ら"の存在は引き続き脅威であった。そこで確定された事象外(ここでは神楽周辺)からバタフライ・エフェクトを発生させ、よりよい結果を導こうとする『リプレイス作戦』を実施することとなる。ここでは記録映像として見せられてきたアニメ映像は覆せないものとして存在しており、時には辻褄をあわせるために敢えて映像に沿った行動をとることもある。ある意味では記録映像を騙しているかのような状態だ。

終盤に至るとシステム面における嘘まで登場する。最初のつばめたち4人のチャンネルでは、千羽鶴の策略によりプレイヤーの選択が意図的に捻じ曲げられ、トライナリーたちを千羽鶴の都合のいいように誘導させられてしまうという局面があった。
また神楽chではプレイヤーの世界以外から同時に同じくプレイヤーの名を語り接続する輩が現れて、キャラクターとのコミュニケーション状況を大いにかき乱したりもする。またプレイヤーの多数決によって行く先を決める「総意」*1の集計にも干渉し、本来最有力であったであろう、リプレイス計画成功のための一手たる選択を妨害してきたりもする。ゲームのシステムすら我々にとっては一切合切を信用できるものではなくなったりもする、そんなゲームなのだ。

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チュートリアルで撃破したクランが実は神楽の母親のもので、千羽鶴の計画にとって大きな手助けとなったことが明かされたりもする。全てにおいて油断がならないゲームである。

神楽chのクライマックスは選択によって結末が異なり、日本が荒廃したままのものもあれば、"彼ら"をフェノメノンで覆ってしまい「洗脳成功原初つばめ*2大勝利!希望の未来へレディー・ゴー!」というようなものまである。
ちなみにこの分岐も結構曲者で、原初つばめが洗脳成功する場合はフランスにフェノメノンを展開・蒸着*3しているそうなので実は日本は荒廃状態で一からの復興をしているらしく、日本につばメノンを展開できない関係で可愛いつばめも千羽鶴も見当たらないエンドとなる。一方で日本に原初つばめが展開するエンドはキャラクターが勢揃いなのだが、"彼ら"は依然として健在……といずれも"選択"の結果として何かを失ったり得たりしており、ベストなエンドは存在していない。運営側によると「どれもがトゥルーエンド」とのことらしく、すなわち絶対的な正しさはどこにもないものの、しかしどれも未来の形の一つである。何が正しいかということは、観測者によっても異なるということでもあるだろうか。
トライナリーの少女たちの状態おいて、つばメノンの強制洗脳状態と"彼ら"の教育による洗脳状態、どちらを「本来の彼女」と判断するかは困難を極める。私は"彼ら"からの刺客たる状態の彼女らに対して「貴方は私の知る○○ではない」という答えを返したが、結局の所はその程度の事を言うのが関の山だったということだ。ともあれ、何を信じるかということは、常にプレイヤーの選択に委ねられていた。

~貴方には世界がどう見えているのか~世界を覆うフェノメノンという幻想

『トライナリー』という作品は、万物に対して常に懐疑的な視線を向け続けており、そうしてあらゆるもののあり方はけして一面的でないということを示し続けてきたように思う。

象徴的なところで言うとヒロインたちのココロの司書の存在だろうか。人間の人格の一側面を切り取った彼女たちは皆、ヒロイン自体の性格からは微妙な差異が見受けられた。素直な性格のマルザンナちゃんが好きです私はマルザンナなので(支離滅裂な以下略)更に当初一人だったココロの司書もストーリーが進むにつれ、二人目のこれまた別側面を切り取った人格が登場しており、たとえ一人の人間であろうと様々な姿を見せるのだ、ということを鮮明に表している。「同じ人間のさも別人に見えるかのような複数の側面」というと、人の認識が狂ってしまうフェノメノン関連に関しても同じことが言えるように思う。世界が変わると、人の有り様も変化してしまったりするのだ。もう少し大人しいものだと、ココロの葛藤の解消*4でスパッと意見が変わってしまうのもそうかもしれない。
こうした表現はフィクション設定前提のものだが、示しているテーマそのものは非常に普遍的なものだ。「この人間は果たして同一人物と言えるのだろうか?」 という疑問は、急激な洗脳の前後では当然発生しうるし、ココロの解消でも内面を弄ったようなもので気になるといえばそうだろう。しかし、例えばbotが実は人間だと知って「人が変わったように」態度が豹変するガブリエラちゃんを、けれども不自然だと捉えられることはないように思う。つばめに対して「愛しさ」「憎しみ」両方を抱えた相反する神楽の感情なども、非常に自然な人間らしいと私は感じる。どこまでをその人間のアイデンティティと捉えるのかは非常に曖昧であり、「その人らしさ」の連続性もまた外的要因・内的要因の両方によって見方によっては失われ続けていってしまうのではないだろうか。

もう少しスケールを広げても、宗教・文化・道徳・倫理など我々が当然のように受け入れているものは、大抵は周辺に生きている・いた人間が作り上げた幻想に過ぎず、少しコミュニティや時代を違えてみれば即座に瓦解してしまう脆いものであろう。私はポーランド文化について全くの無知であったので、ガブリエラちゃんのらぶとーくで「当然脂の木曜日はポーチキを食べる日でしょう?なんで知らないの?」とったような常識のお話をされてハテナを浮かべるしかなかった。常識というのは普遍的なものではないのだ。

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姉妹だろうとその常識は噛み合わなかったりもするワケ。


科学技術にしてもそうだ。今では当然のように世界中を覆っているインターネット網は我々の生活に完全に寄り添ったものとして存在するが、それがなかった時代は世界中がリアルタイムで繋がり、仮想空間を作るなど夢物語でしかなかったはずだ。インターネットは現状でも実体がないにもかかわらず、まるで我々は集団幻想を見ているかのように、当然のようにネットワークをの存在を実感している。

ところで、土屋Pの公開した当作品のOPテーマ『テクトラ! - Yumemille feuille guruRemiX. -』の歌詞解釈には、大いに情報をコントロールする社会の支配層に関する指摘と非難が盛り込まれていた。集団幻覚というのは時に恐ろしいものとしても存在する。

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拡張少女系トライナリー(画像はデイトラ、8/30更新分より。)
『テクトラ! - Yumemille feuille guruRemiX. -』の非常にポップな曲調・軽いラブソングを思わせる歌詞の中にこうしたメッセージが込められているのは恐れ入る。お気楽エレクトリックでダンサブルな雰囲気のこの曲は、社会不安を煽る説明も相まって閉塞感の中誕生した80年台後半のダンスミュージックの流行に関連付けてみたくもなったりするが、しかし「踊らされること」を非難するこの説明からは、そうした享楽的ムーブメントとは逆の思考・選択を促す姿勢が見えるようでもある。

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ソイルトンの語るフェノメノンの発生メカニズム。我々の世界で発生する集団幻覚にも通じる所があるのではないだろうか。

個人的なこのゲームのプレイの感想にしても、混沌とした感情をずっと抱かされた体験だったように思う。やはり前提として正直なことを申し上げると当然彼女たちはキャラクターであるという意識が存在した。一方で架空存在であるから入れ込まないというわけでもないし、またゲーム内では本当に実在する世界なのだと言われ続け、更にファンの方々の集団幻覚の如しその異世界への信奉(念の為断っておくと、決して貶す意図はありません)にも当てられて実際自分の中にもひょっとしてそこは存在するのではないか……と信じる気持ち、正確に言うと信じたくなる気持ちが生み出されてきた。自己矛盾を抱えながらのプレイだったが、しかしアプリの強固な異世界を演出してくれる仕様によって、どんどん自分自身ものめり込んでいったように思う。

らぶとーく関連でも、美少女に好かれたいという願望と、彼女たちを好き勝手に都合の良い存在にしてよいのか?という想い(既にすっかり沼に浸かっている状態なのは自明である)だったり、いや冷静に考えて自分は好かれる存在でないのでは……?という自己評価の低さからくる劣等感だったりと様々な感情に苦しんだ。結果としては、ファッキンスペシャルなガブリエラちゃんに華麗に籠絡され、アプリケーション様の力によって無事に精神的婚約を遂げた。カ俺は弱いオタク。
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14歳やぞ……いや14歳はマズイというのが現代的価値観に染まりきった認識といえばそうかもだけど……

~想いの力~強固に構築された夢を見るための舞台と理想への祈り

この作品、システム面では驚くほどに"割り切り"がなかったなという印象がある。もちろん全部が全部とは言わないが、衣装を着替える時はキャラクターに要請という形をとっているし、ストーリーを自由に見られるのは本来アプリが違う時間に干渉しているからである、といった解説があったりもした。(理由なきシステムの批判のようになるが、本来ゲームとして割り切るのは全く悪いことでもないと思う)

そうして「あちらの世界」というものが強固に演出されていたが故にトライナリーというのは恐ろしさを感じるアプリだった。彼女たちと異世界コミュニケーションをしても良いし、一方的に覗き込んでも良い。そもそもこちら側からのアプローチが文字だけで許されているのに、あちら側は表情を見られるわ、時には声も聞かれるわ、思考を読まれたりするのは大変不公平で理不尽であると思う。
神楽chの終盤ではまさかの『フェノメノンを発症させるボタン』なるものが実装された時はあまりのこのアプリのもたらす怖さに頭を抱えつつも、その自らの手に運命が委ねられているかのような魔力に感激した。すっかりこの幻覚の虜になっていた自分はしかし突きつけられるプレイヤーの身勝手さに参りもした。決してゲームの中の住人ではない、そしてそれ故の軽薄さをこのアプリは突きつけつつ、そこからいかに真摯に行動するか、ということを試していたかのようにも私は感じている。そしてそんな意識だけの身勝手な存在が、彼女らを愛させて貰いあまつさえ愛して貰えるというのはこの上ない慈悲深さであった。

「総意」にしてもそうで、通常ならば運営側が一方的に提供するストーリー展開の一部をプレイヤーに委ねるというのは、こうしたゲームにおいてはかなりの譲歩であると感じる。TRPGめいてもいる運営とプレイヤーとの相互関係をこうしたアプリゲーないしコンシューマーで持ち出してくるのはなかなかできないのではないだろうか。事実、土屋Pは回答を受けて当初のプロットを撤廃しつつ物語を進行していったようで、かなりのエネルギーが必要な作業だったであろうと想像できる。
もちろんその結果から物語を紡いでいくのは運営側であるし、あくまで総意であるので個々人のプレイヤーとしての意見が反映されているかは微妙でもあった。しかしそれでも、私は期間的な問題でほとんどこの総意に直接参加はできなかったわけだが、通常可視化されない「プレイヤー意思の反映の有無」というものが示されただけでも、我々の選択の尊重を感じた。

つまるところ、『拡張少女系トライナリー』という作品は曖昧なものに対する祈りの作品だったのだと思う。フィクション内だけではなく、何を信じて良いのかわからない虚構に満ちた我々の世界の中で、一つでも縋るものがあってほしいという祈り。トライナリーが最後に信用たるものとして示したのは「我々の想い」であり、それだけ見てみると非常にベタなテーマかもしれないし、悪く言うと陳腐にも取れてしまう。しかしこの作品が現実に冷徹な視線を向け続け、世界に蔓延る虚構を切り取り続けたからこそ、その答えは非常に弱々しくも、最後に縋る希望として説得力を持つ。

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ガブリエラ・ロタルィンスカという少女は、顔すら見えない異世界の存在たるプレイヤーのことを心の支えに、父親との対話を果たす。
仮想存在を心の支えに生きてきた人間としては、なにかこう、大げさな物言いだが救われたような気分になったのだ。

「幕が下りてこのドラマが終わり」拡張少女系トライナリーの世界は8月を最後に我々からはひとまずは観測できない世界となってしまった。積み上げたアプリゲームの記録もすべて失われてしまい、今ではこの作品が非常に刺激的なアプリであったことすら人々に直接体験してもらうことはできなくなってしまった。そんな何もかもが幻のように消えてしまっても、あの彼女たちと過ごした記憶だけは、最後に私達の胸に突き刺さっている。作品のココロの力への祈り、その証明は私達に委ねられているのだろう。

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サウンドトラックの冊子裏には折り鶴が描かれている。このCDのデザイン、多重のスリーブやカードは折り重なった世界を表しているようでもあり、それが作中BGMの入ったCDというもの作品世界を感じられていいのだが、更にそこに"千羽鶴"の関連意匠が持ち出されてきているのがまた感慨深い。祈りを形にしたかのような名前の彼女は、どんな時にも平和とそして人の感情を愛してくれていた。この折り鶴のモニュメントが、様々な人々の想いが作り出した『拡張少女系トライナリー』という優しき作品の象徴として、とてもすんなりと心に落ちる感触がある。

The Truly Lovely Show !!

The Truly Lovely Show !!

「忘れないで」
私も、貴方も、彼女たちにも、どうか覚えていてほしい。

拡張少女系トライナリー [Blu-ray]

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*1:多世界解釈パラメトリック理論に基づいた世界進行法」の投票における参加プレイヤーの最多選択

*2:ゲームで慣れ親しんだ逢瀬つばめは彼女自身のフェノメノンの内部で見た目なども含めて変化した状態であり、外の世界にもともといた大本のつばめのことを「原初つばめ」と呼称している。ちなみにフェノメノン内部のつばめは「可愛いつばめ」とされている。

*3:フェノメノン内部の世界と外部の世界、双方はその差異のため繭で隔たれており、通常繭が消滅する時はどちらかの世界が消えているのだが、そこを無理矢理くっつけることで両方の世界が地続きな新たな世界を作り出すこと。

*4:心の葛藤が発生するとそこにクランが現れ、それを撃退すると悩みが解消され心が決まる。このゲームのバトル養素