日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

『のんのんびより ばけーしょん』感想 のんのんびよりは、人間同士と世界の調和を描いた作品であった

ほんわか日常アニメもアニメ化の流れ、いよいよこちらの人気作も登場。
のんのんびよりの特徴の一つである田舎ではなく、今回は沖縄のお話なわけだが。

nonnontv.com
映画キャラのあおいちゃん、正直に申し上げてデザインが好みすぎる。
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入場特典でミニ色紙をもらった。

あらすじ

田舎にある小さな学校「旭丘分校」の宮内れんげ、一条蛍、越谷夏海、越谷小鞠たちいつものメンバーは、たまたま向かったデパートのふくびきで見事特賞の沖縄旅行を引き当てる。夏休みを利用して大人も含めた村のみんなで沖縄旅行に出かける一行。沖縄の風景に興奮しつつ、到着した民宿で一行は新里あおいという少女に出会う。中でも中学一年生の夏海は、同い年ながらも自分とは違う雰囲気の彼女の存在に興味を持ってゆく。


作品感想(ネタバレ)







まず最初に自分は『のんのんびより』という作品に真剣でなかったことを謝罪しなくてはならない。
なんとなくキャラクターを把握できる程度にはTVアニメも見ていたようだが、にしても文脈をほぼ全く感じ取れずに、風車小屋のあれこれとかは人から聞いて「なるほどなあ~」と思っていた程度の積み重ねである。よってこれはほとんどまっさらな状態からの感想となり、拾うべきところが拾えてなかったり、今更のようなことを書いていくのにはご容赦いただきたい。しかしとにかくそうした状態で見ても、素晴らしい映画だったと思う。

まず、のんのんびよりという作品のキャラクターたちがこんなに立場が違うものだったか、と改めて驚いた。そもそもメインの生徒メンバーが田舎の小さな学校という舞台だからこそのクラスメイトなのだから、考えてみればそれはそうだ。田舎という小さなコミュニティだからこそ、都会とは違った人生の交差をするキャラクターたち。そして違う立場だからこそ、のんのんびよりのキャラクターたちには思ったよりも断絶が存在していた。
この断絶というのはシビアなものではなく、当然のんのんする作品スタイルにも沿った自然でゆるやかなものだったが、しかし確かなものとして存在している。それは大人と子供という間でもそうだし、こども同士でも幼いれんげの見ている世界は他の皆とはちょっと違ったりもする。また都会帰りの蛍が別方面でちょっと違いを見せたりもする。こうした上でれんげがスケッチを好むのも象徴的で、個人個人の世界への認識があるということが非常に示された作りになっていたと思う。
沖縄での遊び方にもそういうところがあって、2日目にはメンバーはスキューバダイビング班とカヤック班に別れて行動をする。ここでの教師である一穂の下りが面白い。カヤック班の一穂は木に引っかかる小鞠・蛍ペアを助けたり、用意周到に旅行グッズを用意していたりと、普段のだらけた姿とは違った立派な教師っぽい姿を見せ、驚かれる。旅行でテンションが上ったのか、自認するほどにはしゃぐ一穂だったが、それが祟ったのか帰り際にはすっかりバテてしまう。この倒れた写真を見せられたことで、スキューバダイビングの方の妹のひかげはすっかり呆れる……という流れがコミカルに描かれている。しかしここにはひかげの視点からは「いつものかず姉」としか見えないのだが、一部始終を眺めるとそう思われてしまうのは惜しいぐらいに「しゃんとしたかず姉」がたしかにいたのだ。そこには同じく行動していたか否かで本質が見えなくなってしまう、確かな断絶が存在していた。


仲の良いメンバーであるが、同じ立場の人間があまりいない。こうした微妙な孤独とも言えない程度であるが存在する孤独感から、夏海が同い年であるあおいに興味を持つのは極めて自然な流れであろう。あおいは原作には登場しない、この映画のオリジナルキャラクターということだが、(映画だけで判断するのも片手落ちというところで非常に恐縮ながら)非常に自然にお話に溶け込んでいたキャラクターだったと思う。
そして彼女はそうした断絶と共に繋がりの流れももたらす。自由気ままな夏海とは逆に、テキパキと民宿の手伝いをこなす大人びたあおい。そんなあおいであったが、しかし実は母親の目を盗んでこっそりとバドミントンの練習をする年相応の部分もあることがわかり、ひょんなことから夏海がその現場を目撃したところをきっかけに二人は接近し、口調も接客敬語から打ち解けたものになり、友達になる。母親の怖さやバドミントンの話題で盛り上がる二人からは、一見まったく異なる存在のように見えたとしても、一皮剥いてみると案外共通点があるのだということが美しく表現されている。
あおいに案内され、彼女の暮らす沖縄を見て回る一行。あおいが母親から一行の案内を快諾されて家を出るカットもよくって、ちょうどれんげが物語の冒頭で家から出るカットを連想させる。立場は違えど、そこには同じく外出への高揚感が感じられるのだ。
そして更にあおいの普段の生活を知りながら、より彼女と打ち解けてゆく夏海たち。この映画も、そしてあちらの世界における旅行も短い期間なのだが、そんな短期間での人同士のふれあいに感動する。人同士の距離と、そしてそこからの接近、そうしたことが一つの作品としてこれ以上なく描かれた映画であった。


そして更に、この映画が繋いでゆくのは人同士にとどまらない。「いつもの田舎」という場所を離れ沖縄という土地で『のんのんびより』を繰り広げた本作は、遠く離れたその2つをつなげる作品でもあった。田舎から始まり、沖縄での3日間を過ごし、そうして田舎に戻ってきて胸いっぱいに自宅の空気を吸い込むれんげ。映像作品として作られたこの流れこそが、切り離された世界を繋いでゆく行為だったと感じている。
更にこの映画ではスタッフロールの後に、おなじみの「今回はここまで」の表示が登場する。アニメ作品としても、この映画はテレビ放送されたものと繋がってゆくものであり、更にまたきっと次へと続いてゆくお話でもあるのだ。
あおいという沖縄の少女と友達になったというお話も、非常にテーマに沿っている。あおいに田舎の風景をスケッチという形で伝えたれんげは、また夏海とあおいの姿をスケッチし、それは夏海の部屋に飾られることとなる。同じスケッチで描かれたあの光景は、同じようにれんげの心に、そして周囲の人々に残ってゆくのだ。『のんのんびより ばけーしょん』は世界を、人々を繋ぐ映画であった。


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映画を見て今更思ったのだが、のんのんびよりの特色そのものが「自然との調和」だったのだなあと感じた。TVアニメのときから定評があった「草薙」が手がける自然風景は、場所を変えても非常に美しく目に飛び込んで来る。スクリーンでの見どころの一つだろう。
自然関係で1番良かったのが、あおいとの最後の日、夜光虫を見に行くシーン。これは本作の一つの山場と言わんばかりの力を感じるシーンなのだが、ここで満点の星空とそして光る海という両者が調和をもって描かれていることに感激してしまった。「繋がり」というものを描いてきたこの映画にとって、空と海がつながるこのシーンはこれ以上なく美しいシーンとして胸に突き刺さった。そしてこの思い出はまた、夏海とあおい、みんなの心に同じ思い出を残してゆくのだよな。
作品スタイルからは逸脱しないコミカルさを持ち続けた上で、少女同士の交流と別れをやりきった本作。雄大な自然の中で描かれた人間ドラマが『のんのんびより』の煌めきなのだなあと、すっかり感服してしまった。今度本編見直しますね……。