日陰の小道

心はもう無重力状態

~だったら、音楽少女が! 最高の音楽を聞かせてあげるわよ!~ 2018年アニメ『音楽少女』が最終話でブチかました叫び

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TVアニメ『音楽少女』の放送が終了した。自分はこのアニメを夏クールのほほんと楽しみながら、きっと良い最終回になるだろうな、という気持ちでその最終回を迎えた。しかし実際見た最終回は予想とはかけ離れたもので、今までの比でなくガチコーンと来た。これはとんでもねえアニメだ。勢いでケチな自分がBDも購入した。
果たして音楽少女は最終話で何をしたのか、そして自分が何を感じたのかということを、音楽少女のアニメ並びにコンテンツとしての歩みとともに語らせていただきたい。



ongaku-shoujo.jp
anime.dmkt-sp.jp
これは当たり前のことなのだが、おれなどの感想よりも音楽少女を見ていない方にはどうか見てほしい。Dアニメなどで配信中だよ!

音楽少女とはどういったコンテンツだったのか

私はアニメからの新規ファンなので、かなり聞きかじった解説となってしまうが、ご容赦いただきたい。
さて、アニメから先立つこと約6年前の 2012.11.21、音楽少女の公式サイトがオープンした。*1
cosmic.surpara.com

アニメ化のプロジェクトが決定後はKING RECORDの分社であるPINE RECORDより楽曲が発売されているが、当時はスタジオディーン傘下のCosmic Recordよりリリースされていた。*2


「ARTISTキャラソン企画」と銘を打った楽曲コンテンツとして登場した音楽少女、当初のメンバーは千歳ハル (cv.沼倉愛美)熊谷絵里 (cv.瀬戸麻沙美)の二人のみであった。しばらくはボイスドラマやWEB上でのチャットを公開し、キャラクターの周知に努めていたようだ。そして同年末のコミックマーケット83にて、初のCDがリリースされる。*3
ニコニコ動画でいくつか曲が視聴できる。方やノリノリのサウンドが全面に押し出された軽快なロックナンバー、方や幻想的な空気を孕んだハードなEDM曲に仕上がっており、本格派を掲げる当時の音楽少女の勢いを感じさせる。2018年作が王道のアイドルポップ中心になっていることを思うと、かなりの路線の違いである。
www.nicovideo.jp
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その後もイベントでの販売が中心ではあるものの、コンスタントに楽曲を発表。*4
2014年には3人目のメンバーである竜王更紗(cv,渕上舞が登場する。コミックマーケット87にてCDも発売されている。これがまた中華風ダンス・ポップと大変独特な仕上がりの楽曲である。
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2015年にはアニメミライにてアニメ化も実現。制作はTVアニメと同じくスタジオディーンが努めている。この映像は熊本大地震の支援目的でDVD化されており、そちらを入手することで視聴することが可能だ。(現在は正式な販売は行われていない)*5
アニメミライ[ animemirai ]

そして同年末のコミックマーケット89にて音楽少女3人曲がついに登場。アニメにおけるH☆E☆Sの原型と言えるだろう。極めてインパクトのあるハードなエレクトロ・チューンだ。
www.nicovideo.jp

ますます勢いづくかのような展開に思える音楽少女だが、このCDの一般流通告知を最後にCosmic Record公式サイトの更新は停止してしまっている。

Cosmic Record公式ツイッターアカウントの最新のメッセージも2016年が最後だ。

そうして事実上の休止状態となっていた音楽少女が、メンバーを今までの3人から12人(内スタッフ1人)に大幅に増員して再登場する。これが2018年7月より放送がスタートした、『音楽少女』なのである。
www.animatetimes.com
アニメ化、そしてレーベルの変更に伴い楽曲はよりポップでキャッチーな方向に舵を切っている。
しかし路線変更とはいえ、そのクオリティに関してはパイレコ時代でも音楽の名を冠するコンテンツに恥じない出来だろう。個人的に好きな曲を貼っておく。

www.youtube.com
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楽曲及びアニメを見たところ声優陣も歌にも演技にも対応できる実力派を揃えてきた印象で、安定感のあるキャスティング。メンバーでは小倉唯(迎羽織役)上坂すみれ(迎桐役)はキャラクターとしてにとどまらずソロでも活躍しているメンツだ。一方で岡咲美保(西尾未来役)とアニメ主演としては本作が初というキャストもおり、バランスの取れた人選であると言えよう。
多数の楽曲はアニメ本編にも挿入歌として登場し、各エピソードを彩っている。更にそれにあわせて10週連続シングル発売も敢行しており、アニメのみならず同時に音楽方面にも力を入れていた印象だ。

「リアル」を見据えた音楽少女アニメ2018年版

さてこのアニメなのだが、かなり音楽少女というコンテンツの状態そのものを意識したような展開が存在する。そもそも、「音楽少女」のグループを全く売れていないC級アイドルからのスタートとし、再起を図るためにプロデューサーが新メンバー獲得に奔走するのが一話なのだ。高いポテンシャルを誇りながらも、爆発的なヒットには至らなかったここまでの歩みを踏まえて……とすると挑戦的すぎて恐ろしいまである。
とはいえハル・絵里・沙羅のユニットであるH☆E☆Sは、グループ内でも先輩としてTV出演などの活動も行い、内外から一目置かれる存在として描写されている。よってこうした自虐めいてすらいる設定は、あくまで新生「音楽少女」への自己言及めいたものである、と捉えていくのが妥当だろうか。


1話で登場した「音楽少女の初期ファン28人」というのはまあ流石にフィクション上の話だろうが、しかしこの音楽少女のアニメ自体が作中同様の逆境からのスタートだったことは伺える。アニメのクオリティに目を向けてみても、全体的な絵はお世辞にも美麗とは言えないし(個人の意見としては愛嬌がありどの瞬間の絵も大変好きである)、激しい動きが要求されるダンスシーンは1話で登場したものを大いに使いまわし、なんだったら客席のオタクの絵も使い回す。制作においてそこまで潤沢な後ろ盾は望めなかったのではないかな、と少し邪推してしまう。
音楽少女というコンテンツにもともとファンはいただろうが、この路線変更を受けてそのままの移行が期待できるか、というと微妙である判断もあったのかもしれない。無論様々な感想を抱く人がいるとは思うが、アニメの路線変更を非難する声もいくつか目にしたことがある。
すなわち作中の音楽少女同様、アニメを掲げリスタートする現実の音楽少女もまたほぼゼロからのスタートであり、初期ファン28人、にもそうした作品のリアルを見据えた判断と覚悟が読み取れるようでもある。

こうしてスタートした新生・音楽少女たるアニメだが、その作劇も特徴的だ。制作陣には王道を作りたい、という姿勢と同時に、このアニメでは業界のリアルを描いていきたい、との思惑もあったようである。上述した、アニメ内容が現実の状況を受けているかのようでもあることとも符合することでもあるが。

――アニメの話に移ると、こちらは須藤さんが参加していることもあって「もしかすると一筋縄ではいかないアニメになるんじゃないか?」とドキドキしているファンもいるかと思いますが。

須藤 今作はそんな変化球はありませんよ。とっても真っ直ぐでいい作品です(笑)。僕に限らずキングレコードのアニメはとんがってる作品が多い印象ですが、『音楽少女』は王道的な作品だと思っていますから。

新井 ふつうに楽しんで見てもらえる作品ですよね。ただ描写に関しては“リアル”に迫った作品にしたかったので、結構な頻度で音楽業界あるあるが詰まっているんですよ。

須藤 みんなで集まって失敗談とか話し合ったこともありましたよね?

新井 だから業界の人が見たらヒヤッとするかも(笑)。

下記インタビューより抜粋
anican.jp


作曲・作詞というステージや作品リリースの裏側に迫るエピソードに、更にメイクに関してのエピソード。具志堅シェープにスポットが当たる4話での彼女の「メイクを落とすと別人のような顔になる」という展開はこうしたアニメの作品では衝撃的ですらある。(周囲の顔が変わらないのは突っ込みたくもなるが、すっぴんという解説も入るのでそれはそう、といったところ。そしてそうした対比になってしまうが故にシェープというキャラクターにとってはかなり「攻め」である。)

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別人かのようなシェープの素顔とメイク後。

音楽少女を取り巻く内外のファンやスタッフ

音楽少女というアニメは、そうした裏側のエピソードと同様にファンを始めとした受け手の目線を強く感じさせた作品でもある。リアルを描こうとする過程ではこの内外の両面は切っても切れないものなので、必然とも言えるかもしれない。故に音楽少女のアイドルたちのみならず、ファンやスタッフの存在感が大きいアニメであった。


音楽少女の活動はスタッフなくしてもファンなくしても存在し得ない。レギュラーキャラとして活躍する池橋プロデューサーをはじめ、作詞家の夏輝先生だったり、また音楽少女のステージに足を運ぶ最前の28人を始めとしたファンたちの姿が度々登場している。そうしてこれら周囲の人々は毎回音楽少女に多かれ少なかれ関わってくるわけである。
個人的に印象的なのが2話で、ステージ衣装の手直しをファン目線=見る側から提示したはなこと、そうしてその衣装の出来栄えの是非をファンの感想に委ね、結果評判がよかったので成功とした音楽少女たち……といった流れが存在する。
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心に少女を抱き、アイドルでないにもかかわらず強烈な存在感を残していった夏輝先生(画像右)


ファンの視線、好きへの視線と言い換えられるそれは音楽少女というユニットのキャラクターたちにも存在する。それは日陽の音楽だったり、未来にとっての唐揚げだったりした。更にこれらは日陽と絵里、未来と夏輝先生をも繋げてゆき、その輪というものは広がってゆく。ここで日陽は音楽を歌う側のアイドルだが、一方で絵里の作る歌が好きという音楽のファンでもある。時に自分の役割に関わるものだったとしても、そこには提供する側と受け取る側、両方の姿が存在していたりするのだ。


ファンでもあり、アイドルでもある。こうした構図は羽織のエピソードにも絡んでくる。「チョリガンナ」と名乗りアイドル掲示板にてはなこの「ドリィ」とフレンドになり、やり取りをしていた羽織。「アイドル舐めんな!」が口癖、音楽少女のセンターとして人一倍アイドルという存在に関しては自負とプライドがあった彼女だったが、一方で逆の姿も見せているのだ。
ファン側の影響力を示すエピソードとしても、羽織の周辺は印象深い。9話でのライブ、突然声が出なくなるものの皆のフォローによりなんとか乗り切った羽織。そのライブ自体は評判も上々だったのだが、しかし偶然聞いたファンの「センターなしでもいけるな」との言葉に大きなショックを受けてしまう。ここでもファンにセンターとしての役割を否定された(と思い込んだ)のが羽織にとっての決定打であったことから、その存在感が伺える。更に苦悩を大きくする羽織は、自嘲気味に自分のことを「いたね、そういう子」と他人事のように呟く。アイドルファン目線からも自身を否定してしまう姿はあまりにも痛々しい。
そしてそんな羽織を再起させたのもまた、アイドルではないはなこが歌う自分の歌であった。「やっぱ笑顔がいいじゃん、とにかく笑っちゃおう」と羽織の曲を歌うはなこの声を受け、アイドルとして再生するかのようにそれに答え歌いだす羽織。ちなみにここにもアイドル→ファン→アイドルといったやり取りの相互関係が存在している。
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11話、互いに想いを伝え合うはなこと羽織。

主人公でありナビゲーター、山田木はなこというキャラクター

このアニメのアイドル以外へのキャラクターの比重のスタイルが、最も顕著にあらわれているのが主人公山田木はなこの存在だろう。1話で新規メンバーとしてのオーディションを受けるところから音楽少女というグループと関わり始めつつも、あくまでスタッフとしての立場を貫いていたはなこ。アイドルではない彼女が主人公として動くところから既に、このアニメにおけるアイドル以外の存在の大きさが見て取れる。
またはなこは第1話で「音楽少女」のステージ並びに今後のグループ活動を盛り上げるためのオーディションイベント参加者、として扱われている。これは新規メンバーも増えたものの、あくまでコンテンツとしての音楽少女は既存のものであり、アニメは途中からの展開であると、いう状況と重ねることができそうである。
そうして追加加入(?)したはなこは、一から音楽少女メンバーのことを知ってゆく。そして彼女がメンバーと仲良くなり、また起こる問題の解決に奔走する中で、メンバーたちのパーソナルな部分が劇中にてだんだんと見えてくるのだ。こうした過程で我々視聴者も音楽少女のことをはなことともに知っていくことになるので、さながらはなこは2018年の音楽少女に初めて触れることとなる我々にとってのナビゲーターであったとも言える。

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はなこの姿からスタートしたアニメ音楽少女1話。


さて、この一方で音楽少女というアニメ自体は、山田木はなこという少女の成長ストーリーでもあった。アイドルというものに”歌って踊りステージに立つ人々”ということすら曖昧なほどの漠然とした憧れを持ちつつ、しかし初めて能動的に関わりたいこととして巡り合ったはなこ。一方で「アイドルになる気はまったくない」と語っていた彼女でもあったが、しかし最終話においてついにはなこは「音楽少女になりたい」と涙ながらに語るのだった。
ここまでの彼女の意思の変遷に関してはかなり漠然と描かれていたが、しかし「歌によって想いを伝える」という彼女の行為の持つ言わばアイドル性に関しては度々展開に組み込まれており、そうした過程での変化があったのだろうと伺える。「アイドル」ではなくしかしその活動を最も間近で触れ、そして相互にやり取りをしてきた彼女は言わばファン代表としてのしての立場があったのだが、その上でたとえヘタであろうと歌をもって表現をする彼女の姿は、ファン側からアイドルとファンとの境界を破壊してゆくキャラクターでもあった。

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1話ラストでは音痴な歌を披露し、アイドル・観客、そして視聴者に衝撃を残したはなこ。


ステージというものは演者と観客がいて初めて成り立つ。アイドルとファン、双方の存在感を描いていた本作からはそうした相互性というものを強く感じたし、そしてそれははなこが音楽少女たちとやったようなコミュニケーションの持つそれと近いものであるのだろう。
このように伝え伝えられる相互関係を描いてきた音楽少女だったのだが、しかし最後の最後でそれが崩れ去る。そこは最終回、音楽少女にとっての解散をかけた大舞台でもあるメロフェスのステージだった。

『音楽少女』は最終回で何を叫んだのか

最終話までの音楽少女はある意味ぬるく幸福な世界だった。恋愛スキャンダル疑惑を写真から飛ばされる展開などもあったが、そのカメラマンに関しては極めて描写が薄く、振り返ってみると明確な悪意や無関心さというものが秘匿されていた道のりであったと感じる。羽織が追い詰められる展開を持ってくる出来事にすら、音楽少女全体へ対しては称賛の意見からであった。
しかし現実世界はそうはいかない。最終回で描かれたシビアなメロフェスの観客達は、音楽少女にとっての世界が広くなれば必然的にその中に存在してくる人々である。


フェスステージの最中急に起こった停電。暗いままのステージを眺めている人々がそんなに大勢いるかというとそうでないことは自明であるし、仮に自分が同じ立場だったとしても音楽少女の熱烈なファンでもなければ他へ移ってしまうだろう。そしてそうした無関心の人々には、たった一人なんとか声を届けようとステージに立つはなこの声は届かない。必死に今までの音楽少女の歩みを語る悲壮なまでの彼女の姿すら、人々には一笑に付されてしまう。
追い詰められたはなこは、いよいよ下手な歌を歌う自分の姿を笑いものとして提供することで、人々をつなぎとめようとする。それはある程度の成功を収めるのだが、しかしそれに対して音楽少女のメンバーは我慢ならず駆け寄る。そして諦めかけていた自分たちにビンタをして、皆にとって大切なはなこの歌を彼女自身が邪険に扱うことを叱り、そして同時に優しい言葉をかけ寄り添うのだった。

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停電したステージ上の音楽少女たちと、観客のコメント。


実際のステージっぽい音響演出込で最終話の映像に没入していた自分にとっては、そこからこの無自覚の悪意に満ちた展開に繋げられたのは横っ面を殴られたような衝撃があった。
そして同時に、その逆境こそが音楽少女という作品が立っていた場所なのだとも実感した。音楽少女というグループをリアリティのある展開と、コンテンツの現実の状況を反映させたかのようなストーリー構成で描いてきたアニメだからこそ、この最終話の展開は胸に突き刺さる。音楽少女というアニメを楽しんでいた視聴者と、音楽少女を愛するはなこ、そしてはなこを愛する音楽少女の姿が重なるのだ。
そしてまた一方で、作品に対しては他人事であることも会場の観客に反映されている。これもまたアニメ世界をフィクションとして見ている以上当然である。この両者は自分を含めた視聴者が両方とも多かれ少なかれ持っているものでもあるのだ。


現実拡張めいた演出のステージから実際の姿を重ねてゆくこの手法は、こうした観客と演者の乖離のお話をするにあたっては、おそらくほかの大きなコンテンツから繰り出されるアニメ作品では成し得なかったものであると思う。自らの逆境すらその反動をエネルギーに転換してきたアニメに恐ろしさすら感じた。まさしくこれは音楽少女にしかできないアニメであり、ステージであった。

「アイドル舐めんな! 私達が生みたいのはそんな笑顔じゃない! みんな何しにここに来てるの? 音楽を聞きたいからでしょう? 音楽を楽しむためにでしょう? そのためにここにいるんでしょう!? だったら、音楽少女が! 最高の音楽を聞かせてあげるわよ!」

羽織はこう観客に啖呵を切る。音楽少女のステージ・アニメは圧倒的技巧や豪華さをもって描かれるものではなかったかもしれない。しかしそれでも、笑いものにされるつもりは毛頭ない、素晴らしいものを届けるのだという、制作側の気概と自負を非常に感じさせてくれるものであった。そしてそれは、少なくとも自分にとってはこれ以上なく達成されたことだったのだ。

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今まで作画で見せていたステージを、はなこが入り初めて3DCGで動かす演出も上手く決まっていた。


最終話、はなこは改めてアイドル音楽少女として生まれ変わり、同時にファン代表のナビゲーターとしてはアニメの閉幕とともに我々の側からは離れていくこととなった。音楽少女は結果的に1万人以上を動員しさらなる活動へと歩んでいくのだが、最終回でのメロフェスのステージが観客にとってどのようなものであったかは描かれず、その言葉は音楽少女のこれからの姿とともに観測できないものとして最終回の向こう側に存在する。
そしてこれはすなわち、アニメ音楽少女の辿ったストーリーと最後のステージの評価は我々視聴者の側に、これまでの音楽少女アニメがファンの声とともにあった事実とともに、委ねられているのではないだろうか。私はそう思って思わず音楽少女のこの記事を書いた。


人の持つ伝えることの力を歌とともに描いた音楽少女という作品を信じるなら、この感動を言葉のみにて伝えようとするのは片手落ちであることを知りつつも――しかしこの場ではそれしかないので書き記しておく。そしてどうか一人でも多くの人が、音楽少女という作品に、あの輝くステージに触れてくれますように。
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シャイニング・ピース

シャイニング・ピース

――最後のピースは誰でもない、キミだよキミだったよ。


シャイニング・ピーシーズ

シャイニング・ピーシーズ