日陰の小道

私のロジックは私みたいな話をしたりします

気がついたらガルラジセカンドがもう始まりそうで狼狽えている

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ガルラジニコ生セカンド開始を控えた今日、ようやくというか今更というか、ガルラジファーストシーズンの感想を書きなぐって行きたいと思う。

こんなタイミングになってしまったのはひとえに怠慢というほかないが、しかしここが最後のチャンスでもあると思うのでやっていく。何故最後かというともはや明日からのガルラジは私が知っているガルラジではなくなるのだ。正確にはもう既になくなりつつあると言っていい。これはネガティブな話ではけしてなく、単にガルラジがとにかく「今」を生きるコンテンツであるからだ。常に現実世界と同じ時間で動いているガルラジにとっては、空白期間がそのまま時間の重みとしてのしかかるのだ。
アニメでも小説でもなんでもいいが、重大なネタばらしなんかがどこかのタイミングで投入されると、それまでの完成している物語の見え方ががらりと変わったりする。これが物語ならば本来そういうものとして受け取るが、ガルラジは「物語であり物語でなく、リアルでなくリアルでない」と見事に信じ込まされてしまっているので、そのときに「リアル」だったはずの彼女たちの姿は恐らくセカンドシーズンが始まった後には「過去」でしかなくなってしまう。たぶんこれではセカンド後にファーストの事を何も正確に話せなくなると思う。
もちろんファーストの時も放送されたラジオは次々と「アーカイブ」と化していったが、あの時はある程度の連続性が期間の短さなどによって担保されていた。それが今回は数ヶ月である。私みたいな人間にとって半年はだらっと過ごしていたらハマったコンテンツの感想を書くのを滞らせたまま爆速で過ぎ去るものだが、ラジオガールズの日々はそうでもない。小学生が中学生になったり、高校生が卒業に向かっていったりする。おれがぼんやりしている間にである……おれはおののいている……。


まだしていなかった気がするのでせっかくなのでガルラジの体験で衝撃を受けたことをついでにここに記しておく。ガルラジの「リアル感」とでも言うべき試みに関して真にそれを感じたのは最終回の直前だった。普段は生活のタイミング的にリアタイで聞くことができなかったのだが、ニコ生放送の関係で岡崎・富士川の最終回が大幅に深夜にずれ込んだのだ。ということで嬉々として私は岡崎の最終回をリアタイで臨むことにした。
ガルラジはリアタイの体験をすべき、というようなことは確かに聞いていたのだが「まあいうて実況の一体感とかそんな感じだろう」ぐらいに舐めきっていた。
では、実際にガルラジリアタイをするとどういう仕掛けが存在するのか。それは極めてシンプルで、ガルラジアプリ内のTwitterめいたタイムラインの「つぶやき」で、放送前に放送が始まる告知が投下され、ラジオが放送され、放送が終わった後にも終了した旨が投下される。いやこれ書いてて絶対伝わらないのでは? という気がしているが、ただこれだけで、ガルラジ世界とこの現実の同じ時間が意識されるというだけで、二兎春花が、萬歳智加が、桜泉真維が今どうしているかということにひたすら思いを馳せてしまったのだ。涙ながらにラジオの終焉を迎えた彼女たちが、果たして今どんな風にしていて、どんなことを話していて、どんな気持ちでいるのかを考えずにはいられなかった。
恐らく自分は、ガルラジが生放送ラジオという体で流れているということを、このときようやく本当に理解したのだと思う。彼女たちの時間と我々の時間はあの30分間、直接は交差しないあの発信と受信というやり取りで、完全に重なっていたのだ。
翌週は端から早く帰るつもりでいたので、リアタイで双葉を聞いた。当然これまた感極まってしまい、放送と放送終了のつぶやきの時間差の空白に、これ以上なく「物語」を感じてしまった。
これらのつぶやきのシステムは当然把握していたわけで、ちょっと自分としてもあまりにも予想外のショックだった。シンプルながら極めて面白い試みだったと思うので、アプリ終了に伴いこの「つぶやき」がなくなってしまったことは素直に残念でもある。
しかし、きっとガルラジならばまた新たな驚きと共に面白い体験をさせてくれるのではないかと期待している。セカンドは夜遅くなったので平時から私でもリアタイできそうなのだ。これが週3ペースで放送されると思うと気が気でない。


ガルラジは、変化と共に拡張していく物語だったように思う。
今までどちらかというと内に目線が向いていたチーム岡崎が、仲間と同じく我々リスナーも含めた「ガルラジ」が終わってしまうことが寂しいと最終回で話したときには彼女たちと気持ちが通じ合った気がしたし、最後に二兎春花が「手紙」を読んでくれた時は本当にこちらとあちらが繋がって届いたような心地がした。
一方で常に外部からの視線を意識してクオリティの高さを追求していたチーム富士川は、身近にいた仲間たちの心強さを終わって初めて知る。放送終了後の私の好きな年魚市すずのつぶやきに、学校でガルラジのファンの子に話しかけられて、昔からの友達みたいに話が弾み驚く、というものがある。彼女の世界はガルラジの前と後ではずいぶん変化したのだろう。
チーム双葉は、最終回で実はガルラジは花菜ともっと親密になるために挑戦したものだということが姉二人から明かされる。最終回を見ると今までの話数が完全に違って見えるようになる、完全にオタク(私)の好きなやつで、完璧に双葉の見方を変化させられてしまった。また花菜も姉二人にとどまらず、ガルラジを通じて新たな友人ができたりもして微笑ましい。
チーム徳光は、ひたすら手取川海瑠の反抗であった。ハリネズミの如く周囲に針を尖らせ、偽りのミルミルを否定しながらも、願うのは今からの離脱。そんな彼女が最終話ではちょっぴり母親を認め、地元を褒めるだけで新たな一歩を感じ、胸が熱くなってしまう。成長って時に寂しくもあるけれど、最後にはたっぷりの反抗をして、どの手取川海瑠も健在な事を示した彼女に笑みがこぼれる。
チーム御在所は不思議なチームだった。怪異を眺め、自らも現実離れした立場の天才小学生とお嬢様。こうしたところに参入していく一般的な女子大生の徳若実希には、ナビゲーターっぽい役割があったのかな、などとも思う。ある種メインの活動がラジオ外にある彼女たちだからこそ、マイペースなラジオを繰り広げつつも、発見したラジオの楽しさは他の怪異同様たどり着いた新たな世界だったのではないだろうか?


各チーム本当にどれも素晴らしい全六回であり、ガルラジの世界、そして私の世界を大いに広げてくれたと思う。ここまで思い出したりちょっと聞き返しながら書いてみたが、当時の自分のTwitterのログを眺めていたら大層瑞々しい実況ツイートが飛び込んできて、やはり時間を置いてしまったなあとも感じている。
そして冒頭でガルラジは既に知っているガルラジではなくなってきていると書いたが、先週毎日(!?)投下されていたあらすじがゲキヤバで、岡崎が「終わり」を感じていたり富士川がTEAMになったり双葉のニートがバイトを始めたり徳光が二人になったり御在所が平常運転だったりするので、もうおれのガルラジ観は実はムチャクチャになりながらとにかく我々の知らない彼女たちの数ヶ月に想いを馳せるしかなくなっている。


やはり物事をやるべきはタイミングが大切……などと感じているが丁度もうすぐ新しいシリーズが始まるシリーズが存在するらしい。これは「今」追うしかないな!
ところで、 『ガールズラジオデイズ』って言うんだが……。
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The Days of Wine & Roses

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