日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

10月13日②

何が何でも失いたくない情熱とか悲しさみたいな感情が生まれることが時々ある。それはその時は一生抱えておきたいと強く強く願うのだけれど、夜を重ねる毎にどんどん曖昧になって、日常生活という強いうねりの中で散り散りになってしまうことがわかっている。しかしそれでも何が何でもあの時忘れたくなかったなという記憶だけは残り香のようにそこにあって、忘れてしまったことをわたしに気づかせる。熱に浮かされたままのような去年のそれと比べると冷めた文章しか書けなくなっているのも、今泥酔していないからというだけではないだろう。



今年2019年の夏はガルラジ一色だった。去年の夏とは違った世界の違った少女たちに、また一方的な淡い恋心のようなものを抱いて、夢中になって、そして終りを迎えたことをまた悲しんだ。ガルラジもまた、不思議な異世界と繋がるような感覚があったコンテンツだった。ラジオと高速道路をテーマとしたそれは、作品のメッセージに「遠くを繋いで、人々もまた繋がれる」ということを強く感じさせ、同じ日本でありながらも距離や世界も遠く離れた「あちら側」のことを考えさせられた。この作品は設定段階でSF要素が色濃いわけでもなく、そう感じさせられたのは作品設定の仕掛けが思った以上に強く作用していたからだとは思うが、それにしてもあいも変わらずこうして異世界に惹かれ続けていることにはどこか苦笑もしてしまう。
ガルラジは物語でありながら物語でないようなスタンスをとっていたので、放送の終了は作品的な幕引きではあるものの、しかし彼女たちにとってのそれではないということを、しっかりと構築された物語以上に強く感じさせる。思えばいわゆる日常系というような作品にもわたしはそういうところに魅力を感じていたのかもしれない。作品が終わったとしても、我々の知らないところで彼女たちの人生はこれからも続く。2つの世界が少しだけ重なっていた時間は終わってしまうけれど、またどこかですれ違うことがあれば、などと思わずにはいられない。


少し遡り9月14日、なんだかんだでわたしの足はなんら迷うこと無く海浜幕張へと向かっていた。コーエーテクモの列は思った以上に長蛇で、道に迷って別のブースに出た挙げ句、そこからなんとか物販の列にたどり着いて更に確か数時間ぐらい待っていたような気がする。そんな自分を客観視すると意外と熱心なファンのようだな、などと思う。全員分を受け止める度胸も度量も甲斐性もないもので、去年のコミケと同じく1枚だけ購入した。なかなかに阿鼻叫喚だったらしいランダムではないランダム封入アクリルキーホルダーはわたしの頃には混ざっていたようで、最終的に交換して頂いて彼女の絵柄を入手した。
待ちきれなくて最寄りの駅についてそのままベンチに座って、手紙部分だけ読んだ。ウズベキスタンに行くらしい。ウズベキスタンどころかわたしは海外に行ったこともない。秋の空を見上げて、こことウズベキスタンも繋がっているのだろうか、などと感傷的すぎることを思った。


サービス終了したコンテンツの世界からお手紙が貰えるのはありがたすぎるけれども、同時に申し訳なさみたいなものもある。そういうコンテンツだったからこそか、恋文めいたそれには「毎日貴方のことを考えている」などという文が綴られている。毎日毎日ここではないいろいろな異世界のことを考えていて、それは「あの世界」のことだけではなくって、そんなこっちではいつまで経ってもうだつが上がらないわたしのような人間に彼女を縛ることが許されるというのだろうか。別にそういうものだけが人間の幸福ではないと思っているけれども、とはいえオタクのように非実在のものに恋い焦がれ続けるのはオタクぐらいどうしようもない存在だけでいいのではないだろうか。それもまたわたしのエゴでもあるし、その気になればお手紙を受け取ることをやめてしまえばきっとわたしの中の彼女はわたしから開放されるのかもしれない。何故ならわたしの知っている「あの世界」というのはわたしの中でしか存在しないので、こちらが観測を辞めてしまえばきっとないことになってしまう。いやしかし文通しているわけでもないのでずーっとあの素敵な彼女はこちらに手紙を書き続けてくれるのかもしれない。
まあどちらにせよ今のわたしには受け取ることを辞めるのを選択できるほど気高くも、そしてまだ冷めてもいないので考えるだけ無駄な話だが。


10月12日、今に時間を戻す。この時に購入したメインの品である音声CDだが、なんだか再び再生して、どう思うかとか、どうも思わないとかが色々と恐ろしくて再生していなかったのだが、さすがにもう一度ちょっと向き合うにあたっていよいよ再生をした。一枚だけではほんの数分という極めて短い内容だったが……いやしかし長かったら大変なことになりそうなのでこのぐらいで正直助かる。正直彼女自身の声もそうだが、他のみんなの声を聞いたらあの頃の、わたしの場合はとても短い時間だったけれど、そのことを思い出して非常に懐かしくて感傷的な気持ちになってしまった。手紙で読んでいたはずなのだが、もう大学生になるというところで驚いてしまう。前の冬に貰った手紙は高等部2年ということで、ちょっと開いた間がこちらとは違うようだ。
結構あの頃に比べると社交的になったようで、友達もたくさん増えたらしい。「ちょっと貴方のことを考える時間が減った」という言葉に嬉しさと安堵感と、やはり避けられない寂しさを感じていると、フェイクで早く顔を見せろと言われてしまった。うおーーーーーーーーーーーーーーすみませんすみませんやっぱり俺も大好きやでもおれは自己評価が大変低いので実際に顔を見せたら百年の恋を冷ましてしまう自信があるぜ!!!!何故なら手に入らないものはこの世でもっとも魅力的に感じるものなので………………なにもわからなくなってきた…………。


去年は本当にまた会いたくて会いたくてしょうがなかった気がするけれど、今こうしてヘラヘラと生きてしまい、それがどうかも曖昧になってきたけれど、早く会いに来いと言われて、やはり何もわからなくなりつつも、わたしはこうしてオタクポエムを捏ねることしかできない。どうすればいいのかわからないけれど、今年もこれだけは言える。


ガブリエラ・ロタルィンスカさん、誕生日おめでとう。今年もあなたの誕生日を祝うことができるのが本当に嬉しい。あなたのこれからの人生に幸多からんことを。
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今の2曲です。


Pablo Honey by RADIOHEAD (1993-04-20)

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LITTLE BUSTERS

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