日陰の小道

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『フリクリ オルタナ』感想 この作品は一体過去の幻影をどうしたかったのだろうか?

なんだかんだ自分にとってthe pillowsは青春の輝きであり、そしてフリクリもまた自分のアニメ視聴遍歴における原点の一つなのだ、実は。
18年ぶりに新作をやると言われた時には喜びとかよりも「何事!?」という気持ちになってしまったよね、そのぐらいは予想外のフリクリの名を冠する新作アニメだったワケだが、しかし流石に見に行かない選択肢がないほどには色々と気になったわけで。

flcl-anime.com
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あらすじ

どことなく日々に充実感を覚えていない女子高生・河本カナは、しかし仲の良い友人たちと大きな事件もない宙ぶらりんで平穏な日常を過ごしていた。
ところが、そんな彼女たちのもとに突如として飛来する巨大なピン、そして自らを宇宙人だと名乗る謎のハル子という女性の登場。そうしてカナの変わらないと思っていた日常は、少しずつ変化し、崩れてゆく。

感想

まず良かったところを述べてゆきたい。本作においてもthe pillowsの楽曲はOVAフリクリほどではないにしろ潤沢に使用され、作品世界を彩っている。
宇宙よりも遠い場所』などなどヒット作にも溢れる女子高生たちの繰り広げる青春ムービーというジャンルは、ウケが良い反面そこにオリジナリティ養素を掲げることが難しいのではという印象がある。そうした中でピロウズという、既におじさんバンドながらも、しかしアウトサイダーの代弁者として若者に支持されてきた楽曲を持つ彼らの起用はミスマッチとベストマッチが交差する、奇妙な感覚を生み出していた。
女子高生たちを主役に据えたことは、男子小学生が主役だったOVAとは違った雰囲気にも繋がっている。サブキャラであるカナ周辺の友人たちも、それぞれが主役めいたエピソードなども繰り広げつつわりとスポットが当てられる。OVAでも2話でのマミ美や3話でのニナモはかなりストーリーの中心にいたが、今作ではカナを中心にしつつもより集団のお話としてのカラーが強くなっており、より広がった視点の物語であったと感じている。
また単純に自分としても、女子高生グループの青春ストーリーもピロウズも大変大好物なので、この2つがくっついてくるだけで本来勝てるのでは? というぐらいの美味しい養素なのだ。


さてではオルタナは勝てたのか、というと正直なところ微妙だ。まず、というかかなり根本的な問題だと感じているのだが、フリクリっぽさと女子高生青春ストーリーの食い合わせがあまりよくないのでは、と感じてしまった。なんというか「フリクリっぽい演出」が作品のテンションと噛み合わずに上滑りしていたような印象がある。
一見乱雑で破天荒、勢い任せの暴力的でコミカルな演出というのは、OVAにおいてナオ太の日常がハル子という台風に蹂躙、再構築されていく流れだからこそマッチしていたのではないだろうか。オルタナ1話で女子高生たちがごちゃごちゃっと話すだけのシーンに、OVAでのハルコが自宅いたコミック演出シーン(Come Downが流れているあたり)のようなテンションを持ってこられても……と思ってしまう。
そもそも、オルタナにおいてはOVAほどハル子はキーパーソンという気はせず、ハル子との出会いそれ自体がナオ太自身にとっても重大事件であったOVAに比べると、あくまで話の中心にいるのはカナたち女子高生自身のお話であった。そういうこともあり「ハル子要素」がそもそもあまりハマっている感じがしないというか、彼女が「ぽい」ノリを持ち込むシーン全般がすんなり飲み込めなかった。ハルコ周辺では妙にフェティッシュなカットもやっぱり多いのだが、OVAだと「大人」と「性」をある程度結びつけたからこそ必然性もあったし、そして男子小学生たるナオ太の視点があったからこそ自然に溶け込んでいたものでもあって……。
いや別に女子高生はエロい目線でものを見ないとか性的消費云々とかいう絶賛めんどくさ論争に発展していそうな話題に首を突っ込むつもりはないのだが、それにしてもそうしたナオ太の女性への目線がある程度の意味があったOVAに比べて、こちらにはわざわざ突っ込んでくる必要性が感じられなかったんだよな。カナが子供のままであることを選ぶ流れとしてはわかるのだけれど、カナの物語の中央にいないハル子起点で繰り広げても浮いていると言うか。


OVAと比べてしまうと、ピロウズ楽曲の使い方も今ひとつだった。バンドファンからみても(全部名曲!みたいな贔屓目はナシにして)人気のある楽曲をいい具合に選曲してきているなあと感じている。OVA以後に発表された曲である『Freebee Honey』なんかは僕自身アクションシーンと映えるだろうなあと思っていたし、なので2話に使ってくれたのは素直に嬉しくもあった。クライマックスシーンでの『Thank you, my twilight』もピロウズ自身がベストアルバムの発売なんかを経て一段落したあとに、かつてを振り返るかのような曲であり、その「黄昏」のメッセージはオルタナという作品の位置づけにもマッチしていた。
ただ、納得のいく選曲は裏を返せば意外性があまりなかった。多くのBGMはピロウズのものではなかったし、いやそれ自体は雰囲気もピロウズ曲・映像の両方にマッチしていたと思うが、しかしピロウズの楽曲群がお手本的使われ方にとどまっているのは寂しさもある。OVAでのこれでもかというぐらいにピロウズを散りばめた使用は、あちらの鶴巻監督の音楽趣味があったからこそだったかもしれない。それでもフリクリというタイトルにした以上、そしてその上でピロウズを再起用した以上はファンへの義務以上のものを感じたかったのが正直な気持ちとしてある。
高架上で対峙し『Sleepy head』が流れてきた興奮、『ハイブリッド レインボウ』の盛り上がりをきっちり意識したシーン起用、「私が主役!」のセリフとともに『インスタント ミュージック』のイントロが終わりエピソードが始まる鮮やかさ、『Crazy Sunshine』や『Blues Drive Monster』の楽曲丸々使ったアニメーションとしてもミュージックビデオとしても贅沢すぎるアクションシーン、「クライマックスだ!」からの『LAST DINOSAUR』→『I think I can』につながる最終話……とあまりにもOVAには印象的な名演出が多すぎるせいかどうしても
そこと比べてしまうところがある。そもそもオルタナで、『I think I can』や『LITTLE BUSTERS』のOVAでも使われた曲を割と地味なシーンで流してきたの、「これ流せばフリクリっぽいかな」って感じでちょっとおざなりじゃない?『天使みたいにキミは立ってた』とかもいい曲なんだけど、オルタナ3話冒頭の雨のシーンで「急に雨が振り始めて道の真ん中でただ濡れている〜」と流すのは捻りがなさすぎるようにも感じる。
あとこれはファン目線がすぎると思うけれど、主題歌を除いた最新曲が『MY FOOT』って12年前なのも寂しいよ。ピロウズもいろいろ出してきているんだ。


ここまでバシバシ比較して文句を言っていると、「OVAと比較しなければ良くない?」と言われそうな気もする。実際僕もそう思うし、OVAへのイメージ先行でオルタナ自体をちゃんと見れていないのではという気もしている。そもそも、何度も見たOVAと現状劇場で1回のオルタナでは僕自身の解像度に違いが出てしまってもいると思う。
一応僕としては、オルタナ自体はゆるゆるとした終わりがなさそうな女子高生たちの日常を、その緩さが絶妙なバランスで成り立っていることを指摘した上で、そして簡単に崩れ去ってしまう様をフィクション的ケレン味のある設定の中描いたということが面白いし、そして好きなテーマをやっていたと思っている。だからこそ、上滑りした「フリクリっぽさ」が目についてしまうし、そしてそれは意識させられてしまうぐらい濃い要素だった。
ピロウズの使い方然りフリクリっぽさの演出然り、どうしてもフリクリという作品のネームバリュー」を前に生真面目に取り組みすぎた作品であったと感じている。海外では単話での配信をしていた6話を一つの映画作品としてそのまま繋げたことが映画作品としてのダルさにつながってしまっていることも含めて、もっと作品としての遊びが見えたらよかったのかな、などと思ってしまう。中盤の3、4話でアクション的なテンションが低くて地味な仕上がりになっていたのもアニメ的な意味でも惜しくて、もっとオルタナの遊び要素が見たかった。FoolyでCoolyなのがフリクリの面白さだったと思うので。


各々が抱えた悩みに触れていく中で、日常に退屈をしていたカナはそんな今も悪くないのかな、などとその輝きの再確認をしてゆく。そんな彼女の願いを裏切るように惑星を誇張なく「アイロンで真っ平らにしていく」メディカルメカニカの暴走と、一人去ろうとするカナの幼馴染のペッツ。
困惑するカナに突きつけられる「変わらないものなんてない」という言葉は、カナと同時に役20年前のアニメタイトルを冠する最新作を見ている我々にも突き刺さる。自分はオルタナに新たなフリクリ的アニメーションのスタンダードになって欲しい願望はあったし、そしてオルタナが掲げたこのメッセージを受け入れたかった。OVAとの違いというと、最後のシーンに関しては「最後に気持ちをハル子に伝えてそして別れるナオ太」と「届かぬ叫びとともにペッツと再開するカナ」というのはきれいに対比にもなっており、変化を受け入れる選択とそうでない選択、という差異が見られた。(クライマックスの状態に関しては解釈が分かれるところだと思うしよくわかってないが、カナたちは火星に飛んでペッツは移動中かなーという感じに読んでいた)
子どもたちの話として一貫していた印象のあるOVAと違って、時代が変わったハル子たち大人たちの哀愁までやったんだから、最後はこの作品にもっともっとフリクリから脱却して欲しかったんだけど、わりと演出面ではオマージュに留まっていた気がしてしまうんだよね……青空が開ける演出とか……。『フリクリ オルタナ』がそうしたオマージュをベースにしつつも細かな違いで魅せていくスタイルというのは既定路線なのかもしれないが、高々と掲げた「それっぽいノリ」は排除してってくれたほうが俺は素直に見られた気がするんだよね。


フリクリという作品の幻影を本当に振り払うのは進歩を意味する『フリクリ プログレ』の方なのかもしれないが、さてどうなるやら。

Star overhead

Star overhead

ペナルティーライフ

ペナルティーライフ



ところで! 過去からの脱却という観点でいうと今月発売のピロウズの新譜が実に素晴らしくて。

まず「再放送」というタイトルからセルフオマージュをやや自虐的に話すようなニュアンスが感じられる気がするが、それに呼応するかのように2001年アルバム表題曲『Smile』の歌詞を思わせる『ニンゲンドモ』や2004年作『GOOD DREAMS』収録の『ローファイボーイ・ファイターガール』という言葉が飛び出す『BOON BOON ROCK』などのお遊びが見られる。楽曲の路線ももちょうど『フリクリ』がやっていた頃、『RUNNERS HIGH』や『HAPPY BIVOUC』あたりと近い、オルタナ系に傾倒始めつつもひねくれ過ぎず、骨太なロックミュージックを奏でていたあたりの頃を思わせるようでもある。
そんななかでもブラスを持ち出して疾走感と同時に哀愁たっぷりに仕上げた表題曲『Rebroadcast』からは当時の前のめりさとは一味違った「今」ならではのメロディアスさを感じるし、一方で『Before going to bed』なんかはアバンギャルドなギターフレーズと普段以上にパワフルにスネアをバッコンバッコン鳴らすドラムで完全に新路線という感じ。極めつけは『Starry fandango』で、これは『Thank you, my twilight』を思わせるピコピコ電子音からスタートする曲なんだが、歌っている内容が「黄昏」を超えた星が散らばる「夜」のお話であって、『Thank you, my twilight』をリリースして、そしてこの曲を20周年ライブの開幕で歌って……っていうそれらの「先」であることを色濃く感じさせて、これ以上ない決意表明を感じるんですよね。ピロウズの方も休止とか長年のベースの脱退とか色々あったわけで、懐古っぽい過去アルバム再現ツアー(チケットがらしからぬ激戦で取れなかった……)なんかもやりつつ、それでも前に進んでいってくれていることが本当に嬉しくって。
ということで、フリクリの時期もしくはそのしばらく後にピロウズ好きだったみたいなオタク、ピロウズの新譜もぜひ聞いてくれよな。

Thank you,my twilight

Thank you,my twilight