日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

話数単位で選ぶ、2022年TVアニメ10選

年末に20本好きな話数を見返し年間10選を選ぶ催しを今年もやった。
順位はつけない。

CUE! episode9 『We Can Fly!!!!』

脚本:片貝慎 絵コンテ:こでらかつゆき 演出:吉田俊司 作画監督:上原史也、丸山泰英 総作画監督:田中彩、薮田裕希

新人声優として事務所「AiRBLUE(エールブルー)」に集った少女たちの奮闘を描く作品。16人の新人声優たちは「花鳥風月」の4文字になぞらえた4チームに分けられており、アニメでも各回でそれぞれのチームが主体となって進んでいく。9話は2.5次元キャラクターライブコンテンツに挑む「chun×4(フォーチュン)」(原作では「bird」とのこと)のエピソードだ。

chun×4メンバーの一人、九条柚葉とんでもないお嬢様の育ちで、そんな彼女に父との知り合いの王族との結婚(すごい世界だ)の話が舞い込んできているという。他のchun×4の3人は事情を知らず、柚葉の元に現れる謎の黒服の男性を目撃したことで、間近に見たドラマやアニメから柚葉を取り巻く状況を想像……というか、妄想する。
まるでドラマの中の人と思われてしまうような、一般の人とか一線を画した派手さ。すなわち柚葉という子はすごく浮世離れしていると思われるような特徴を持っている人で、「現実離れ」したようなことを自然と連想させてしまうのだ。実際、結婚の話し合い絡みで3人の前から姿を消していた柚葉はヘリコプターで登場し、再び3人を驚かせているが、普通の人はヘリで登場なんてことはしないだろう。これだけで彼女が「普通じゃない」と思われるには十分であることが伝わってくる。

しかし、こうした破天荒なところはあくまで表面的な部分で、柚葉にとっての大切な核は、彼女がヘリコプターから現れた続きのシーンで語られる部分にある。「自分でやり遂げたってことは何もなかったわ」「自分で登ったと言えるものが欲しいの」と語る柚葉。柚葉の声優への挑戦は、彼女にとって自身の力で成し遂げようとする、彼女自身の歩みなのだ。王族との結婚だとか、そういうスケールの話に比べれば声優への挑戦なんて、ほんの小さな出来事なのかもしれない。しかし世界にとってはスケールが小さくとも、柚葉にとってはこれこそが大きな一歩なのである。
新人グループのchun×4として、その鳥のモチーフの通り、彼女たちは初の小さくて狭いステージで飛び上がる。先のヘリコプターに比べてしまえばなんとも小さな跳躍であるが、しかし柚葉たちその人自身が成し遂げた羽ばたきには、きっと大きな意義がある。

アニメの中の破天荒な女の子を「地に足ついた、人並みに悩みがある人間」と描いているだけでも良いのだが、さらに声優のステージを「モニターの向こう側」として描くことで、声優の卵たちが羽ばたいたことを表現しているのもいい。これが表現される柚葉の父が画面の向こうの娘のアイドル姿を見るカットは、一瞬だがとてもいいカットだなと思う。
声優はアニメとの結びつきが強い職業だが、現実とフィクションの境界を軽やかにぴょんと飛び越えてみせたこのエピソードは、声優を題材にしたアニメという立場を存分に活用しているのではないかと感じた。
23年でも印象的だった、素晴らしき「アニメのアニメ」を選出。「やっぱりアニメって素晴らしいわ!はむっ」ほら、柚葉さんもこう言ってる。

薔薇王の葬列 #22『Use your head more, damn brat. Don't die even if you are weak.』

脚本:内田裕基 絵コンテ・演出:羽迫 凱 作画監督:彭 佩琦、小川浩司中山由美、都築裕佳子、小松香苗、スタジオギガ 総作画監督:橋詰 力、前田ゆり子、小森 篤

ウィリアム・シェイクスピアの『ヘンリー六世』および『リチャード三世』を原案とした漫画のアニメ化作品。両性具有の体に苦しむ主人公・リチャード三世が、王座を巡る愛想渦巻く争いへと飲み込まれていく。

終盤に差し掛かるこのエピソードで、リチャードは悲願であったはずの王冠を既に手にしており、イングランドの王として君臨する。しかしそんな地位はリチャードを満たすことがなく、王の栄光とは裏腹にリチャードはただぬくもりに飢え、苦しんでいる。さて、そんなリチャードを支えてきたのが、バッキンガムだ。王としては片腕として支え、そして人として(女として……)愛してきたバッキンガムは、リチャードにとってかけがえのない公私合わせてのパートナーである。しかし、そんな彼もまた苦悩の末に、なんとリチャードと対立することになってしまうのだ。
本作は「原案のシェイクスピア、原作者の菅野先生、どうか勘弁してくれ」と言いたくなるぐらいに辛い展開が続くわけだが、リチャードにとって極めて大きい存在であるバッキンガムとの永遠の別れを描いた今回の話は、中でも特別心が抉られる、悲劇的なエピソードに仕上がっている。

このアニメは正直言ってそこまでリッチな作品ではなく、作風として激しいアクションなどそこまで求められないとは言え、なかなかに省力のアニメだと思う。ではこの作品が大したことのない作品かというと、当然そんな作品を10選に選ぶわけがない。今回のエピソードで特に素晴らしいと思うのはリチャードとバッキンガムの表情の芝居である。互いに心から互いを愛し、そして救い/救われたいと思いながらも、ついに道を違えることになってしまった二人。激情と苦しみ、愛しさと哀しさが渦巻きつつ剣を交える二人の姿には思わず息を飲んでしまうぐらいの迫力がある。作品全体としても、ダークな色彩、耽美なBGM、そして声優陣の熱演……と様々な力によって、リチャードとバッキンガムの物語をこれ以上ないまでに盛り上げている。
またこれは今回の話というよりはシリーズ通してのことだが、”ヘンリー”という名前が巡り巡ってリチャードを狂わせていくこと、バッキンムを救わんと渡した指輪がリチャードに数奇な結末を呼ぶ……といった巧みなストーリーの組み立ても見事だった。

捉えられ、処刑台のバッキンガムが最期に願うことはただ一つ、リチャードとの再会。「もう一度、もう一度、あんたに……」そんな彼の願いを汲んで、リチャードは処刑人に扮し、王自ら彼の首を切り落とす。涙を流すリチャードと、微かに微笑むバッキンガム……。
哀しくも美しい、2022年最高の悲劇を選出。

ヒーラー・ガール 歌唱8 『メイドさんが大好きです・クビよ』

脚本:木村暢 絵コンテ:入江泰浩 演出:高橋正典 作画監督:向川原 憲

歌で人を癒やす、そんな不思議な力があるヒーラーという職業がある世界で、一人前のヒーラーを目指す少女たちの姿を描く作品。こちらは主役3人グループの一人・玲美と、その家のメイドである(いや、厳密にはメイドの格好をなぜかしているだけのお手伝いさんなのだが…)が中心となったエピソードとなっている。
音大生の葵は、そのピアノの才能を認められて海外留学の話が出ているのだが、幼い頃から面倒を見てきた玲美のことが心配でもあり、留学の決心がつかない。先程「なぜかメイドの格好をしている」と書いたが、メイドの装いもピアノの鍵盤と同じ白黒である。二人の過去もフィルムが流れる演出によって、白と黒で接続されている。今回、このようにピアノのモチーフは姿を変え形を変え、そして意味を変えて何度も繰り返されている。
例えば、歌を聞いたものに見える、イメージ世界のヒーラー空間では、ピアノの白鍵が最初として組み上がるが、檻は解体され白い道となる。他にも、葵にとってのメイド服はある種彼女を縛る檻だが、玲美の着るメイド服は葵を送り出そうとする決意の表れだろう。そして玲美の決意を受け止めた葵がヒーラー空間で着るメイド服は、また更に違う意味を感じさせる。白と黒のフィルムで示された二人の過去もまた、葵の玲美への愛情が今度は玲美が葵を送り出す今へと繋がっているように、停滞の檻だけでなく前進の道へと至るものだ。
このように、ピアノもメイド服も過去も、それそのものはただそこにあるだけだが、この受け取り方は登場人物たちの心情によって変化していく。

全編を通じてピアノという楽器の存在感があるエピソードなのだが、何よりも素晴らしいと思うのがそこから発展した音楽の描き方である。クビを告げる玲美や、葵を送り出そうとする玲美はこれを歌で表現するのだが、葵はただ普通に会話をしようとするだけ。ここでは音楽は、噛み合わない、両者の断絶を表現している。一方で二人が溝を乗り越え、玲美の歌に合わせて葵が伴奏のピアノを弾くと、音楽は美しいハーモニーを奏で出す。先程断絶を表現した音楽によって、今度は二人の心が通じ合っていることを感じさせるのだ。
盛り上がりのシーンでBGMも盛り上がる……なんてのは全く珍しい演出でもないが、更に「音楽によって繋がることができない」ということもまた描いていることがいい捻りだ。ハーモニーを生み出すこと、演奏者と観客がいるということ、音楽はただあるだけで完結ではなく、人と人の協力によって美しさが成立する。ピアノが檻から道へと変わるように、音楽という芸術をどう扱うかも人次第なのだろう。音楽の持つ力を神格化しすぎずに、しかしその力強さを表現しているいいバランスの描かれ方だと思う。
そしてこうした音楽のあり方というのは、万能ではないが、しかし寄り添うことで患者を癒やすことができる、ヒーラーのありかたとも繋がっているのだろう。

歌唱による治療を派手なヒーラー空間で表現していることもそうなのだが、音楽を題材にしたアニメを作るにあたって、アニメならではの表現を熱心に模索した作品であると感じている。特に今回は音楽によってアニメーションの中にどのような物語を生み出すことができるのか、ということへの挑戦が感じられる。また、このアニメは一人原画回が頻繁にあることも個性的な作品で、今回も向川原さんの一人原画回である。派手に絵柄が変わるタイプでもないが、それぞれの回に担当者の個性を感じ、毎週とても楽しく見ることができた。
アニメでできることってこんなに色々あるんだと、アニメの新たな可能性を感じさせてくれた本エピソードを選出。

BIRDIE WING -Golf Girls' Story- #8『ファイナル・バレット』

脚本:黒田洋介 絵コンテ:稲垣隆行 演出:霜鳥孝介 作画監督:尾崎正幸、米山浩平、上野泰寛 アクション作監:菊池晃 総作画監督:山﨑正和

女子ゴルフをテーマにしたオリジナル作品。スラム街で日銭を稼ぐ少女イヴは、エリートゴルファーのと出会うことで次第にゴルフへの取り組み方を変化させていく。このエピソードはそんなイヴがいよいよ闇のゴルフから脱し、カタギの世界の光のゴルフに挑まんとする勝負の一戦。イヴの前には、彼女の姉弟子である実力者・ローズが立ちはだかる。

この作品、とにかくケレン味の塊みたいなゴルフシーンが抜群に面白い。イヴがショットの前に「直撃の……ブルー・バレット!」と叫ぶのは脚本の黒田氏の過去作『スクライド』を彷彿とさせるが、技名を叫ばれるだけでまんまと毎回ワクワクしてしまう。勝手な印象ではどちらかといえば絵的には地味なスポーツであったゴルフを、ここまでエンタメ感満載で描けるのか、と驚いてしまった。
さて、イヴとローズの戦いは、いかに相手の心を折るかという戦いだ。二人がゴルフを学んだのは、同じレオという男の元。度々回想にて振り返られる、レオの「弾丸を装填し、撃鉄を上げ、狙いを定め、トリガーを引き、バレルから解き放て」という言葉は、一撃で相手の心を折るレオなりのゴルフ哲学が詰まった言葉だろう。イヴとローズ、二人がショットに「ブルー・バレット」や「ローズ・バレット」と名付けているのも、こうした師の教え故だ。
今回のエピソード名である「ファイナル・バレット」という弾丸はいかにして、そして果たして誰の心を撃ち抜くのか……一進一退の攻防から目が離せないスリリングな回である。

最終的にはイヴがその勝負強さを見せつける。かつてローズからやられたテクニックの意趣返しと言わんばかりに、ローズのボールに自分のボールをぶつけることで鮮やかにホールイン。様々なしがらみを振り切って、栄光の表のゴルフの世界へと進むイヴと仲間たちの様子は爽快感あふれるものだ。
とはいえ、このエピソードの空気感を支配しているのはむしろローズの側の物語だろう。イヴに敗北して闇の世界で朽ち果てる彼女の悲哀こそが、このエピソードにおいては無視できないぐらいに色濃く描かれている。
ローズは想像する。賭けゴルフに手を出さず、表の世界でまっとうに競技ゴルフに打ち込んだ自分の未来はどのようなものだっただろうか、と。「表の世界に行こうとしているお前(イヴ)に勝てば、俺は今までの人生を後悔できる!」哀愁と気迫の入り混じったこのローズのセリフのセンスが凄まじい。しかしイヴの強烈な弾丸は、そうした彼女の淡い妄想をも打ち砕いていくのだった。イヴとローズ、姉妹弟子でありながらも光と闇に別れた彼女たちの顛末は、強烈な明暗によるコントラストを生み出し、このエピソードを印象深いものにしている。

勝負の後、諦めの混じった表情で黄昏れるローズ。そんな彼女の元に現れるヒットマンと、鳴り響く銃声の音。ファイナル・バレットの無慈悲さは、ただただイヴの圧倒的な強さという、鮮烈な印象を与え、我々の心をも撃ち抜いている。
演出の派手さに脚本のキレと、まさに弾丸の如き鋭さを持った完成度の高さがある。この強さを前に選出しないのは嘘だろう、と思わされてしまったエピソード。

連盟空軍航空魔法音楽隊ルミナスウィッチーズ 第11話『わたしとみんなのうた

脚本:森悠 絵コンテ:川畑喬/佐伯昭志 演出:松村幸治 作画監督:清水勝祐、細田沙織、和田賢人、綾部美穂、鮫島寿志、関口渚、浅井昭人、上野あさみ

ストライクウィッチーズから派生したワールドウィッチーズシリーズの一作。ストライクをはじめ多くのシリーズ作品は謎の怪物ネウロイと戦うバトル作品なのだが、本作は落ちこぼれゆえあまり戦うことはせず、代わりに戦火の中歌で人々を癒すことが役割のウィッチたちが主人公という異色作。
さて、終盤にさしかかるこのエピソードでは、主人公ウィッチーズの一人であるジニーが部隊を辞めてしまうというシーンから始まる。使い魔のモフィを同族の元に、すなわち本来居るべき場所と思われるところへと還してしまったことで、ジニーはウィッチとしての力が使えなくなってしまったのだ。普段から明るく部隊のムードメーカー的な彼女であったが、あっけらかんと振る舞う彼女の姿に、今はいたたまれなさを感じてしまう。去り際の彼女が語る「わたし、最初からウィッチじゃなかったんだと思います」の言葉の痛々しさたるや。ここにきて、作品はジニーの内面の空虚さに本格的に切り込んでいく。ルミナス部隊の面々もジニーが去ったことで、一様に悲痛な表情を見せている。


ポンコツの自分はどこにいるべきなのかわからない。ジニーは歌を歌ってここまで来たが、形のない歌は相手の心に届いているかがわからない。人々の輪の中にいるようでいてどこか孤独を感じているジニーの悩みは、私たちも少なからず感じたことがある普遍的なものだと思うが、それだけに胸に突き刺さる。しかし今回、街の人たちが楽しそうにルミナスの歌を歌うことで、ジニーは今度は受け手側へと回ることになる。それは紛れもない、ルミナスの歌が人々に届いたということの現れである、人々からルミナスのジニーへのお返しのメッセージだ。歌を聞いたジニーは、ルミナスに居た頃の思い出を振り返りながら涙を流す。
他のルミナスの面々も面々で、この裏で衣装だとかフォーメーションだとかをジニーが居る前提で進めてしまっているのもいい。才能も役割もなく、ただ「そこにいたい」と思え、そして自分が受け入れられる居場所があることのなんと幸福なことだろうか。もうジニーは迷わず、自分のいるべき場所へと駆け出していく。


脚本:森悠、監督:佐伯昭志の二人が組むのは「放課後のプレアデ』以来となるが、少女の心情を繊細に掬い上げるその手腕は健在。一人去ろうとするジニーが電車に乗り合わせた少女と交わす「行き先間違えちゃったの?」「え? ……うん、そうかも」のセリフ回しなんて最高にいい。
数人ずつ交互に担当していたエンディング歌唱で、再びルミナスウィッチーズが揃った今回のエンディングのクレジットが「わたしとみんなのうた / ルミナスウィッチーズ」というのもズルすぎる。アニメの端から端まで全部を使って視聴者を参らせてやろうという気概を感じる。
直接戦って人々の命を守ることに比べると、歌の持つ力はとても曖昧だ。しかしそれでもこうした”無駄”なことこそ、命の次に生きていく上でなくてはならないことなのだと私は思う。
アニメという娯楽がこんなにも心を震わせることで、本作は文化の持つ力を描くことに成功しているのではないか、とすら感じる。選出の理由としては、もうこれだけで十分ではなかろうか。

Extreme Hearts 第12話『SUNRISE』

脚本:都築真紀 絵コンテ:岩畑剛一、西村純二 演出:細田雅弘、深瀬重 作画監督:橋本貴吉、関根千奈未、鞠野黄英、ジョンヒジン、平田賢一 総作画監督:新垣一成、奥田泰弘

スポーツ大会×アイドルステージという一風変わった興行企画「Extreme Hearts」にて戦う少女たちの一夏を描いた作品。売れないソロミュージシャンの葉山陽和が、仲間とともにチーム「RISE」として大会に挑む。要素の多さにも負けずに、スポーツにアイドルに……と両者を描ききった手腕はお見事。


さて、最終回の12話は11話の決勝大会の後、勝利チームたちによるライブステージの回。前話の決勝大会のバスケットボールは画的なカロリーコントロールをしつつも緊迫感のある試合運びが巧かったが、一方でライブの魅せ方はたっぷり枚数も使った、凝縮した瞬発力で抜群に魅せる。華やかなライティングや、迫力のあるカメラワークも相まって、映像としてかなり見ごたえのあるものに仕上がったライブシーンは必見の出来だ。
敗退したとはいえ、主人公グループのRISEより、前座を務める先輩グループのMay-Beeの方がステージのクオリティが高いのもリアリティがあって面白い。スポーツにしろライブにしろ、本作はこれらをショーとしての側面で繋げている作品であるから、映像のクオリティがそのまま作品の説得力にも繋がっている。
では本命の主人公チーム・RISEはどのようなパフォーマンスで対抗したのか。この最終回では改めて主人公の葉山陽和のパーソナルな部分が掘り下げられる。苦楽をともにしたRISEのメンバーたちでも、陽和が感情を激しく出しているところを見たことがないという。そして、視聴者にとっても陽和の印象は同じだっただろう。自らのアーティスト人生を諦めることを良しとせず、ハイパースポーツという新たな世界に果敢に挑んでいた陽和。しかしいつも柔和な表情を浮かべる彼女から受ける印象は、ストイックさとは裏腹に常に穏やかなものであった。
そんな気丈な陽和も、この最後の最後のステージでは、ついにその表情を崩して涙を流してしまう。陽和がここまで常に外行きの姿しか見せてこなかったのは、ショーに対しての彼女のストイックなプロ意識でもあるのだろう。ショー的にはやや反則気味でもあるこの展開に、しかし、見る側としてはどうしようもなく心を打たれてしまった。陽和が涙を流す、ただこれだけで彼女の感慨のあまりの大きさは、けして言葉で語らずとも、雄弁な映像が何よりも物語っている。

とにかく、最終回のライブシーンには思いっきり引き込まれた。歌唱が始まればテレビの前で盛り上がり、そして陽和が泣き崩れたときには思わず固唾を呑んで拳を握りしめてしまった。そこからの陽和の会場・ステージ全てに向かっての「みんな、大好き!」という言葉の感動たるや。まるでリアルなライブステージを見ているような錯覚をしてしまったぐらい、真に迫るライブシーンであった。
アニメーション体験として、22年の中でも最も鮮烈なインパクトを残した本エピソードを選出。

シュート!Goal to the Future 第11話『左足』

脚本:いよく直人 絵コンテ:中村憲由 演出:中村憲由 作画監督:Nyki Ikyn、片岡恵美子、西川真人、赤尾良太郎、飯飼一幸、美空 総作画監督:杉村苑実

90年代に週刊少年マガジンで連載したサッカー漫画「シュート!」をベースにしたオリジナル作品。大人になった原作キャラも交えつつ、後の世代の掛川イレブンを描く。

このアニメ、兎にも角にも勢いが凄まじい。登場人物が集中線の演出を多用しながら大声で叫び続ける様子は、1話を見た時はかなり面食らった。しかし次第と視聴者もその熱さに引き込まれてしまう、不思議な魅力がある。
ブログでこんなことを書くのも本末転倒だが、これを言葉を尽くして説明しようとしてもなかなか難しい。実際この回も、派手にBGMで盛り上げ、咆哮しながらシュートを決めているが、見ているとこちらも「うおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!」と叫んでしまう。音楽と映像のテンションが一体となったアニメとしてのダイナミックなあり方には、唯一無二の個性を感じる。

演出面のみならずお話としても非常にアツい回だ。チームメンバーの昴流との仲違いにより、サッカー部を離れることになってしまった主人公の秀人。他のメンバーが試合に挑む中、一人孤独にボールの壁打ちをしていた秀人だったが、そんな彼の元に見知らぬ男性が現れる。この謎の男性こそ、黄金時代の掛川イレブンのメンバー、田仲俊彦その人。ここで俊彦からシュートの技能を秀人が学ぶ……というシーンなのだが、技術面よりも更に大切なのは、ここで再び登場する「サッカー好きか?」という問い掛けだ。原作から受け継ぎ、何度も繰り返し問われてきたこの言葉を、原作主人公の俊彦と出会った秀人が、再び噛みしめる。お話的にも、そして作品としての立ち位置としても、過去を受け継ぎ、新たな世代へと繋げる……という本作のあり方を象徴するシーンでもあるだろう。
愚直にこの「サッカー好きか?」というテーマを描いてきた本作だが、だからこそチームスポーツであるサッカーにおいて、仲違いが大きな壁となることにも納得感がある。仲間とともにサッカーをやる、サッカーでうまくなることを目指すことのまっすぐな喜びというのは、本作で何度も描かれている。
自身のいるべきチームのことを改めて振り返り、試合中の会場へと駆け出す秀人。そんな秀人を前に涙ながらに謝罪する昴流。周囲のチームメイトも口々に秀人の復帰を嘆願するが、そんな中監督は不敵に笑う。「いつ辻がサッカー部を辞めたんだよ?」と懐から取り出される退部届。大喜びしながら全員で退部届をビリビリに破く……。掛け値なしに名シーンだ。
一見冗談みたいに思えてしまえるぐらいのガムシャラさこそが、本作の持ち味であり、そしてなによりも美点であると思う。

わたしは放送アニメは一応それなりには本数を見ていると思うのだが、シュート! GtFみたいな面白さを感じるアニメはなかなかない。はっきり言って22年を代表すると言っても過言ではないスポーツアニメだと思う。それはもう、選ぶしかないだろう。

てっぺんっ!!!!!!!!!!!!!!! #5 『ランプの章』

脚本:熊谷純 絵コンテ・演出:渡部穏寛 作画監督:上西麻耶、清水勝祐、星野玲香、STUDIO MASSKET 総作画監督:北村友幸

お笑い選手権「てっぺんグランプリ」での優勝を目指し、切磋琢磨(?)する少女たちを描いたコメディ作。5話ではキャラ付けのために宇宙人という設定を持つ北海道出身のグループ「シンリャクシャ」のエピソードである(ちなみに、一人は本当の宇宙人だ)

この5話はほとんどが北海道を走るバスの中のみという狭い空間で繰り広げられる。シンリャクシャの3人のとりとめのない会話の中で不意に語られる「北海道七不思議」の話。なぜか時間がループするこのバスの中に閉じ込められてしまった六香亭ゆいなは、この都市伝説を会話の中で見つけ出し、「ポルターガイストっしょ!」などと的確なツッコミを入れなくては脱出できなくなってしまう。つまり、会話のみで成り立つ本エピソードは、北海道七不思議をテーマとした漫才を、ゆいなのツッコミの力で成立させなくてはならない回なのである。漫才を題材にしつつそれをどうアニメに落とし込むのか……というアイデアの面白さが光っている。
またそれのみならず、ゆいなが宇宙人を意識した長い芸名をループの中で覚える成長エピソードや、それでいて最後の最後の宇宙人絡みのネタではしょーもない失敗をしてしまってふりだしに戻るオチ……という構成も良く、完成度が高い。

ほとんどが会話シーンという削ぎ落とされたシンプルな回ながら、テンポのよいツッコミには思いっきり笑わされるし、そして同時にゆいなが正しくツッコめるのか、という緊張感もある。こんなにバカバカしいシチュエーションなのに、ゆいなが失敗した時には「ああ〜っ!」と思わず声を上げてしまいそうになるほど引き込まれてしまった。
洗練された喋りの応酬の面白さというのはまさに漫才的と言えるかもしれない。しかし、単にアニメでの漫才の再現めいているだけに留まらず、この奇妙で突拍子もない設定に引き込まれるのは、元々作りものの媒体である、アニメならではの部分もあるだろう。面白い漫才が見たかったら実際の漫才を見ればいいじゃん、とはならない、アニメで漫才をやるという意義が、ここにはあるのではないだろうか。
ここまで面白いアニメーション漫才が成立するのか!という驚きと、そして漫才を表現するにあたってアニメの演出の幅広さを感じさせてくれた、意欲あふれるこのエピソードを選出。

後宮の烏 第一三話『想夫香』

脚本:大島里美 絵コンテ:宮脇千鶴 演出:康村 諒 作画監督:諏訪可奈恵、高倉香恵、上野泰寛、和田伸一、新田綾子、服部憲知、飯飼一幸、長谷川一生、川辺雄介、MICO、張 民浩、金 信友、朴 守福、竹内進二

後宮の奥深く、妃でありながら夜伽をすることのない、「烏妃(うひ)」と呼ばれる特別な妃が住んでいる――」後宮を舞台に不思議な力で事件の謎を解いていく、当代の烏妃・柳寿雪(りゅうじゅせつ)と、帝の夏高峻(かこうしゅん)を中心とした、中華ファンタジー小説のアニメ化作品。中国風舞台ならではのビジュアルの美しさがあり、華やかなアニメに仕上がっている。

この作品は後宮を舞台にしつつも、この後宮という場所を単なる美しい場所としては描かない。帝という権力者の寵愛を受けるはずの妃たちの住まう後宮は、一見華々しい場所であるが、反面女性たちの自由を奪う檻でもあるのだ。本作に登場する妃は様々な経緯でこの後宮に住まうことになるのだが、望まずにそうなってしまった者や、それによって心を病んでしまったものも珍しくはない。
先代の烏妃である麗娘(れいじょう)もまた、後宮に苦しめられた一人であったことが語られる。烏漣娘娘(うれんにゃんにゃん)なる奇妙な鳥に選ばれた少女は、望む望まざるにかかわらず烏妃とならなくてはならないのだ。そして最終回である今回、寿雪を何度か危機に陥れたその黒幕が明かされる。その人こそ高峻らにも度々助言をしてきた老人、薛魚泳(せつぎょえい)であった。魚泳の目的は一つ。烏漣娘娘を代々体に宿している烏妃を殺害し、かつて慕った麗娘を不幸にしたこの烏妃のシステムに、終止符を打とうとしていたのだった。

個々人の人となりを抑え込み、帝、妃、宦官……と言った、単なる役割に押し込んでしまうことのシステムの冷たさを本作品は描いている。しかし更にこの作品がもう一歩踏み込んで描くことは、そうした役割を超えた人の繋がりや、暖かさである。
一人孤独に死んだであろう麗娘のことを想い、魚泳はぶつけようのない怒りを顕にする。しかしそんな麗娘の生涯は本当に孤独なだけのものであったのだろうか。烏妃として、寿雪を慈しみ育てた麗娘にも、確かに感じられるぬくもりがあった。それは何よりも、ここにいる寿雪が健やかに優しく育ったことが証拠である、と高峻は説く。システムだけを見ていた魚泳は、このことに気がつくことができなかったのだ。
最終回のもう一つの印象的なシーンとして、高峻が亡くなった一人の妃を想い、その妃の父の前で涙を流すというものがある。帝という立場を超えたその姿は、もう一つの役割を超えた人の愛情のありかたを描いている。高峻は誰よりも尊いはずのその帝という身分を脇に起き、ただ一人の人間が亡くなったことを追悼しているのだ。

本作で毎回語られる「夜伽をしない妃」という言葉がある。これこそが帝と妃の、いや更に男と女の関係すらも脱却して、対等な友として寄り添う寿雪と高峻の繋がりを象徴している言葉なのである。最終回で、帝と妃でありながら性行為を伴わず、ただ手を握って夜を明かす、二人の間には暖かい時間が流れている。
振り返れば振り返るほど、とにかく本作の描く人間模様が私は大好きだった。どうしても22年のアニメを選ぶにあたってこの作品を入れたかった……という理由で、この回を選出する。

不徳のギルド #7『ムリゲー/ミントアイス』

脚本:筆安一幸 絵コンテ・演出:榊原大河 作画監督ごとうじゅんじ榊原大河、神田岳、岩崎令奈、清水勝祐、渡辺はるか、小七、王佳涵、谢雨朦

華やかな出会いを求めるべくギルドを辞め、そのために後継者を育成しようとするも、後輩がポンコツ揃いでうまくいかない若きギルドのエースの青年・キクルを中心としたお色気コメディ。本来危険なはずのモンスターたちなのだが、何故かヒロインたちに対しては性的な凌辱行為を行い、毎回エッチなハプニングが起こってしまう……という作りになっている。

お色気作品と侮ることなかれ。キクルと後輩の無気力系ヒロイン・トキシッコが主となって繰り広げられる、大型のクモ型モンスター「ヨケグモ(これは種族名で、後にカミカイヒとのネームが付く)」との戦闘はかなり見応えがあり、初見のときはこの作品の手札の多さに驚かされたものだ。原作でもこのエピソードを皮切りに、強敵との手に汗握る戦闘のエピソードが度々登場しているのだが、このアニメ化でも十二分にその迫力を表現している。
ヨケグモから急襲されるあたりの一連のアニメーションが非常に気持ちいい。「いつものように気の抜けた会話をするトキシッコの顔に陰がかかる」→「突然奇襲をかけるヨケグモを、すんでのところでトキシッコをかばうキクル」→「ヨケグモの攻撃を最小限の動きで逸らすキクル」というこれらのアクションに目を奪われてしまった。この静→動→静の緩急の演出でキクルの強さが伊達ではないことを表現することに、ただただ痺れてしまう。今回のアクションシーンの原画は、絵コンテ・演出を担当している榊原氏が手掛けているということで氏の活躍っぷりが感じ取れる*1が、今回が初演出初コンテというのだから恐れ入る。*2


不徳のギルドの更に凄いところはアクションの上手さのみならず、こういう回でもバッチリお色気シーンも組み込んでくるところだと思う。普段怠惰で生意気なトキシッコが、いざキクルが倒れると狼狽して、献身的に自身の能力を使って解毒をする可愛らしさといったら。筆者はそれはもう決意の固いメイデナ派なのだが、今回ばかりはトキシッコの魅力に信条を曲げそうになってしまったぐらいだ。ここでトキシッコの由来が「Toxic(毒)」である、と明かされる設定の開示の仕方も面白い。
それにしたって普段のキクルへの「ダンナ」呼びがここぞというタイミングで「ダンナ様」になるのはさぁ、やりすぎだろうがよ、トキシッコ。ミントアイスってタイトルが「ミントの歯磨きを使っていたトキシッコの唾液」の味だと思わないじゃん。なぁ。

22年秋クール、いや22年を代表すると言っても過言ではない作品『不徳のギルド』の、中でもその魅力がぎっしりと詰まったエピソードを選出する。余談だが、この記事を書いている時に「アクションにお色気、両方の最高のキャプチャ画像を探さねば……!」と意気込んだものの、流石にお色気シーンはほとんどがエッチすぎて使えなくて困ってしまった。数年単話10選ブログを書いているが、エッチすぎて画像に困るというのは初の出来事であった。落ち込みっぷりがかわいいトキシッコで今回は勘弁して欲しい。

おわりに

ということで、以上が2022年のアニメ単話10選である。なんとか1月中には記事にすることができて、安堵している。
振り返ってみると、ヒーラー・ガール / Extreme Hearts / ルミナスウィッチーズと、音楽が絡んだ演出を高く評価している作品を多く選ぶことになった。
あとは振り返っていて後宮の烏は性行為が伴わないのがいい」「不徳のギルドはエッチなアニメでよかった」という感じの流れになっていて自分で笑ってしまった。アニメには様々な好ましさがあり、いろいろな形での評価点があるのだなぁ。2022年はおおまかに130本ぐらいアニメを見ていたようだが、これだけ見ても常に新鮮な面白さを感じさせてくれるアニメという存在には感謝してもしきれない。もちろん、2023年の冬クールのアニメにも夢中だ。
ということで、2023年もアニメを見ていきましょう。

それではまた、23年の10選記事で……。

おまけ:惜しくも選外となったアニメ10本

その着せ替え人形は恋をする #7『逆光、オススメです』
Aの廃墟の薄暗い色使いから、Bの海のシーンの淡さがドラマチックで良い。恋に落ちる瞬間をカメラで捉える、なんともベタな青春ムービーがパワフルなアニメーションで描かれる。ジュジュ様がハチャメチャにかわいい回なのも嬉しい。

平家物語 第9話『平家流るる』
吹きこぼれる釜に溢れる涙と、水によって人の心が表現されるのは、平家が壇ノ浦にて最期を迎えるからというモチーフの採用だろうか。歴史に残らない平家の日常と、ただ生きた人々が歴史という大きなうねりに飲まれて行くことの切なさ。『敦盛』はあまりにも有名な物語だが、今の今まであの若武者が敦盛であることに気が付かず、見ていた時は愕然としてしまった。

怪人開発部の黒井津さん #10 魂を誘惑する魔性の者が、自らの存在に惑い迷い溺れる時、混沌をもたらしたその存在の概念こそが悪魔と呼ばれる
マミーちゃんがアイドルとして頑張る姿に思わず心を打たれてしまう回。本作が描いてきた、怪人が目的を超えて一つの人として自由に生きること、というテーマはとてもいいなと思うし、その良さがギュッと詰まった回だろう。大本である特撮へのリスペクトを大いに感じるのも嬉しい。

スローループ 第11話『大切なもの』
原作から好きなエピソードなのだが、この作品は撮影が良く、自然とキャラクターの調和がとてもいい具合に映像になっているのが美点だなと思う。吉永恋、本当にお前というやつは……。アニメとは関係ない話題で恐縮なのだが、嶺内さんが22年いっぱいで声優を廃業されてしまったが、そういう意味でもここで振り返っておいて良かったと感じた。

阿波連さんははかれない 第12話『果たし合いじゃね?』
すれ違いコメディを「すれ違っても寄り添っていけるし、いいよね」なんて描き方をされると思っておらず、この幸福なコミュニケーションの描き方に参ってしまった作品。グランドフィナーレたる最終話でありつつも、普段のように大変くだらないコメディもガンガンやってくれるのが嬉しい最終回。

おにぱん! #10『おにっ子☆チャンネルはじめました』
Youtube配信回からホラーに移り変わっていくというアイデアが非常に面白い。おはスタ内で放送の本作は短いシーンを組み合わせて15分のアニメになっているという構成なのだが、次第にホラーになっていく怖さはこの作りをも活用した名エピソードだろう。ホラー回のあるアニメは名作。

であいもん 第一二話『春暁に鯛』
この作品の特に良いと思うことは、一果のかわいさがそのまま物語のカタルシスになっていることだ。背伸びして「大人びた物わかりのよさ」とでも言うべき仮面を被っていた一果が、次第に柔らかくなっていくことの嬉しさ。つまり「一果たむ、萌え!!!!!!!!!!!」などと叫ぶ視聴スタイルが、なんと作品の物語の良さを噛みしめることにも繋がっているのだ。萌えアニメ、かくあるべしかもしれない。もちろんお話としても最終回は最高にいい。一果が和を緩やかに父親のような存在として認める暖かさ。アニメはここで終わりだったが、別れた本当の父との再会は「今はその時ではない(いずれ来るだろう)」という柔らかさもまた、とてもいい締め方だなと思った。

ちみも 第4話『地獄の姉妹バトル / 芸術が爆発して地獄だ!』
丸くて伸びるおもちのようなファンシーな地獄の生物、ちみものユニークな動きがとても楽しいアニメ作品。今回はちみもが合体して巨大な怪獣やロボットになるといったシーンだったりと、特にちみもの動かし方のアイデアが好きだった回だ。Aパートの姉妹喧嘩に、ちみもを間違えて芸術品収集おじさんに売ってしまったはづきが守銭奴ながら買い戻すBパートと、お話もハートフルで良い。赤パン青パンのちみも不在の自室で寂しげに佇むはづきのワンカットがお気に入り。

神クズ☆アイドル STAGE.09
「なんか……今日ここに来て、(アイドル)辞めなくてよかったなって、思います」仁淀くんのこのセリフにこのアニメの良さ全部詰まってるよなぁと思う。クズと名の付くタイトルとは裏腹に、アイドルというテーマをものすごく暖かく描いているアニメだった。たっぷり描かれるオタクたちの姿も良い。

ヤマノススメ Next Summit #12『行こう!新しい頂きへ』
ヤマノススメはシーズンを重ねるごとにクオリティが上がっていて、このNext Summitなんて絵も話も本当に最高、ヤマノススメがいよいよ30分アニメになったらそれはもう無敵じゃん、という風格があった。最終回はあおいが富士山リベンジする回なのだが、ご来光のシーンの美しさ、未来の自分への手紙、そして羊羹と本当にいいシーンがいくつもあり、10選入りさせるかどうか最後の最後まで迷った。ヤマノススメは毎回選びたくなってしまうから、毎年の10選を振り返るとヤマノススメばっかりになってしまいそうだし、今回はシリーズの積み重ねとしての最終回の頂きであることも加味しつつ、22年は後進のアニメに席を譲って頂いた。