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TVアニメ『Extreme Hearts』が「拡張」したものについて

はじめに

22年夏、好きだった作品に『Extreme Hearts』というアニメがある。

exhearts.com


このアニメは「スポーツ×音楽」という異色のジャンルの組み合わせの作品であった。この少々奇異な2つの活動に挑むのは、売れないソロミュージシャンの主人公・葉山陽和である。事務所からの契約を打ち切られてしまった彼女は、一縷の望みをかけて芸能人のスポーツ大会「エクストリームハーツ」へと挑戦する。
大会にて迎えた一回戦のフットサル、相手のチームプレイに陽和は苦戦する。しかし、そんな彼女のボールを突如として受け取る選手が飛び出してくる。熱心に練習に付き合ってくれた前原純華、そしてアーティスト葉山陽和のファンでもあった小鷹咲希。この3人によるRISEというチームが結成されるのが、本作の第1話のクライマックスである。

このシーンは何度見返しても良いシーンだと感じる。一人だった陽和が、初挑戦のスポーツに、そして音楽活動に……と共に取り組めるチーム「RISE」としての一歩を踏み出した瞬間がここでドラマチックに描かれている。エンディングで本作のオープニングテーマである「インフィニット」が流れるという演出も、ここからはじまる物語を感じさせる。
さて、ここで作品としてはじまりを告げる、第1話のクライマックスとして配置されているのは、陽和のボールが誰かに受け取られること、なのである。陽和が出したボールは、咲希、純華へとつながっていき、そしてRISEのさらなる追加メンバーである橘雪乃や小日向理瀬に、更にはMay-BeeやSnow Wolfといった別のチームへともつながっていく。
作品について考えているうちに、この「パスが 、届き、広がる」という一連の動きこそが『Extreme Hearts』を構成する欠かせない要素であり、作品の1話から最終話にいたるまでの流れには、いくつものこの「繋がり」からの「拡張」が見いだせるのではないかと考えた。
この記事ではこの「拡張」の要素を拾い上げながら、この作品がいかに、そしてどこまで”広がって”いったのか、ということについて語っていきたい。

なお、本記事ではアニメ作品の『エクストリームハーツ』と、その作中のスポーツ大会「エクストリームハーツ」について語ることになる。その区別をつけるために、アニメ作品を『Extreme Hearts』、作中スポーツ大会を「エクストリームハーツ」と使い分けることとする。

『Extreme Hearts』の描くスポーツ

スポーツの横の繋がり

『Extreme Hearts』は「スポーツ×音楽」という正反対……とまではいかないにしろ、それぞれ一つの要素を描き切るだけでも骨が折れそうで、かつ1クールとしては十分な題材だろう、というテーマをかけ合わせた挑戦的な企画だった。更にこのスポーツというジャンルは更に野球にバスケットボールにバレーボールに……と様々な競技にチャレンジするというのだから、想像するだけでも大変なアニメ制作に思える。
本作の監督を手掛けるのは『ViVid Strike!』『バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~』の西村純二監督。監督としてはかなりのベテランの西村監督を持ってしても、この作品の手の広げっぷりは事実大変だったようだ。

――『ExH』の企画概要に触れた感想はどのようなものでしたか。
西村 いまだからいえるけれど、最初に企画書を見せていただいたときに「こんなものすごく大変そうな作品を本気でやるんですか!?」と思いましたね。まず、他種目のスポーツに挑む話で、細かいものも含めると10種目ぐらい描く。そして主人公チーム以外にもライバルチームの女の子も含めて、キャラクターが数十人出てくる。さらに本格的なライブシーンも全12話中に3~4本入る。正直いってこれは無理なんじゃないかと。


メガミマガジン2022年11月号 『Extreme Hearts』Staff Interview.03 監督 西村純二 キャラクターデザイン・総作画監督 新垣一成)

「各種スポーツ」と、更に「音楽」の組み合わせ。本来交わることのないこれらをあえて結ぶことには、やはり横の繋がりを「拡張」していこうとする、本作の姿勢が感じ取れる。
とはいえ、ここで一旦「スポーツ」と「音楽」という2つのジャンルを挙げたわけだが、当然この「スポーツ」というものも多岐にわたる。膨大な種目を内包するスポーツというものを網羅的に描こうとすることにも、横のつながりを見出すことができる。
そこでまずは、このスポーツの中において、多くの「繋がり」からの「拡張」を見出せるということについて、書いておきたい。

さて、繋がる対象を際限なく広げるということは、プレイヤーとしてのレベルを相手に合わせていく、レベルを下げていくということが必要になってくると考えられる。例えば、レベルを上げてトーナメントで勝ち上がっていくことは、さながらピラミッドの頂点を目指すということになる。であれば、ハイレベルになればなるほど、同じ横のフィールドに並び立つ存在は少なくなっていくのだ。
『Extreme Hearts』は「エクストリームハーツ」という大会で戦っていくストーリーなのだが、本来であれば、この大会の勝者というものは唯一栄光を手にすることができる代わりに、孤高であるはずだ。現に『Extreme Hearts』の主人公チームであるRISEは「登っていくしかない」という野心的にも思えるモチベーションからその名前がつけられている(1話)。実際に、芸能人としての復帰をかけたRISEと、そして陽和は負けると後がない、ギリギリの崖っぷちにいるとも言える。

懸命に練習を行う陽和たち
(S×S×S #1)

一見すると、このRISEの姿勢とこの記事で取り上げようとしている「繋がり」そして「拡張」というものは、それこそ"繋がらない"もののように思える。
しかし、作中でそんなRISEの活動を通じて描かれているのは、やはり横の繋がりの獲得であり、そしてそれはスポーツなどの活動を「楽しむ」「遊ぶ」ということで表現されているのだ。
それでは、そんな言わば「縦の蹴落とし合い」と「横の繋がり」の両者を本作はどう描き、そして両立させてきたのか。そこには、本作の設定の根幹である「エクストリームギア」という存在が大きく関わってくる。

「競技」よりも「娯楽」……弱い立場に寄り添うシーンのあり方

まずは本作の目指した物語がどこにあるのか、ということについて、原作・脚本を手掛ける都築真紀氏がインタビューで語っていることがある。
ここをベースに、本作がどのようにスポーツを描いてきたのか、ということについて振り返っていこう。

――複数の競技にすることで、どんな物語をめざしたのでしょうか。
本作の競技パートでめざしたのは、そういったストイックなスポーツものではなくて「それが本業やすべてではない子たちが限られた練習時間のなかで挑む、それでも感じられるスポーツの楽しさや情熱」です。だから誰でもいろんなスポーツを気軽に楽しむことができるホビー競技と、サポートグッズという設定、そしてアスリートではなく一般人に近い主人公たちが「本業をたりながら未経験の競技にも挑戦する」という構図をわかりやすくする意味も含めて複数の競技を設定しました。


メガミマガジン2022年11月号 『Extreme Hearts』Staff Interview.01 原作・脚本 都築真紀

本作が目指す、「ストイックなスポーツもの」ではないという姿勢。これはすなわち「楽しむ」「遊ぶ」ことの強調に繋がってくるだろう。とはいえ「勝つ」ことが重要な芸能人スポーツ大会において、あえてスポーツの娯楽としての側面を強調するということにはギャップがある。実際に「勝たなければ終わり」という過酷なフィールドにおいて、「遊ぶ」「楽しむ」というスポーツのあり方は両立できることなのだろうか。競技志向的な姿勢というのは、否応なしに出てくるものなのではないか。
作品としてもそのあたりは折込済みのようで、むしろ1話の段階ではハイパースポーツの大会の厳しさが語られ、半端な気持ちでやっていける甘い世界ではない、と引き締めている。

咲希「はっきり言います。ハイパースポーツの道は、すごく厳しいです。エクストリームギアの助けがあるとは言え、やっぱり、選手の能力が何より大切なんです。しかも、陽和先輩が出る大会は、毎回別のスポーツで戦う複合競技型……。一番大変なルールです。高校生の歌手が、いきなり参加してなんとかなるような世界じゃないですよ」


(Extreme Hearts 1話)

咲希「好きでやってる子たちだってそうなんです! 生活をかけて勝たなきゃいけない試合なんて、きっとすごく辛い思いをします……陽和先輩には、辛い思いをして欲しくない!」


(Extreme Hearts 1話)

咲希「やるだけ無駄だって言ってるんです! 勝負の世界は、そんなに甘いものじゃない!」


(Extreme Hearts 1話)

本編中でも珍しいぐらいに、咲希が陽和に向かって強い口調でハイパースポーツ大会の過酷さを説いている。前述の通り「遊び」の要素が強調されることも多い本作は、アニメ全体を通じてどちらかといえば和やかなシーンが多い印象があるのだが、1話を見返してみるとここまで大会の過酷さを強調しているのか、と驚くぐらいだ。

それではスポーツを「遊ぶ」「楽しむ」側についてはどのように描かれているのか。続く2話で陽和の様子を、純華は咲希との会話の中でこう評している。

咲希「心配だよ~、オーバーワークで怪我でもしたら大変だし」
純華「ん~でも多分、ひよりんは大丈夫。追い詰められて、無茶をしてるんなら、そりゃ止めなきゃならないけど、ひよりんは違うしね」
咲希「そうかなぁ……」
純華「咲希も、サッカーを始めたばかりの頃のこと、思い出すといいよ! ひよりん、いまその状態だから」


(Extreme Hearts 2話)

本作はけして努力(頑張る)ことを遊び(楽しむ)ことの対極においてはいない。何かを始めた時の真新しい挑戦の楽しさを、おそらく今の陽和は持っている。このビギナーならではのがむしゃらさを、スポーツ経験者の純華は無茶をしていないから大丈夫と見守っている。
これは先に引用した、第1話の咲希の持つ大会やスポーツへのイメージの返答となっていると思われる。咲希の引退の経緯については詳しいことは語られていないが、恐らく彼女のサッカー引退にまつわる出来事としては「サッカーで色々辛い思いをして競技から離れちゃった」(7話)とあるように「苦しみが楽しみを超えた」というようなところがあったのだろうと想像できる。「勝つ」ということ、それもハイレベルな大会における成功を第一に据えた場合、やはりトレーニングの過酷さはつきまとうし、更に負けた時には苦しさが楽しさを上回ってしまうことには納得がある。だからこその「勝負の世界はそんなに甘くない」という言葉でもあるのだろう。咲希が陽和のハイパースポーツへの挑戦で危惧しているのは、そこに「芸能活動への復帰」すなわち、勝利が必ず必要なことが第一にあると、咲希が思っていたからだと考えられる。
しかし、もう陽和はスポーツの楽しさに目覚めており、彼女のスポーツに取り組む姿勢は健全であることが強調されている。こうした部分については、インタビューで語られる「ストイックなスポーツもの」ではないということとも繋がっている。

ストイックに競技に挑み、挫折を経験した咲希
(Extreme Hearts 7話)

無理をしない程度に適度にスポーツに取り組み、そして努力してうまくなること、勝てるようになることの面白さは当然あるだろう。とはいえまだこれだけでは競技志向の域を脱していない感がある。勝つための競技として取り組んでいるからといって、スポーツが辛く苦しいためだけのものでは、そもそも当然ないはずであるからだ。
さらに娯楽としてのスポーツが強調されているのは、エクストリームギアが持つ設定を見てみるとわかりやすい。アニメ本編とは別にショートストーリーを展開する『Extreme Hearts S×S×S』内では、このようにエクストリームギアのことが紹介されている。

羽月「ハイパースポーツはね。普通のスポーツと違って『エクストリームギア』ってサポートアイテムを使ったスポーツです」
智「このギアをつけることで、身体能力が強化されて、中高生女子でもプロスポーツ選手みたいな動きができたりするわけですね」
羽月「これでどんな人でも、スポーツの熱く楽しいところ……全力で汗を流したり、競技ごとのかけひきを楽しめるのが魅力!」
智「リアルスポーツとはまた別の、ホビーよりのジャンルとして、子供から大人まで人気があります」


(Extreme Hearts S×S×S #01)

そもそものスタートが、我々の世界における通常のスポーツ「リアルスポーツ」と、ホビー色が強いとされるギアを使用しての「ハイパースポーツ」に分かれているのは注目すべきポイントだろう。
更に、このハイパースポーツの対象はどちらかといえば、大雑把に言ってしまうと「スポーツが得意ではない人」であるようだ。とはいえ、実際に「エクストリームギア」を使えば、もともと筋力のあるスポーツ選手はもっとアクロバティックに動けるのではないか、とも私は思うし、実際描写としては「高層から飛び降りて着地」だとか「相手ごと吹き飛ばすパワフルなシュート」だとか、そういう現実離れしたアクションのシーンも存在している。
しかし、本作の説明では、あくまで「スポーツが得意な人ほど動けない人の補助」としてのギアのあり方が強調されている。確かに、先に例に上げた2種類のアクションも、考えてみると衝撃緩和という補助的な効果によるものだということがわかる。ギアによって可能になるのは「通常では考えられないジャンプ」といったことの実現よりは「怪我をしてしまいそうな着地の衝撃を和らげる」というのが正しいと思われる。エクストリームギアによって、何気にスポーツでの怪我も防止しやすい……というのは、娯楽としての心理的なハードルを更に下げているといえるだろう。

4階の高さから飛び降り、着地する陽和
(Extreme Hearts 1話)

すなわち、本作がハイパースポーツを通じて描くスポーツのあり方というのは「運動神経がいい人」や「スポーツに努力することを楽しむことができる」人々のためのスポーツから、更に一段回ハードルを下げたものなのである。
『Extreme Hearts』のハイパースポーツは、「みんなのためのスポーツ」なのだ。
だからこそスポーツ未経験のミュージシャンである陽和は、ハイパースポーツという場で戦っていくことができるのである。「みんなのため」に開かれている門を陽和はくぐり、スポーツという新たな世界に踏み込んでいくことができたのだ。とはいえ、陽和に関しては未経験とはいえ、どちらかといえば運動神経がもともと良いという風に(1話)描かれているが。

また、このハードルの低さということは、スポーツ経験者側にとっても「初心者・未経験者とも一緒になって全力でスポーツを楽しめる」というメリットがある。かつて咲希はそのストイックな姿勢で「俺たち楽しくやりたいだけ」とチームメイトと衝突した過去が描かれているが(1話)ハイパースポーツであれば、この「楽しくやる」ことのハードルは下がると考えられる。方や未経験ミュージシャンの陽和、方やエリート選手の咲希が同じフィールドに立てるというのも、エクストリームギアあってのことだ。

更に、この作品は女性芸能人のハイパースポーツ大会を描いているわけだが、筋力的に男性に劣り、比較的規模が小さくなりがちな女子スポーツを題材にしていることも、ギアが補助的な装置であるということと関連があるだろう。ギアの解説では、強靭な肉体を持つ「プロスポーツ選手」に対して、非力な存在の例として「中高生女子」が挙げられている。(S×S×S #01)様々な要因により、男子スポーツに比べて人口が少なくなりがちな女子スポーツを補助しているのだろうと感じさせる設定が、エクストリームギアにはあるのだ。
ちなみに、本作には男子選手と共に女子選手がスポーツをすることの難しさに触れているシーンがある。話の流れとしては「そんな逆境の中でも案外残ってしまった」という純華の運動センスを感じさせる思い出話であるが、とはいえ本作がいずれ直面する性別の肉体的な差ということを、たしかに意識していることが伺える。

雪乃「前原さんが、男子野球で頑張っていらしたのは凄い事だなと」
純華「あはは~。まあ、いろんな事情があっての事だったんだけどね。少年野球はピッチャーの人数が必要だし。」

(中略)

純華「体力差とか体の都合とかで、いずれレギュラーから外れるのはわかってたけど、外されるまではのこってよー、て」
咲希「そしたら、シニアまで上がっちゃったっていう」
純華「さすがにシニアではそんなに投げてないけどね。でも、最後の春大会でも一応は結果を出せたし…だから退団の決断をできた」


(Extreme Hearts S×S×S #05)

「肉体的に恵まれない人」を補助するのがギアのあり方というのは、後半でロボット技術の医療活用の話題が出てくることで、更に強調されている。『Extreme Hearts』は近未来舞台ならではの設定として、このエクストリームギアやプレイヤーの頭数を増やせるプレイヤーロボといった技術が発展している。RISEが準決勝で戦ったチーム・Snow Wolfはロボットの研究者チームである。彼女たちと陽和の出会いのシーンでは、作中世界での介護ロボットや義手・義足について語られている。

ミシェル「私ね、ロボット工学のために研究に来てるんだ。私の実家、介護ロボットの開発会社だから」
陽和「そうなんだ」
ミシェル「事故や病気で手足をなくした人が、日常生活やスポーツを楽しめるようにする、義手や義足もうちの主力商品。それで、子どものころからテストを手伝ってたから、スポーツ全般が得意になっちゃって」


(Extreme Hearts 9話)

ハイパースポーツのあり方についてこれまで何度も語ってきたが、そこに必要なエクストリームギアと、ここでの義手・義足の作中での紹介のされ方には近いものを感じさせる。本作におけるロボット工学を始めとした近未来の技術は「弱い立場に寄り添う」ものとして、社会的な意義を持たされていることが描かれている。
再び陽和の話に戻るが、彼女もまた、チームメンバーがいないという立場の”弱い側”として、プレイヤーロボットの恩恵を受けている一人である。作中世界では様々な近未来の技術によって、スポーツに挑戦するための壁はいろいろな方面から取り除かれている。
このように、陽和がハイパースポーツへ挑む経緯を追うだけでも、近未来の技術によってでスポーツの間口が更に広がっているであろう、本作の世界観を感じ取ることができる。

RISEをサポートするマネージャーロボ・ノノとプレイヤーロボの面々
(Extreme Hearts 4話)

『Extreme Hearts』はスポーツの楽しさを描くと同時に「スポーツが嫌い/苦手であった人たち」更には「身体的なハンデでスポーツを楽しむことができない人たち」をもこの渦に巻き込もうとする。
これもまた、一つの「拡張」のあり方であると考えられる。

リハビリチームとしての「RISE」

さて、改めて「エクストリームハーツ」という大会におけるハイパースポーツは、実に絶妙なバランスの存在である。娯楽としてのハイパースポーツの、しかし競技としての真剣勝負の大会が「エクストリームハーツ」なのだ。ここでハイパースポーツは、スポーツの2つの側面「娯楽のスポーツ」と「競技のスポーツ」の中間に位置づけられている。故に自然と本作の主役チームであるRISEのスポーツへの取り組み方もまた、この両者のバランスを取るように描かれている。

ところで、新興チームのRISEが「エクストリームハーツ」の大会で勝ち上がることができた理由の一つとして、「リアルスポーツで活躍経験のある有望な選手が加入したから」というロジックを本作は用意している。ともすれば「プロプレイヤーがアマチュア大会に殴り込んで優勝する」などととられかねないこの経緯は、作中のハイパースポーツファンからの顰蹙を買う恐れがあるように思える。実際にMay-Beeの羽月は、最初RISEのことを「よくある『ハイパースポーツの大会なんてリアルスポーツの強豪をメンバーに入れたら余裕で勝てるっしょ』みたいなチーム」(S×S×S #04)かと思っていたと語る。実際こうしたチームはなかなか結果を残せないらしいが、ある一つの競技の専門家であるリアルスポーツの強豪選手だけでは勝つことができないというのは、エクストリームハーツが複合競技であるのも理由一つなのだろう。
本作がRISEという主人公チームに、あえて元スポーツ選手という設定を用意したことの理由の一つとしては、「エクストリームハーツ」という大会を(本記事でも引用した、1話での咲希の語りのように)実力者たちが競うあう場ということで陳腐化はさせず、しかし「ハイパースポーツ未経験のミュージシャンである陽和が勝ち上がることができる」という展開上の理由付けを必要としたからではないか、と考えている。もちろん、先の羽月の言葉のようにそれだけでは勝てないにしろ、しかし身体的にアドバンテージがあることもまた事実だろう。

さて、こうした成り立ちのRISEだが、しかしこのチームは本作の掲げる「みんなのため」の「娯楽のスポーツ」というスポーツのあり方と相反するような(当初の羽月が思っていたような)「勝利のみを追い求める手段を選ばないチーム」ではないため、彼女たちはスポーツを楽しむことそのものが次第に目的にもなっていく。
そのための展開の工夫としてひとつ挙げられるのは、RISEに加入していく「リアルスポーツ経験者」たちを、現役の選手ではないという設定にすることだ。先にも書いたように、初期メンバーの咲希はチームメンバーとの不和により挫折を経験し(その後も選手としては活躍はしていた期間はあるようだが)現在は引退。もうひとりの純華も身体的などの理由から男子野球のチームを離れて、競技の世界からは距離を置いている。そんな彼女たちの、かつての本業であるリアルスポーツに比べて、気楽にプレイできるスポーツ遊び。それこそが、ハイパースポーツなのである。
先程、ハイパースポーツというものを「そもそもスポーツをやらない/できない人を、スポーツに巻き込んでいく」と書いたが、それだけではなく「かつてスポーツをやっていたが、離れた人」もハイパースポーツによって再びともにスポーツをする仲間になることができる。そうしてできていったハイパースポーツチームが、RISEなのである。故に、RISEは「戦力として強力な元現役選手たちを有したチーム」であると同時に「元現役選手たちが再びスポーツをするためのリハビリチーム」であるとも言える。フィジカルの強さだけでなく、(様々な)スポーツを楽しむ、というモチベーションがあることも、雑多な複合競技の中でRISEが強さを発揮できたことの理由かもしれない。

RISEの練習風景
(Exteme Hearts OP)

初期メンバーに続いて加入する橘雪乃小日向理瀬にも「なんらかの理由でスポーツから一定の距離を置いているが、RISE加入によりスポーツの世界に復帰する」という物語がある。更にこの二人についてはそれぞれ剣道/空手という、武道のジャンルをメインとしているため、球技が主となっているハイパースポーツでの競技は、咲希や純華以上に自身のかつての本業のスポーツとは離れていることになる。

ここで、雪乃と理瀬の二人の加入の流れについて振り返っていこう。
まず雪乃だが、道場の生まれである彼女はかつてソフトボール選手であった。しかし、道場の本来の跡取りである父と兄を事故で失い、そのため自らを道場の跡取りとして律し、剣の道へと愚直に打ち込もうとしている。そんな中で、出会ったRISEという同年代の友達と和気あいあいとスポーツを楽しんでいいのだろうか、という葛藤が雪乃加入のドラマである。
ここでは、陽和がハイパースポーツに挑戦するとなったときに存在した「競技のスポーツ」と「娯楽のスポーツ」の2つのスポーツの側面の狭間にいることへの問いが再び蘇っている。厳密には道場の後を継ぐことは競技とは直接関係がないかもしれないが、本業としてひたすらに研鑽を積まなければならない過酷さがある、という点では、かつて競技志向に染まっていた咲希にとってのサッカー(本業のスポーツ)に近いと言えるだろう。
ここで、雪乃加入までのシーンを振り返ってみる。

雪乃「私は剣も少しは習っていましたが、ずっと好きなことをさせてもらっていました。いろいろな習い事に、中学では部活で始めたソフトボール。家族が揃っていた時は、とても幸せでした。でも父と兄が亡くなって、祖父も重い怪我を負ってしまって……今は母が一人で家族を支えています。志半ばで逝ってしまった父と兄の思いを継ぐため、祖父が受け継ぎ積み上げてきた橘流を次の世代に繋いでいくため、私は橘流とこの道場を継げるようにならなくちゃいけないんです。部活も、他の習い事もやめて……剣の道に進むと決めました。……だから、歌やスポーツで楽しく遊んでいるような余裕は、私にはないんです」


(Extreme Hearts 5話)

雪乃の祖父「なんだ、今日は試合じゃあなかったのか?」
雪乃「私に参加する資格はありませんから……連絡も無視してしまって、練習にも行ってません。きっともう愛想をつかされています」
雪乃の祖父「それでも、野球をやりてぇんだろ? あの子たちと。野球の他にも、競技に打ち込んだり歌ったり、いいじゃぁねえか。実に女学生らしい青春だ」


(Extreme Hearts 6話)

ここでは「青春」という言葉も使われているが、過酷でストイックなスポーツへの打ち込み方とは違う、「娯楽」としてのスポーツの姿が再び登場している。最終的に雪乃は「寄り道したからこそ、見つかるもんもある」(6話)と祖父に説得され、今の”剣”としてバットを持ち、RISEの試合に駆けつける。
剣一筋で苦しげな表情を浮かべていた雪乃は、RISEでのスポーツという別の活動を増やすことで、新たな進むべき道を見出す。増やすことで救われるという、ここでの雪乃のエピソードにあるのもまた「拡張」の肯定とも言えるだろう。更にRISEとしても、人間のプレイヤーが3人故に相手チームの敬遠策に苦しめられていたが、雪乃の加入によって打者が増えたことで敬遠による完封が成立しなくなり、勝利を掴んでいる。雪乃とRISE双方で、「繋がり」による勝利を得られた形になる。

続いての理瀬だが、彼女は類稀なる身体能力を持ち、そのためにかつての空手の試合で相手を怪我させてしまい、その恐怖からスポーツで本気を出すことへの恐れを持っている。
雪乃の場合は剣に軸足を置きつつも、ソフトボール経験者であり、剣のためにソフトボールの道を諦めた、という設定であった。一方の理瀬はその空手自体をトラウマから辞めてしまっているわけなので、スポーツ全体からは雪乃以上に距離を置いていると思われる。そうした中で理瀬がRISEを認知できたのは、彼女がスポーツ観戦という形でスポーツへの繋がりをまだ持っていたからだ。しかしそのようにスポーツへの愛着を持ちつつも、彼女は自身が選手となることを避けている。

理瀬「あれから、本気のスポーツはやらないって決めてるの」


(Extreme Hearts 7話)

理瀬加入の物語にも、彼女が再びスポーツのフィールドへと戻ってくるというドラマがある。ここではハイパースポーツは理瀬のトラウマを癒やすものとしての役割がある。これもまた、ハイパースポーツが娯楽としての性質が強いが故のことだろう。
理瀬と同じ年でもある咲希は、理瀬をチームにしようと強く誘う。結局、理瀬の加入を賭けて二人はPK戦で勝負をすることになるのだが、このPK戦には演出的に格闘競技への接近があり、お互いの強烈な球をどう受け止めていくか、という戦いになっている。
ここでの展開に、エクストリームギアの設定はうまく活用されている。エクストリームギアに「衝撃緩和」の機能があるということは先に触れたが、これによって選手の安全が確保されている、というのは相手を怪我させてしまった理瀬にとって大きな心理的な緩衝材となるのである。ハイパースポーツでは強烈なシュートにより選手ごとゴールさせる「ブローアウト」ということが日常茶飯事と語られている(1話)が、こうした試合展開が成立しているのもギアの衝撃緩和による部分が大きいと思われる。今回のPK戦でも、ブローアウトによってゴールを決めるシーンがある。
スポーツはどうしてもある程度体を酷使することになるので、怪我はつきものだろう。その恐れもまた人々にとってはスポーツに対する壁になっていると考えられる。しかしハイパースポーツはあくまでホビー寄りのスポーツであるため、その障壁もまた取り除かれているのだ。

ここで、RISEの陽和以外のスポーツから離れた大まかな理由と、その問題がエクストリームギアを使用したハイパースポーツによって解消されていることについて、改めてまとめておこう。

メンバー リアルスポーツとの関係 ハイパースポーツがもたらすもの
葉山陽和 スポーツ未経験 未経験のスポーツに挑戦が可能に
小鷹咲希 チームメイトとのレベルや意識の差による不和 未経験者や初心者ともプレイ可能に
前原純華 男女の体格差から男子野球チームでの優勝を期に引退 女性の不利の解消
橘雪乃 橘流の道場を継ぐためにソフトボールの競技を引退 気軽に楽しめるホビー
小日向理瀬 空手の試合で対戦相手に怪我を負わせてしまい、引退 安全性の高さ

このように、RISEのメンバーが各々抱えている問題というものは、エクストリームギアを使用したハイパースポーツへの取り組みによって、ある程度解消されている。

ハイパースポーツシーンでのRISEは単にリアルスポーツからの刺客というわけではなく、彼女たちもまた「立場の弱い人々のためのハイパースポーツ」によって掬い上げられるべき人々なのである。

スポーツの異なる種目を繋げること

先ほど、スポーツのプレイヤーと非プレイヤー、いわばスポーツというフィールドの「外側」と「内側」を繋げて規模を広げていく、という動きについて書いた。
しかし当然、ここで「内側」としたスポーツもまた一枚岩であるはずがない。野球選手がサッカー選手のようにサッカーができるわけはないし、その逆もまた然りである。あくまでもそれぞれ全く別の種目として存在しているスポーツ同士をもつなげようとする動きが、『Extreme Hearts』にはある。その最たるものとしては、「エクストリームハーツ」という劇中番組のレギュレーションが複合競技であるということだろう。
各種目はその垣根を超えて、「エクストリームハーツ」という大会の中で、「スポーツ」というひとつの大きなかたまりとなり、各種目のファンやプレイヤーの人々を繋いでいる。

ところで、ここで複合競技を実現しているのも、エクストリームギアの補助性能に寄るものだ。本来、シビアな肉体作りからスタートする各競技への取り組みというハードルは、筋力補助のエクストリームギアによっていくらか取り払われていると考えられる。
更に、ここで先程の「遊び」の話題に立ち返る。たとえスポーツ選手であろうとも、別のスポーツに関しては(当然スポーツそのものをやらない人よりは得意だろうが)素人ということになる。野球選手が野球をやればそれは本業への取り組みだが、サッカーをやるならば「遊び」になる。すなわち、多くのスポーツを取り扱うこと自体が、「娯楽のスポーツ」ということを強調することになるのだ。RISEが有望な元リアルスポーツ経験者を揃えたという話は先に書いたが、この「本業以外のスポーツに取り組む」という構造によって、RISEの取り組むハイパースポーツに「娯楽」の側面が色濃く出ている。
「エクストリームハーツ」の複合競技というレギュレーションは、最初に咲希によってその過酷さが語られているが、しかしこれは大会で行われるハイパースポーツを、競技志向のスポーツから同時にいくらか遠ざけてもいるのだ。

さて、ここで演出面のことに触れておきたい。先程、雪乃と理瀬の加入エピソードを振り返ったが、彼女たちは「エクストリームハーツ」の種目とは異なるスポーツが本業という設定を持っている。しかし、作品内ではシナリオ上の意義も絡めつつ、遠く離れた種目を接続しようとするような演出が存在している。今度はその演出に注目しつつ、この2つのエピソードを改めて振り返っていこう。

まずは雪乃の場合。剣術が本業である彼女が、「エクストリームハーツ」への参加によって別のスポーツという道を増やそうとする時、彼女の祖父は雪乃に袋に包まれた剣を渡す。そこには一本のバットが入っており、祖父曰く、それこそが今の雪乃に必要な”剣”だと言う(6話)ここで繋げられているのは、剣術と野球である。言うまでもなくルールやテクニック、何もかもが異なるこの2種目は「長い棒状の物体を扱う」という一点の類似性を持って結ばれている。

道着のまま試合会場に駆けつける雪乃
(Extreme Hearts 6話)

このエピソードでは雪乃が「断ち切る」ための剣からバットに持ち変え、そして道着からユニフォームへと着替えている。これらの「剣術→野球」の動きによって彼女の仲間入りを印象付けるように小道具が使われており、「繋がり」そして「拡張」するという流れを強く感じさせている。さらにここでは、剣術と野球という2つを接続することと、剣術家の雪乃と元野球選手の純華がバッテリーを組むという構図が重なる。スポーツと人とを同時に繋いでいこうとする構造を、ここには見出すことができる。

続いての理瀬の場合は、彼女の本業が空手のところ、加入エピソードで挑むのは咲希とのPK戦であった。もともと理瀬はスポーツ全般が好きで、サッカーが好きということも作中で語られている(8話)が、ここで注目したいのは描かれているPK戦と武道との類似点である。
一対一で対面しての勝負というのも武道の試合を彷彿とさせるのだが、更にこのPK戦にはエクストリームギアを用いていることで、更にその性質が近づいている。本来、キーパーを避けてシュートをするという技能が要求されるPK戦だが、ギアを使ったハイパースポーツとしてのPK戦は「相手を吹き飛ばすほどの強烈なシュートをする」という勝ち筋が新たに生まれている。ここで理瀬は空手のフォームめいた動きでボールを防ぎ、咲希も「すごいな、空手家の反応速度」と元空手選手ならではの理瀬の強さを称えている(8話)

チョップでボールを止める理瀬
(Extreme Hearts 7話)

本来のPK戦に比べ、真っ向勝負して相手を打ち負かす……という性質が強くなった二人の勝負だが、しかしあくまでこのやりとりはボールを介して行われている。そのため、直接打撃を相手に打ち込む、かつて理瀬が取り組んでいたであろう空手の組手とは、確かな距離も存在している。この戦いは理瀬にとって、再びスポーツに復帰するかどうか……という葛藤が渦巻いているのだが、そんな彼女にとってはボールというクッションを挟んでいることは、精神的に大きな助けとなっていると考えられる。
このエピソードはシュートの強弱によって理瀬の内面が表現されていると思われ、理瀬が相手を傷つけてしまうことへ怖気づく気持ちが大きくなった時、彼女は弱々しいシュートでキーパーを避けようとしている。
相手を避けてシュートを決める本来のPK戦と、相手ごとボールをゴールに叩き込むハイパースポーツのPK戦。シーソーゲームのように、このどちらかの性質が代わる代わる浮上するこのPK戦は、理瀬のスポーツ(空手)への恐れと、そこへの距離の変化を試合の流れで感じさせるものとなっている。そして、理瀬がその恐れを極限まで振り払った時に、強烈なシュートを放つことで、PK戦(サッカー)と空手は最も接近する。先程の剣術と野球の接続があった雪乃のエピソードと同じように、両種目の接近によって、元サッカー選手の咲希と、元空手選手の理瀬は、同じチームメイトとなるのである。

ここまで、改めて二人の加入エピソードを振り返ることで、『Extreme Hearts』における、各種スポーツを繋げようとする動きの具体例を挙げた。ここでは、剣術と野球、空手とサッカーという2つの種目を繋げ、そして雪乃と理瀬というメンバーを加入させている。競技を繋げることによって実現する、人のつながりの拡張の具体例が、この二人の加入エピソードなのである。
ここには、先に書いたような「エクストリームハーツという大会の上で、『スポーツ』というひとつの大きなかたまりとなり、各種目のファンやプレイヤーの人々を繋いでいる」ということが実際に行われている。本来は交わることのなかった人々が、種目の垣根を超え「エクストリームハーツ」という場で、RISEというチームに集結しているのだ。

陽和から拡張していくRISEの繋がり


ちなみに、RISEのチームロゴはメンバーの加入によってその色を増やしていく。最初青一色の味気ないロゴは、チームメンバーが増えていくことで、その色を増やし、完成度の高いロゴと変化していく。これもまた視覚的に、RISEの「繋がり」による「拡張」を肯定的に捉えた変化の演出と言える。

1人ロゴ(左・1話)、3人ロゴ(中央・6話)、5人ロゴ(右・8話)

ここまで、『Extreme Hearts』の中で「スポーツ」のフィールドがいかに「拡張」してきたか、ということについて書いてきた。ここまでのことについて、一旦以下のようにまとめたいと思う。

まとめ:『Extreme Hearts』が描いているスポーツシーン
  • 本作のスポーツ(ハイパースポーツ)は一握りのトップアスリートのものだけでなく、元スポーツ選手や、スポーツへの苦手意識やハンディキャップを持つ人々をも巻き込んだ「みんなのためのスポーツ」であった。
  • 「みんなのためのスポーツ」は「エクストリームハーツ」という大会の下で、各種目の垣根をも超え、様々なスポーツを内包している。格種目の元選手が集ったRISEは、その象徴的なチームである。

さて、本作のスポーツにおいての「繋がり」そして「拡張」していくという要素はある程度説明できたかと思うが、しかし当然『Extreme Hearts』における「拡張」はまだ続きがある。
スポーツとは全く異なるジャンルである「音楽・芸能活動」との繋がり、これこそが『Extreme Hearts』における、最も遠く、そして重要な「繋がり」「拡張」と言ってもいい。続いては、「スポーツ」と「音楽・芸能活動」の関わりがどのように描かれているのかということについて、書いていきたいと思う。

『Extreme Hearts』の描く「音楽・芸能活動」

本作の「スポーツ」とは別のもう一つの大きな要素として無視できない「音楽もの」という部分。企画段階でもこの両者をかけ合わせるところからスタートしているという。ここに関して、再び原作・脚本の都築真紀氏のインタビューを引用する。

――音楽とスポーツを合体させるという考えは、どのように発想しましたか。
せっかくのアニメで、さらにキングレコードさんでの企画ということもあって、歌や音楽を前に出した感じにできるといいなということで、「ステージ・アイドル」というキーワードは最初期からありました。でも、基本的にアイドルものはビッグタイトルがいくつも存在していたこともあって、学園部活ものとリアル系芸能界ものは除外して、少し変化球の「複数の競技によるいスポーツ大会」でいくことは初期から定まっていました。


メガミマガジン2022年11月号 『Extreme Hearts』Staff Interview.01 原作・脚本 都築真紀

昨今のアイドル作品激戦区の中で『Extreme Hearts』のしている工夫というのが、変わり種である「スポーツ×アイドル(音楽)」ということへのチャレンジだという。とはいえ、単に物珍しいだけの設定というわけではなく、この異なる両者をかけ合わせるための工夫や、だからこそ生み出せた物語というものが本作にはあるように思う。構造を紐解きながら、本作がこの奇妙なジャンルをどう料理していたのか、ということについて書いていこう。

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音楽の中での遊びの要素

「ストイックなスポーツもの」ではないところを目指している本作。そのため、エクストリームギアを使用したハイパースポーツに「娯楽のスポーツ」の側面が強く出ていることはこれまでに書いた通りである。
それではもう一つの本作を構成する要素である「音楽(芸能活動)」についてはどのような温度感で描かれてきたのだろうか。

都筑氏の言葉を再び引用すれば、本作の主役であるRISEというチームは「それ(スポーツ)が本業やすべてではない子たち」(メガミマガジン2022年11月号)という存在である。ここで「スポーツ×音楽」というジャンルであることを考えてみると、RISEはむしろ音楽側が本業とも言えるだろう。元スポーツ選手である他のメンバーはともかく、アーティストから始まりハイパースポーツへと挑む陽和に関しては、はっきりと音楽が本業と言える。
RISEは陽和を中心にしたチームのため、RISEというチームの本懐は音楽活動での成功と言ってもけして過言ではない。

それでは、スポーツとはうってかわって音楽活動のシーンでは過酷な様子が描かれているかといえば、そうではない。本作が歌唱練習の場として出しているのは「カラオケ」である。ここは言うまでもなく娯楽施設であり、本作が音楽活動についてもある程度スポーツ同様の娯楽の要素を強調しようとしていることが伺える。むしろトレーニングに関してはスポーツ側の描写がメインになっており、物語としては音楽活動というのはそれほど目立ってこない。

カラオケで練習するRISEメンバー
(Extreme Hearts 6話)

ともかく、本作では「音楽」についても「娯楽のスポーツ」と同等の、むしろそれ以上に「遊び」チックに描かれている。放課後にスポーツをして、それからカラオケに集まって活動する……というRISEの日々は、中高生の集まりの遊び、という雰囲気があり微笑ましい。雪乃の祖父の言葉を借りるなら「女学生らしい青春」(6話)であろう。
どちらも「遊び」として描かれる音楽とスポーツのバランスによって、この両者を「過酷な一方と、息抜きの一方」というようなバランスにせず、どちらも力いっぱい「楽しむ」という彼女たちの姿勢が描かれているのではないかと思う。

とはいえそこが中心となって描かれていないだけで、音楽活動をしていく上での訓練というのはそれなりにはしているのだろういうことも伺える。2話では、陽和、咲希、純華がRISEというチームになったことで、カラオケにて歌の披露をするシーンがある。咲希、純華は音楽活動としては未経験の素人で、カラオケでの歌唱はぎこちない。このあたりの描写は、本作なりのリアリティの演出であると思われる。そのため、3人が河川敷でボイスレッスンをするシーンが続いて描かれている。

こと「音楽活動」については、陽和は他のメンバーに比べて一日の長がある。陽和はスポーツについては実力者の元選手の他メンバーの力を借りて、という印象が強いが、しかし一方で音楽活動は陽和が中心となっており、他のメンバーを指導し導く立場となる。3話の初ステージの時も咲希と純華はガチガチに緊張しているが、陽和は余裕の表情を見せていて、頼もしい。
こうした持ちつ持たれつの関係で成り立っているRISEのあり方というのは、ハイパースポーツを「みんなのためのスポーツ」として描き、縦の優劣よりも横並びの「みんなでいっしょに楽しむ」ことを大切にしてきた本作の姿勢とも通じるところを感じさせる。

売れないアーティストのチャンスの場「エクストリームハーツ」

主人公の陽和はシンガーソングライターとしてデビューはしているものの全く成功できず、歌手としての活動は「配信してもらえたのは4曲だけ、売上は4曲合計で36ユーザー、同情で買ってくれた関係者のみなさんもいるから、本当に私の歌を買ってくれた人なんてほとんどいないのかもしれない」(1話)という厳しい状況であった。結局、鳴かず飛ばずであった彼女は事務所からも契約を打ち切られてしまう。
ここで陽和が売れなかった理由とはなんだろうか。楽曲に関して言えば、後にRISEが人気を博しても変わらずに作詞作曲を手掛ける陽和のセンスも、また彼女のシンガーとしての実力も、特別問題があったわけではないと思われる。実際にアーティスト「葉山陽和」の楽曲は2曲公開されているが『名もなき花』に『青空に逢えるよ』どちらも派手さはないものの、筆者の感覚で恐縮だが心に響く曲に仕上がっていると思う。とはいえ、2023年の現代から更に進んだ2048年の近未来で、あまりにも素朴でレトロチックですらあるアコースティックスタイルの楽曲が売れない、ということには納得できてしまうかもしれないが。

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RISE結成後はユニット楽曲として、より派手な曲調が多くなっていることは無視できないかもしれないが、ともあれ物語ベースで考えてみると、陽和の手掛ける楽曲はけしてソロ時代と比べて”改善”したから売れたという風には描かれていない。陽和の手掛ける楽曲にはいつでも人を引き付ける魅力があり、だからこそ咲希はアーティスト葉山陽和のファンなわけだし、人気グループのSnow Wolfのミシェルも陽和のデビュー曲を「いい曲だから覚えちゃった」(9話)と評している。

とあれば、アーティスト葉山陽和が売れなかった理由というのはシンプルで、「認知されなかったから」なのだと思う。陽和の所属していたSGプロダクションのスタッフも「売り出してあげられなかったのは、私の力不足です」(1話)と手紙で陽和に伝えているが、契約を打ち切ってしまうアーティストへの慰めの言葉ということを加味しても、売れなかったのは陽和側の問題ではなかった、と受け取ることができる。
才能こそあれ、多くの人に知られることなくひっそりと契約解除となってしまった陽和。彼女はそのSGプロダクションのスタッフの後押しもあって、「エクストリームハーツ」という新たな舞台で戦っていくことになる。タレントとしての「エクストリームハーツ」参加のメリットを、陽和は「大会を勝ち進んだら自分たちの音楽を紹介してもらえたり、ステージをやる権利がもらえる」(1話)と語っている。派手さのない陽和の音楽は、ただそれだけで売り出してもあまり注目されないかもしれないが、しかし「エクストリームハーツ」で勝ち上がれば多くの人の目に留まる機会が与えられる。これは陽和にとっては、確かに大きなチャンスと言えるだろう。

ここで再び「繋がり」と「拡張」の話題になるが、すなわち『Extreme Hearts』の主人公・葉山陽和の物語の課題というのは、いかにファンという人々と「繋がり」、ファン層を「拡張」できるか、というものなのである。

実際、ファンというものは陽和にとって大きい(アーティストとしてファンの存在が大きいことは、当然のことでもあるが)
アーティストとして芽が出ない陽和が「それでもいいんだ、私の歌を好きだって言ってくれる子がいるから」(1話)と語っているように、彼女が音楽に留まることができたのは、ほとんど唯一のファンと言ってもいい咲希の存在のおかげといっても過言ではないだろう。スポーツをやってこられたのも彼女と、更にその幼馴染の純華が陽和のボールを受け取ってくれたからだ。常に「繋がり」というのは、陽和を音楽の世界に繋ぎ止めている。

高架下で交流する陽和と咲希
(Extreme Hearts 1話)

さて、そんな売れないアーティストにとって、「エクストリームハーツ」は多くの人に見てもらう、お披露目の場として魅力がある舞台である。更にここで無視できないメリットは、「エクストリームハーツ」が「スポーツ」という、「音楽」とは全く異なるジャンルと結びついた催しであるということだ。なぜならば、これによって本来の「音楽ファン」のみならず、「スポーツファン」という全く別のファン層のブルーオーシャンを開拓できるからである。ここにこの大会が「音楽」と「スポーツ」をかけ合わせている大きな意義がある。
「エクストリームハーツ」でRISEを知った理瀬は、自身のことを「空手をやってて、スポーツ観戦が好きな中学2年生。アイドルさんやガールズバンドのみなさんがスポーツで競う祭典、「エクストリームハーツ」にももちろん注目してます」(7話)と説明しているのだが、彼女のこの説明からも「スポーツ観戦が好きで、エクストリームハーツを見る」というファンは珍しくないと思われる。

更に特筆すべきことがある。「エクストリームハーツ」でのハイパースポーツがスポーツのあり方というのが、種目の垣根を超えたものになっていることはここまで述べた通りだが、つまり、ここでの新規ファン層として期待できる「スポーツファン」は、野球にサッカーにバスケットボールに……と様々なスポーツのファンが集まっているのだ。であれば、このスポーツファンの層というのは相当大きなパイである。それぞれのスポーツのファンが全員「エクストリームハーツ」に注目するわけではないだろうが、しかし様々なスポーツを取り扱っていることで完全に外野となるスポーツファンは少なくなり、自ずと人口が増えることが期待できる。
またこれはスポーツ側としてもメリットと言えるだろう。音楽ファンもまた、「エクストリームハーツ」によってスポーツファンに引き込める余地があるのだ。人口でいえば、未経験の陽和は「エクストリームハーツ」の挑戦によってスポーツの楽しさに目覚めている。つまりここでは、「エクストリームハーツ」によって「外野のミュージシャン」が「スポーツプレイヤー」になったということである。

「勝敗を決める」ためのスポーツ

陽和がチャンスを掴むために挑んだ「エクストリームハーツ」という大会。アーティストとして知名度アップを図ることのできる貴重な場で、大勢のファンが集まるであろうライブステージはかなり魅力的だ。しかし、そのためには大会を勝ち抜いていく必要がある。

ところで、先のインタビューで引用した通り、アイドルもののフォーマットとしては「学園部活もの」「リアル系芸能界もの」というざっくりと2つの大きな分類がある。有名なところで言えば、前者の代表格が『ラブライブ!』であり、後者は『アイドルマスター』であろう。この2つをはじめとするヒットシリーズの下で、各々の作品の個性をなにかしら生み出していく……というのが昨今の音楽深夜アニメシーンだと思う。
さて、この観点で行くと『Extreme Hearts』という作品は、この2つのフォーマットでの真っ向勝負を避けつつ、しかし結果的にその中間に位置づけられる作品になっているように感じられる。芸能界という商業の世界でどう売れていくのかという点では「リアル系芸能界もの」に近い部分がある。一方で、放課後に仲間で集ってスポーツや歌の特訓をし、大会で勝ち上がることを目指すことには部活的なニュアンスがあり、この点では「学園部活もの」に近いと言えるだろう。

さて、野球にとっての甲子園のように「学園部活もの」に登場しがちな要素として「アイドルの大会」がある。例えば「学園部活もの」の作品である『ラブライブ!』や『Re:ステージ!』にはそうした大会に挑む展開があり、大会における音楽での勝敗がシナリオに関わってくる。これは「部活もの」というフォーマットに則っているからこその展開である。「エクストリームハーツ」という大会で戦っていく本作の「学園部活もの」っぽさというのは、ここにも存在していると思われる。
一方の「芸能界もの」っぽさとしての大きなポイントというのは「商業的な成功」だろう。少なくとも、『Extreme Hearts』における「芸能界もの」の側としての越えるべき壁は「シンガー葉山陽和の商業的失敗」であり、であればゴールは「RISEとしての商業的成功」である。

ところで、これは個人的に強く思っていることなのだが、殊更「芸能界もの」としての要素が絡んでくる場合、音楽によって勝敗を決める、「学園部活もの」にあるような大会めいたものの描き方というのは、難しくなってくると考えている。
「商業的成功」に物語としての目標がある「芸能界もの」における、コンテスト的な大会の何が難しいのかといえば、商業音楽の成功がいかにして実現されるのか、ということと関係してくる。というのも商業的な成功というのは、必ずしも音楽的な優劣だけで決定しない。筆者を始めとして、世の中の一般的なリスナーは専門家としての耳を持ち合わせていないからだ。楽曲の技巧だとか、演奏の技術だけで商業的な成功が決まるのであれば、今でも世界中の人々はまっさきにクラシック音楽を聞いていることだろう。
もちろん多くの人がはっきりと、かつ極めて「下手」と感じるものがなかなか売れないのも事実であろうし、技巧・技術が全く重要でない、ということもけしてない。確かに大会やコンテストで勝ち上がることはそれそのものによって箔が付くと考えられるから、「大会での勝利≒商業的成功」というのもある程度は成立するだろう。様々な作品が物語としての部分に説得力を託して音楽モノでの勝敗というものを作品に落とし込んでいるため、「商業的成功」と「音楽的優劣」を絡めることの難しさというのは、あくまで個人的な思いであり、音楽ものにとってのタブーというわけでもない。

少々話が逸れたのでここで再び『Extreme Hearts』という作品のスタンスの話に立ち返るが、本作において音楽的に優れていることと、商業としての成功は結びついていない。シンガー葉山陽和の商業的な失敗の理由が葉山陽和自身にない(彼女の、技術・技巧による問題ではない)と描かれている、というのは前述のとおりである。
この「良ければ売れるというわけではない」という姿勢というのは、一定のリアリティを感じさせるものだと筆者は感じている。

さて、そこで「芸能界もの」と「部活もの」の中間のような作風の『Extreme Hearts』が大会を描く上で生み出した一つのアンサーというのが「大会の勝敗という要素を全てスポーツに任せる」ことだと言える。物語を牽引し、アニメに緊張感を生み出す「大会での勝敗」はスポーツ側で描き、その勝利の報酬として「音楽ライブ」を位置づけている。
ある意味では、音楽やライブパフォーマンスの質と知名度にはっきりとした因果がないというのは、ドライな描き方だろう。音楽の評価がサクセスストーリーにおける成長の要素と切り離されているが故に、陽和の売れなさというのはより悲劇的になっているとも言える。それだけ、相手に届くということはこの作品にとって険しく、そしてだからこと重大なことであるとも言える。
ともかく、アーティスト葉山陽和の物語での課題というのはファンを増やしていくことであり、多くの人に見つけてもらい、目を留めて、耳を傾けてもらうことなのである。スポーツというのは、「音楽もの」としての立場から見れば、そのための手段ということになる。

ちなみに、パフォーマンス技術の話に関連して面白い演出に触れておきたい。最終ステージでは準優勝のMay-Beeが楽曲を披露し、続いて優勝チームのRISEが披露する……という流れになっているのだが、ステージを比較すると明らかに準優勝のMay-Beeのほうがクオリティが高いように描かれている。

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トップチームとして名の売れているMay-Beeが躍動的なダンスパフォーマンスをしているのに対し、音楽未経験者が集ったRISEは比較的簡単な振りで可愛らしく仕上げている印象がある。両チームの今までの経験の差を思わせる、設定に対してのリアリティを感じさせる描写である。

並び立つ「スポーツ」と「音楽」

スポーツと音楽というのは、異なるものだからこそのフィールドの違いがあり、そして故にその2つを「繋ぐ」ことができるということは、大きなメリットを生み出す。ここについて、もう少し掘り下げてみようと思う。

「エクストリームハーツ」出場というのは、厳しいハイパースポーツの特訓を要求されることと引き換えにしても、芸能人にとっては魅力的だ。スポーツ大会の出場自体が、各々が本業としている活動の広報に繋がるからである。「エクストリームハーツ」の出場者は芸能活動が本業であるから、あくまでスポーツに負けてもそちらが成功さえできれば御の字、ということだ。

勝者がいれば敗者もいるため、RISEが勝ち上がっていく上で敗北したチームたちがいる。しかし彼女たちにはそれぞれの本業があり、作中では本業側の成功が語られていたりする。
「負ければ後が無い」と「エクストリームハーツ」の険しさを説明しつつも、各チームが和気あいあいと交流する横の繋がりを描けるのも、こうした構造の工夫が効いている部分もあるだろう。大会において「勝者 / 敗者」として差がついたチームであろうと、大会の外においては必ずしも比較される対象にならない。芸能界という場で言えば、新鋭気鋭のチームでも芸歴としては後輩である。

大会の合間に水着番組で交流する各チーム
(Extreme Hearts 8話)

また、スポーツで勝負をすることそのものが見世物としても魅力的だということは忘れてはならないだろう。現実でもスポーツ観戦というのは非常に人気がある催しであり、スポーツ選手からタレント業に転向するというような例も珍しくない。スポーツ選手というのは、音楽アーティストに負けず劣らず花形の職業である。
更にスポーツの試合というのはチームに物語を与える。ただ見知らぬアーティストのライブを見るのと、そのアーティストが繰り広げるスポーツの熱戦を見た後では、ライブの感じ方が変わってくるところもあるだろう。実際に無名のチームだったRISEは、3話の初ステージでは全く注目されていなかったが、後に大きな試合を経て段々と注目されていった。RISEのパフォーマンスが人々に”届いた”ということもあるだろうが、ファン層を広げていくにあたってスポーツの試合そのものの効果というのは無視できない。

試合後のファンの反響
(Extreme Hearts 6話)

ちなみにこの「試合→ライブ」という流れは、本作そのものの物語からも見出す事ができる。スポーツパートで、そこに頑張る少女たちへの思い入れを生み、ライブパートの感動を引き上げていると考えられる(もちろん、アニメ作品としてはスポーツ以外のパートも多く、そこは無視できないが)

さて、ここまで音楽などの芸能活動を主体として、手段としてのスポーツについて書いてきた。しかし、改めてになるが、既に先にも書いたように本作はスポーツの楽しみも描いており、作品のスタンスとしては音楽とスポーツどちらもが主体であると言える。RISEというチームの目的としては音楽活動がメインであり、特に本業はミュージシャンの葉山陽和にとっては更に音楽に軸足があったのだろう。しかし、そんな彼女も次第にスポーツにのめりこんでいく。陽和がビギナーとしてのスポーツの楽しみを感じているのは既に書いたとおりだが、次第にスポーツそのものが、陽和にとって(音楽に負けないぐらいに)魂を込めて挑むものへと変化している。
勝てばメリットがあるとはいえ、負けてもそれなりに見返りはあるのが「エクストリームハーツ」だ。であれば、ほどほどにスポーツを頑張って名を売るのが、芸能に最も軸足を置くチーム場合は正解……というのが正直なところだろう。実際にそうしたチームは多いようで、ハイパースポーツそのものを愛するトップチームのMay-Beeの羽月としては、思うところがあるようだ。

羽月「今日、途中で(筆者補足:練習試合を)脱落して帰ってった子たちいるでしょ? あの子たちはたぶん、みんな2回戦までに負ける」
陽和「…あ……」
羽月「ハイパースポーツを『こんなのスポーツじゃなくてただのホビーだ』って言う人はよく居るでしょ。実際、自分の体だけで挑むリアルスポーツとギアの助けを借りるハイパースポーツは、もともとのジャンルも目指すところも違う」
陽和「はい……」
羽月「でもハイパースポーツって競技があるおかげで、この「スポーツっぽいホビー」をたくさんの人が楽しめてる。いろんな事情でリアルスポーツを楽しめない人もね」
陽和「はい」
羽月「あたしたちメイビーは、自分をアスリートだなんて言ったことも思ったコトも一度もないのね。ちょっと運動が好きなだけのタレント集団。でも、そんなあたしたちだからこそ、このスポーツみたいなホビーの楽しさと熱さを、たくさんの人に伝えていける…そう思ってる」
陽和「はい……」
羽月「エクストリームハーツに参加するからには、参加チームにはハイパースポーツを好きになって欲しいんだよね。勝ってステージをやるとか、有名になりたいとか…そういうのもあっていいんだけど。それだけじゃなくて…」


(Extreme Hearts S×S×S #04)

先に書いたようなハイパースポーツが「みんなのためのスポーツ」であるという、そうしたあり方に羽月はここで触れている。その上で、参加者がハイパースポーツを、ひいてはスポーツというものを愛してくれることを目指しているのがMay-Beeというチームなのだ。神奈川トップチームとして、ハイパースポーツの人口を更に増やそうと活動しているMay-Beeの理念には、彼女たちなりの「拡張」への意志が感じ取れる。自身のファンを増やすことを課題としているRISEとはまた別のところで、May-Beeも更に「繋がり」を求めているのである。

こうした羽月たちの想いを受けとりつつ、決勝まで勝ち上がったRISE。ここでの彼女たちは既にすっかりとハイパースポーツに真剣に取り組む側となっている。この時点でRISEは既に神奈川県予選ファイナルライブステージへの、更に関東大会への切符を手にしている。たとえファイナルライブのステージで優勝チームの前座扱いになろうとも、知名度の向上で言えば些細な問題と言えるだろう。さらに、決勝の大会で陽和は足を怪我している。理性的に考えれば、ここでまだ決勝戦を苛烈に戦い抜くメリットは、むしろ何も存在しない。しかし、それでも果敢に勝負に挑まんとする姿勢からは、スポーツに対しての真剣みを感じ取ることができる。

脚の痛みをこらえながら歯を食いしばり試合に挑む陽和
(Extreme Hearts 11話)

陽和「みんなで一緒に戦ってきたこの夏。最後は勝って笑顔で神奈川県大会を終わりたい。RISEを応援してくれるみなさんに、見守ってくれている人たちの期待に答えたい! みんなでいっしょに、みんなといっしょに!」


(Extreme Hearts 10話)

改めてになるが、本作は「スポーツ×音楽」に取り組むにあたって、その両方のジャンルを跨いで横断しながら、それぞれに全力で挑まんとする少女たちの姿を描いてきた。両者が繋がることでのそれぞれのメリットを生み出しつつも、このどちらかを主軸にすることなく、物語の両輪として駆け抜けてきた。
ハイパースポーツというものが様々なスポーツをする上での人々の障壁を超えてスポーツを結びつけるものだったように、「音楽」と「スポーツ」という2つのジャンルは『Extreme Hearts』という作品の中で一体となって、その垣根を超えている。ここにある越境もまた、本作の描く「繋がり」からの「拡張」のひとつである。

まとめ:「スポーツ×音楽」の繋がりがもたらすもの
  • 「エクストリームハーツ」は「スポーツファン」という全く異なるファン層にリーチすることができることが、芸能活動でのの成功を目指す者にとって魅力的である。
  • 「本業が芸能活動」という側にとって「エクストリームハーツ」でのスポーツというのは手段ということになる。しかし、陽和は次第にスポーツそのものの楽しさに目覚め、決勝では純粋にスポーツに挑んでいる。
  • 『Extreme Hearts』において、「音楽」と「スポーツ」の関係は平等であり、仲間たちとの横の繋がりを描いてきたことと同様の「拡張」の要素を見出すことができる。

『Extreme Hearts』と「拡張」

ここまで、『Extreme Hearts』がいかにして様々なスポーツと、そして音楽、更にはそのジャンルの中の人々を”繋げて”きたのかということについて書いてきた。
最後にその「繋がり」の中の人々がどういった風に描かれてきたのか、ということについて書いていく。

『Extreme Hearts』の中での葉山陽和・RISEファンの姿

音楽モノにおいて、多く採用される要素が「ファンの存在」である。音楽をステージで披露する以上、その音楽というものは観客に届けられる。生演奏でなくとも、例えばCDなどの録音においても音楽というものはリスナーがいないと意味をなさない。「奏で/聴く」という「送り手と受け手」の関係というのは音楽モノにはなくてはならない存在である、と言っても過言ではないのではないだろうか。

さて、この「ファンの存在」だが、本作においては「一般のファン」というようなポジションの存在があまり目立つことはない。代わりにいるのは「チームメイトでありファン」というような存在である。陽和にとって最初のチームメイトの1人である小鷹咲希は、同時にアーティスト葉山陽和のファン1号なのである。すなわち、ここでのアーティストとファンの関係というのは、近いものとして描かれている。「ステージに立つ孤高の歌手とファン」ではなく「ともにスポーツをする仲間同士」になるというのは、横の繋がりを重視している本作らしい一貫性のある姿勢だとも考えられる。
咲希に続いて、「音楽の受け手側」言うなれば「葉山陽和(やRISE)のファン」として登場するキャラクターが登場する。1人は咲希と同じくRISEのメンバーになる小日向理瀬だ。「エクストリームハーツ」が好きな彼女はその急上昇チームのRISEにも注目しており、初めて河川敷で咲希と出会ったときや、その後陽和をはじめとする他のメンバーと出会った時に大感激している。同時に陽和もまた、理瀬の「配信されてる試合は全部見ました! もちろん、ライブステージも!」(7話)という熱い言葉に感激している。

珍しく涙を浮かべて感激する陽和
(Extreme Hearts 7話)

もうひとりはRISEと熱戦を繰り広げた、同じく新鋭強豪チームSnow Wolfのミシェル・イェーガー。おなじみの河川敷で陽和とミシェルは偶然出会い、同じくギタリストのシンガーということもあって意気投合する。彼女は陽和の曲を褒め、共に葉山陽和のデビュー曲である『青空に逢えるよ』を歌う。
このように、物語の中盤以降(理瀬:6話、ミシェル:8話)で登場する2人は、RISEが「エクストリームハーツ」で勝ち上がるにつれて知名度が上がっていることを感じさせるキャラクターでもある。一方でこうしたファンの描き方は同時に、現状のRISEが一体どれほどのファンに囲まれているかということを、実感として遠ざけるという効果もあったのではないかと考えている。知り合い/仲間になるという流れはまさに本作の持つ「拡張」の動きであり、この「拡張」こそが陽和のアーティストとしての成功に重要であった。「外野」が「身内」へと変化するのは間違えなくファンの広がりを表現するのだが、一方で実際に描かれているのは数人であり、スケールが小さくも感じられる。

筆者は、このずれこそが『Extreme Hearts』のクライマックスの布石となる大きなギミックだったのではないかと考えている。RISE、そして葉山陽和のファンの「広がり」を実感できなかった人というのは、視聴者以上に陽和その人だったのではないだろうか。
内輪感とでも言うべきこのスケールの小ささは作中においても何度か意識させられるような作りになっている。RISEが公共の場で盛り上がる時、それを横から不思議そうに見つめる道すがらの人々の姿からは、このチームがまだまだ認知されていない、言わば彼女たちの世界が多くの人々へと拡張しきっていないことを感じさせる。

カラオケでのRISEの歓声に立ち止まるカップル(左:2話)
電車内で小さく声を上げるメンバーに驚く人(中央:2話)
道端で盛り上がるRISEとSnow Solfに驚くカップル(右:10話)

もちろんRISEが活動を続けていく上で、ファンへと「届いた」ことが表現されている、RISEの歩みが確かに感じられるシーンがあったことも付け加えておこう。
ここで大きいのはやはり3話の『Rise up Dream』の初ライブのシーンだろう。フードコートのそば、吹き抜け天井という開放的なシチュエーション。ここでは道すがらの人や、あるいは食事をする(熱心な)観客ではない人、言わば「見知らぬ人」へとRISEの、陽和の歌が披露される。人々が次第にその歌に耳を傾けるようになり、「いいね!」の評価をもらうことで、無名の新人チームの彼女たちが認知されていくその第一歩が描かれている。

陽和の歌い出しの声によって、会場でどよめきが起こる(左:3話)
フードコートで食事をする人がRISEの歌を聞いている(右:3話)

ここで、陽和の目指すトップアーティストについて触れておきたい。そもそも陽和の憧れるアーティスト観というものは、むしろ「孤高のアーティスト」だったのではないかと考えられる。かつて幼い頃に見上げたステージ。大きなステージの上でたった一人で観客全員を虜にするその姿を、観客席のその1人として陽和は眺め、そしてその憧れが彼女を歌の世界へと導いた。

陽和「小学生のとき、一度だけ生で見た大好きな歌手のライブステージ。あの時の感動は今でも覚えてる。きらきら輝くステージと客席。何万人もの観客を前に、たった一人で歌う彼女の姿と歌に、私は本当に勇気を貰って……。いつか私も、あんなふうになれたらなぁって思って……。」


(Exrtreme Hearts 1話)

ステージの歌手の女性(左)と観客席の陽和(右)
(Extreme Hearts 1話)

ところで、クライマックス前のファンの登場シーンとして、病院でのライブを外すことはできない。本作においては終盤でようやく登場したファンが描かれている貴重なシーンである。決勝まで勝ち進んだRISEの、広がったファン層がここにきてようやくはっきりと感じ取れるようになるほどになった、とも言えるだろう。
とはいえこの病院の小さなステージで子どもたちと一緒に楽しむ、というシチュエーションはやはり「孤高のアーティスト」からはほど遠い。ここでも確かにRISEのファンが増えていることは描写されているにも関わらず、本作が繰り返し描いてきた「みんなで楽しく」というような印象が強く、孤高のトップアーティストの姿からは離れている。

本作は常に「拡張」することを描いてきた。RISEのファンというのは、ある意味では身内のような存在としてここまで描かれてきた。それは共にスポーツをする仲間であり、一緒になってリズムに合わせて揺れる病院の子どもたちであった。
だからこそ陽和は最後の最後まで、言わばその「RISEのファンの輪」が、彼女が考えているよりもずっと大きく、既に多くのひとを巻き込んでいることを、心から実感することができなかったのではないか。

陽和「まずはみなさん! 私たちRISEのステージまで残っていただいて、ありがとうございます! 初参加で神奈川優勝、本当に奇跡みたいなことで、実はまだちょっとだけ、これ夢なんじゃないかなって思っていたりします」


(Extreme Hearts 12話)

陽和はRISEという苦楽を共にしたチームメンバーから見ても、激しい感情を面に出さない人であった。純華がふと口にした「ひよりんが泣いてるのって、見たことなくない?」(12話)という話題に対しても、誰もが同意している。陽和穏やかながらもどこか凛とした佇まいを崩さないのは、プロとしての彼女なりの矜持であり、その目指すところが「孤高のアーティスト」ということでもあったのだろう。しかしそんな陽和がついに気丈な姿を崩して、観客の前で泣き崩れてしまうというのが最終回のクライマックスのシーンなのである。感極まった陽和は、ここでようやく観客席がRISEの歌を聞きに来たファンで溢れていることに気がつく。

ステージから客席の光を見つめる陽和
(Extreme Hearts 12話)

優勝ステージの陽和は今、間違えなくトップにありながらも孤高ではない。光に包まれる彼女の姿は、かつて観客席の光のひとつであった小学生の陽和の姿と重なる。
パフォーマンスのクオリティで言えばMay-Beeが勝り、そしてプロとしての姿を崩してしまった陽和。しかしこのRISEのファイナルステージが失敗であるとは誰一人思わなかったであろう。陽和が最後に見せた弱さこそが、May-Beeの溌剌としたパフォーマンスに勝るほどのドラマをもって、この作品のクライマックスを彩る。このステージでついに陽和が見せた弱さという人間味によって、「エクストリームハーツ」のフィールドは「みんな」として一体になるのである。常に「繋がり」からの「拡張」を描いてきた本作のスケールは、この瞬間に一気に膨れ上がっている。

「スポーツ」に「音楽」にと楽しむ過程で、陽和の孤独な世界はいつしか人で溢れていた。それはかつて陽和が孤独に見上げていた花火を一緒に見上げる仲間の存在であり、陽和の歌を食事のついでではなく聞きに来ているファンたちの存在によるものだ。彼女の世界の劇的な変化は、このひと夏があまりにも鮮烈であったことを改めて感じさせる。

一人花火を見る陽和(左:8話)
仲間と花火を見上げる陽和(右:8話)

『Extreme Hearts』とライブ感

『Extreme Hearts』のアニメで描かれている出来事は、ほんの数ヶ月のことなのだが、実際に1クールの作品として2022年6月から8月という3ヶ月で放送されている。この作中のでの時間と実際の放送期間というのは、ある程度意識的に重ねられている部分があると思われる。
ここで再びインタビューを引用するが、『Extreme Hearts』という作品が意識していたことの一つに「ライブ感」があるそうだ。

――RISEを初めから5人という形にせず、順を追ってメンバーを増やしていく構成をとった狙いは?
作中でリアルタイムに出会って関係性を築いて成長していくという、ライブ感のある物語がいいなというのがあったからですね。せっかく毎週放映のテレビアニメなので、Webサイトやブログがリアルタイムに更新されます。その仕組みも含めて、本放映を追いかけてくださっているみなさんがリアルタイムなライブ感を楽しめるように、というのは意識していました。


メガミマガジン2022年11月号 『Extreme Hearts』Staff Interview.01 原作・脚本 都築真紀

テレビアニメというのは毎週更新のフォーマットである。本作はそうした場で効果的にファンコミュニティの盛り上がりを狙うため、いくつかのコンテンツを用意したり、また展開に合わせての楽曲配信を行っていた。

24日深夜に12話放送後、すぐさま楽曲配信を行っている(公式サイト、9/25更新ニュースより)

このスピード感はファンには嬉しいものであった。さて、ここからが本題となるが、本作のこうした「ライブ感」を担っている2つのコンテンツについて触れていこう。言うなればアニメの外でも『Extreme Hearts』が「拡張」しているというのが、この別コンテンツとも言える。

『Extreme Hearts S×S×S』と『RISE BLOG』

『Extreme Hearts』の放送当時、毎週のテレビ放送に合わせて更新されていたコンテンツが、『Extreme Hearts S×S×S』と、『RISE BLOG』である。

まず、『Extreme Hearts S×S×S』は5~10分程度のノベルゲーム風のショートストーリー。アニメに先駆けて咲希と陽和の出会いを描いた#0が公開され、その後も放送直後に更新されていた。かなりタイトに物語を進めていたアニメの補完という色合いが強く、アニメで描ききれなかった各RISEメンバーの掘り下げや、他のチームとの交流を描いている。

話  『Extreme Hearts』本編 『Extreme Hearts S×S×S』
0 - 咲希視点の掘り下げ、陽和と咲希の出会い
1 陽和のハイパースポーツ挑戦
咲希・純華の加入
純華視点の掘り下げ
May-Beeのエクストリーム豆知識(エクストリームギア解説)
2 対Sparkle戦
RISEが3名で本格始動
葉山芸能事務所について
May-Beeのエクストリーム豆知識(ハイパースポーツ解説)
3 対スマイルパワー戦
RISEの初ライブ
スマイルパワーと番組収録
May-Beeのエクストリーム豆知識(エクストリームハーツ解説)
4 ノノ登場
May-Beeとの練習試合と雪乃登場
May-Beeとの交流
5 雪乃と陽和との出会い
雪乃実家での勧誘
雪乃との野球練習
6 対Banshee戦にて雪乃加入
理瀬と咲希が出会う
雪乃加入後のRISE
RISE内役職の決定
7 理瀬のお試し加入
理瀬と咲希のPK戦
理瀬加入後のRISE
スマイルやBansheeとの腕相撲大会
8 ライブステージと水着番組
Snow Wolf戦への相談とミシェル登場
RISE、May-Bee、LINK@Dollの交流
9 陽和とミシェルの交流
対Snow Wolf戦
スマイルパワー番組内にSnow Wolf登場
10 病院でのコンサート
決戦前夜
RISEとSnow Wolfの交流
11 対May-Bee戦 決勝後のRISEとSnow Wolf
全力Challenger披露
12 ファイナルステージ -

本編とS×S×Sの内容を追いながら並べてみると、両者の関係がわかりやすいだろう。#1~3まで、S×S×Sには「May-Beeのエクストリーム豆知識」というコーナーがあり、ここで視聴者にとって馴染みのない、本作オリジナル設定のギア、ハイパースポーツ、大会についての解説パートを設けている。同時にここはトップチームのMay-Beeの顔見せも兼ねており、本編4話での本格的な活躍へ向けて準備を整えている。
#5~7の、本編での新メンバー加入の後の話をS×S×Sにて補完しているのも重要だろう。本編はここでかなりタイトな構成になっていて、雪乃加入エピソード(4話)→雪乃本加入の野球と理瀬登場(5話)→理瀬加入エピソードのPK(6話)と、「登場」→「葛藤」→「試合」の流れをざっくり0.5話ずつ進めながら、3話で2人加入のエピソードをこなしている。ここでそれぞれが加入したことでRISEというチームがどう変化していっているのか、ということをショートストーリーで補完しているのだ。
S×S×Sの#7~10のではチームの垣根を超えた交流のエピソードが多い。本編では水着番組以外ではなかなか描く余裕がなかった神奈川各チームの横の繋がりをショートストーリーで更に保管している形だ。後に葉山芸能事務所所属となるSnow Wolfの掘り下げという面でも、S×S×Sの役割は大きい。
そしてS×S×Sの#11では、ファイナルステージの楽曲『全力Challenger』の先行公開をしている。これについては最終回の展開と絡めたまた別の役割がある。そのあたりについてはまた後述とする。

ちなみに、S×S×Sではキャラクターが『Extreme Hearts』の話数や自分たちの登場を認識しているような発言がある。メタ的なセリフといえばそうだが、もしかすると『Extreme Hearts』や『Extreme Hearts S×S×S』というのは作中でも放送されている番組なのかもしれない。これらの映像が劇中ドキュメンタリー的な作品である可能性はある。*1

2話には登場しないという発言
(Extreme Heats S×S×S #1)

続いて『RISE BLOG』というコンテンツについて。アニメやS×S×S同様の毎週更新のこのコンテンツは、RISEのメンバーたちが自らブログを更新していく、というユニークなものであった。

exhearts.com

このコンテンツには仕掛けがあり、物語の進行によってデザインが変化していく、というギミックがあった。今でも最初の記事から見ていくと、その変化していく様子を追体験できる。*2当初は「葉山陽和のBlog」というタイトルのブログだったのだが、咲希と純華の加入で「RISEのBlog」になり、そこから「RISE BLOG」となった。最終的にWeb知識のある理瀬がRISEに加入したことで、最新のデザインとなった。当初はかなり素朴なデザインで、作中の2048年どころか現実にて放送された2022年でも相当レトロなWebサイトという雰囲気があったのだが、最終的にはスタイリッシュなデザインに仕上がった。先に紹介したメンバー加入によるRISEのロゴの変化と同様に、視覚的にRISEの変化が感じ取れる演出となっている(ちなみに、そのロゴの変化もブログで確認できる)

初期の葉山陽和のBlog(左)と、最終形のRISE BLOG(右)
(RISE BLOGより)

アニメーションと全く違う媒体だからこその表現はなかなかおもしろい。一つは普段の話し言葉とは異なる書き言葉の表現だろう。普段アニメで話している姿とは一味違うRISEメンバーの様子は、彼女たちの人物像をより多角的に感じることができる。

咲希と純華のコメント
(RISE BLOGより)

もうひとつは、BLOG媒体として可視化される情報の多さである。ここではっきりと示されている反応の数によって、陽和やRISEのファンがいかに多くなっているかということがひと目でわかる。

最初は数個だったファンの反応も、最新の記事ではかなり多くなった
(RISE BLOGより)

ここでは更新された日付も表示されているのだが、このBLOGの表示によってアニメで描かれたRISEの活動が数か月だったこともわかる。シンプルなBLOGというコンテンツだが、受け取れる情報量というのは存外多く、非常に面白い企画だった。
またこのWebサイトには視聴ということで楽曲のリンクが掲載されているのだが、ここをクリックすると各種音楽サービスへのリンクにアクセスできるようになっている。アニメのキャラクターたちが更新しているという体のコンテンツから、我々の世界のサービスへとリンクされていることになる。つまりここには「現実拡張」という趣の仕掛けがあった。

『Extreme Hearts』の「現実拡張」

『Extreme Hearts S×S×S』と『RISE BLOG』は、アニメの本編と連動しつつも、しかしあくまでサブコンテンツとして本編からこれらに触れられることはしばらくなかった。しかし11話後、つまり最終話直前のタイミングで、この2つは急に結びつくことになる。アニメとしては最終回で披露される新曲『全力Challenger』の先行公開がS×S×Sで行われ、そのリンクがBLOGに掲載されたのである。

exhearts.com

更にそれだけでなく、続いて放送された1最終話のファイナルステージのシーン、陽和のMCでこのことが触れられる。「決勝の翌日から、RISEのサイトで視聴版を配信していたこの曲『全力Challenger』!」(12話)と紹介されるのである。
つまりここで私たち視聴者は、実際に作中のファンと同じような体験をしていることになるのである。

私たちの世界においては毎週、BLOG内の表示としては数日おきに更新される記事によって、確かに私たち視聴者の時間と作中の時間というのは重なるように流れていた。そこがいよいよ、テレビでの最終回の放送というリアルタイム性によって、アニメの時間と視聴者の時間は擬似的に一致する。ここで視聴者は、あたかも実際のライブステージを見ているような錯覚をすることになる。

実際に最終回のステージではモノローグの演出を排し、視聴者と作中の観客の目線が一致するような工夫がなされていた。そうした仕掛けがあった上で繰り出された展開が、陽和が泣き崩れるというハプニングなのである。正直見ていてかなりハラハラさせられたし、驚いた。陽和を演じる声優・野口瑠璃子氏は一発撮りでこの歌唱中に泣き崩れるシーンに臨んだそうだ*3が、まさにライブ感溢れるシーンに仕上がっている。

『全力Challenger』を歌いながら涙を流す陽和
(Extreme Hearts 12話)

作品としてのこの挑戦的なスタイルをどう評価すべきか正直今でも悩んでいるところはあるのだが、しかしこの仕掛によって間違えなくテレビで実際にアニメを見ていた私の視聴体験は、極めて強烈なインパクトのあるものだった。

『Extreme Hearts』が繰り返し繰り返し描いてきた「みんなでいっしょに」ということ。スポーツにとって様々な距離感の人を巻き込み、そしてスポーツと音楽という異なるジャンルをも繋ぎ、「エクストリームハーツ」という大会の中で、多くの人々がRISEのファンとして最終的に集まるこのステージ。そしてついにはずっと作品をテレビの外から見ていた視聴者までもが、この「みんな」の中に巻き込まれていく。

ここで完全に『Extreme Hearts』という作品が試みてきた「拡張」は、いよいよ私たちの世界も飲み込んでしまったのだ。

本作における「現実拡張」のギミックは、あくまでちょっとした仕掛け程度であり、これが作品の根幹ということではないと考えている。しかし、作品で何度もファンという人々を「繋ぎ」そしてRISEの世界を「拡張」しようとしてきたこの続きに、私たちの世界までもがその中に入り込むというのは非常に面白い試みであった。実際に、私たちが今までアニメーションを視聴して感じてきたRISEたちへの愛着と、恐らく作中の観客のそれというのは変わらないのだろうとも思う。まさに忘れられないひと夏のムーブメントが「エクストリームハーツ」であり、そして『Extreme Hearts』であった。

おわりに

ということで、アニメ『Extreme Hearts』についてあれこれ雑然と考えていたことをまとめられないだろうか、ということでこの記事を書き上げた。本作は非常に様々な魅力や要素を内包していて、そうしたことを表現したくて書いたネタ記事が以下のものだったりもする。

cemetrygates1919.hatenablog.com

持ち合わせないアニメの解釈力であったり、それらを文にまとめるという上で結構苦労してしまった。そうした経緯もあってあっちこっちに反復横とびをするような内容になってしまっているかとも思うが、ハイパースポーツ新人チームを暖かく見守るように、受け止めて貰えればと思う。
私の作品感想が、この作品の魅力を伝えるほんの僅かな一助になれば幸いである。


~この記事を書くにあたって参照したもの~

  • 『Extreme Hearts』 1~12話
  • 『Extreme Herts S×S×S 』#0~11
  • RISE BLOG
  • メガミマガジン2022年11月号


*1:ドキュメンタリーという体のアニメ作品は実際にいくつかある。『DYNAMIC CHORD』や『ARP Backstage Pass』など

*2:放送時はブログ記事全てのデザインが変化していたが、放送終了後のどこかのタイミングでページ毎にデザインが変化するようになった

*3:メガミマガジン2022年11月号インタビューや、12話キャストコメンタリーを参照