日陰の小道

私のロジックは私みたいな話をしたりします

現実主義勇者の王国再建記 エンディングに登場する文字の意味とは?

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現在、各局やFODにて大好評放送中の現実主義勇者の王国再建記

本作のエンディング映像では、様々な文字が現れては消えていきます。

果たしてこれらが意味するものはなんなのでしょうか?

調べてみました。

一覧(クリックで開きます)

気前の良さは身をぼす

ニッコロ・マキャヴェッリによる『君主論』第16章にて似たような話が出ているようです。

君主が気前よく振る舞うことは、いずれ破滅する可能性が高いという危険性を説いています。

和してぜず

孔子の言葉を集めた『論語』からの引用です。

人と協調をしつつも、むやみに同調ばかりをすべきではない、ということを説いています。

非常のことありて、然る後に非常のあり

史記』の『司馬相如伝』からの引用です。
「非常の人あり、然る後、非常の事あり。非常の事あり、然る後、非常の功あり」の一部のようです。

非凡な人が登場し、後に非凡な事が起こる。非凡な事が起こって、その後にやっと非凡な功績が生まれるものなのだ、ということを説いています。

すぐれた先人を見習う(?)

「先人」の部分がうまく読めなかったため、おおまかな憶測です。

出典も不明です。優れた人物を見習うことの大切さを表す言葉です。

李下に冠をさず

中国の故事成語。『古楽府・君子行』からの引用です。
「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」の下の段の言葉です。

すものの木の下で冠を直すと、すももを盗もうとしているのではないか、と疑われてしまいます。
人に疑われるようなことはすべきではない、という教えです。

好事は門を出でず悪事は千里を行く

孫光憲の『北夢瑣言』からの引用です。

良いことはなかなか知られないが、悪いことはすぐさま遠くまで伝わってしまうものだ、という教えです。

眼にて人を観、冷耳にて語を

菜根譚』からの引用です。
全文は「冷眼にて人を観、冷耳にて語を聴き、冷情にて感に当たり、冷心にて理を思う」となっています。

前半のこの部分は「冷静に人を観察し、冷静に話を聴く」という内容です。
常に冷静に事を運ぶことの大切さを説いています。

艱難は能く人の心をうす

江戸時代の儒学者佐藤一斎の『言志晩録』からの引用です。
「艱難は能く人の心を堅うす。故に共に艱難を経し者は、交を結ぶも亦密にして、竟ついに相忘るる能わず。糟糠そうこうの妻は堂を下さず」とは、亦此の類なり。」の頭の部分の言葉です。

困難な経験は人の心を堅牢にする、という苦労することの大切さを説いています。

烏合の

中国の故事成語。『後漢書』の『耿弇伝』からの出典です。

からすの群れがバラバラであることから、秩序も規律もなくただ集まっているだけの集団のことを指した言葉です。

一葉ちて天下の秋を知る

淮南子』の『説山訓』からの引用です。

葉が落ちることで秋が来ていることを知る。すなわち、わずかな前兆から世の中に起きることを予知する、というたとえです。

歴史の勝者に学ぶ

出典不明。

歴史の勝者に学ぶことの大切さを表した言葉です。

公共

四字熟語です。

道路の整備や病院の建設など、国または地方公共団体が公共の利益や福祉のために行う事業のことです。

快刀乱麻を

北斉書』の『文宣帝紀』を出典とします。

絡まった麻の糸を断つ、すなわち問題を鮮やかに解決することを表した言葉です。

需要供給の法則

経済学の言葉です。

商品の市場価格と売買量は、競争市場における需要と供給によって決まる、という法則です。

体と頭の訓練をする

出典不明。

文武両道的な、体と頭を鍛えることの大切さを表しています。

の威を借る

中国の故事成語。『戦国策』の『楚策』を出典としています。

虎に襲われそうになった狐は、その虎と並んで歩くことで他の動物を恐れさせ、自らを百獣の王のように見せて身を守ったという寓話です。
他の権威に頼って、威張り散らす、ずるがしこい者のことを指します。

名下に虚士

『陳書』の『姚察伝』を出典としています。

虚士とは実力のない者を指します。名声のあるものは、実力もともなっている、という言葉です・

武力がないと見下される

ニッコロ・マキャヴェッリによる『君主論』第14章にて近い話が登場しています。

君主は、国を守るために何よりも武力を持たなくてはならない、という教えです。

んずれば人を制す

中国の故事成語。『史記』からの引用です。

何事も人より先に行動すれば、有利な立場になることができる、という言葉です。

角を矯めて牛を

中国の故事成語。『玄中記』を出典としています。

牛の角を直そうとして、牛を殺してしまうこと。つまり、小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうという言葉です。

自国軍がなければ安全はない

ニッコロ・マキャヴェッリによる『君主論』第13章にて近い話が登場しています。

傭兵や他国の支援軍を使うのではなく、勝ちたいのであれば自国軍を保有すべきという君主の方策を説いています。

土重

中国の詩人・杜牧の『題烏江亭』を出典としています。

土煙をもう一度上げる、すなわち軍隊を動かすことで、失敗してももう一度挑戦するという言葉です。

積善のには必ず余慶有り

儒教の経典『易経』を出典としています。

善行を積んだ家には、子孫に幸福がもたらされるだろう、という教えです。

いは芽のうちに見つける

出典不明。

災いは早めに見つけたほうがいい、という言葉です。

玉石

中国の故事成語。『抱朴子』の『外篇・尚博』を出典としています。

石と玉が混ざり合っていることから、価値のあるものとないものが混ざり合っている、ということを表す言葉です。

多少の人事は皆是れなり

江戸時代の儒学者佐藤一斎の『言志晩録』からの引用です。
「多少の人事は皆是れ学なり。人謂う、近来多事にして学を廃す、と。何ぞ其の言の繆あやまれるや。」の一部です。

世の中のあらゆることは学びである、と説いています。

中立の道を選ぶとたいてい失敗する

ニッコロ・マキャヴェッリによる『君主論』第21章にて近い話が登場しています。

君主のとるべき姿勢として、日和見的な中立よりも、味方になる側についたほうが良い、ということを説いています。

状況に合った手法を使う

出典不明。

柔軟な姿勢を推奨しています。

に縁ってを求む

中国の故事成語。『孟子・梁恵王―上』を出典としています。

魚を取るために木に登る。すなわち、的外れでおろかな行為のことを指す言葉です。

身のほどをわきまえた欲求を持つ(?)

出典不明。こちらもはっきりと読み取れませんでした。

身のほどはわきまえたほうがいいらしいです。

口に苦し

中国の故事成語。『孔子家語』の六本を出典としています。

良い薬は苦くて飲みづらい。すなわち、他人の忠告を受け取ることの大切さを説いています。

管鮑のわり

中国の故事成語。『史記』の『管晏伝』を出典としています。

管仲と鮑叔牙のように、互いに深く理解をしていて、利害を超えた信頼関係のある間柄を指す言葉です。

先ずより始めよ

中国の故事成語。『戦国策』を出典としています。

物事は小さいことから、また自分からはじめよ、という言葉です。
「隗」とは、郭隗という人名のこと。賢人を招くために、「まず私のような凡人から優遇してください」と彼が話したというエピソードに基づいています。

つねににと手を打つ

出典不明。

常に先手を打つことの大切さを語っています。

薪嘗

中国の故事成語。『十八史略』を出典としています。

薪に臥し、胆を嘗める……といった辛い行いを自らすることで、復讐心を忘れないように心がけた、といいうことから、復讐を成功するために苦労に耐える、という意味の言葉です


橘化してとなる

中国の故事成語です。『晏子春秋』を出典としています。
「江南の橘江北に移されて枳となる」と言われることもあるそうです。

江南の橘という植物は江北に植えられると枳という別の植物になる、という当時の考えがありました。場所や状況によって、同じ人間でも性質が変化することをこれによってたとえています。

びないため、あえてう道を選ぶ

出典不明。

これも君主論を探せばありそうな気もしますが……。

衣食足りて則ち栄辱を知る

『管子』を出典としています。「倉廩實ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。」という前後から、「衣食足りて礼節を知る」などと言われることもあります。

衣食が十分あれば、人は栄誉あること、あるいは恥ずべきことがわかる、という言葉です。


人間は過去より現在を見る

出典不明。

そうなんだ……ぼくは結構過去を見てしまいますが人間ではなくエルフとかかもしれません。間伐するか!

自給率

漢字としては「食自給率」としてのほうが広く使われているようです。

国内で消費される食料のうち、どの程度が国内産でまかなわれているかを表す指標です。
タコとか食べましょう。


いかがでしたか?

現実主義勇者の王国再建記のエンディングの文字には様々な意味があるようですね!

是非今後も王国再建に向けての、ソーマの活躍に期待したいと思います!

全身で”ぽかぽか”を感じよう! 体感型ピクニック漫画『はなまるスキップ』の魅力

こんにちは! みなさん、ぽかぽかしていますか?
……うんうん。なるほどなるほど。そうですよね~やっぱり最近はぽかぽかしにくい世の中になっていると感じています。


実はわたしはつい先日(つい先日です)退職をしまして、もちろん当然バリバリ日々休みなく全力で社会復帰のために取り組んでいるのですが、それはそうと河川敷をサイクリングしたり、野に咲く花を愛でたり、空を浮かぶ雲を眺めたりして過ごすことが時々(時々です)あります。*1こうしたのんびりとした時間を過ごしていると、日頃いかに自分が人間社会において忙しなく動いていたか、ということが浮き彫りになるような気がしてきます。


しかし昨今のこうした状況で、以前に比べて気軽に外出することが生活スタイル的に、あるいは精神的にも困難になっている、という方も少なくはないのではないでしょうか。
古来から人間は太陽の光とともに生活してきました。生命の源たる太陽光を浴びることはセロトニンビタミンDの生成を促すなど、わたしたちの健康に大変大きなメリットがあります。しかし現在はテレワークなどの生活スタイルの変化により、ほとんど外出していない方も大勢いらっしゃると思います。


気軽に外出し、太陽の光や爽やかな風を感じながら、楽しく食事をする。わたしたちはそうしたピクニックもできずに今は耐え忍ぶしかないのでしょうか。
しかしここでそんなぽかぽかの足りない皆様に朗報です。『まんがタイムきらら』で大好評連載中、先日第1巻も発売されたこのコミック作品『はなまるスキップ』はまさに「読むピクニック」とでもいうべき作品であり、灰色の日常に爽やかな新緑のような清涼感をもたらすともっぱらの評判です。*2


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*1:もちろん単独で行動し、マスクなどの感染対策もして、かつ平日の人が少ない日を中心に行動しています。決して結果的に平日編重で遊び歩いているわけではありません。

*2:あくまで筆者個人の感じ方であり、効能には個人差があります。

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アニメ『BLUE REFLECTION RAY / 澪』における、ロックバンド・The Smiths要素の解説と考察②(第4話~第6話)

The Smiths(以下、スミス)『BLUE REFLECTION RAY / 澪』(以下、ブルリフ)の並行語り、今回もやっていきます!

前回までの記事
cemetrygates1919.hatenablog.com


アニメ本編も順調に盛り上がりを見せていますが、わたしも毎週のサブタイトルを見て別方面で更に盛り上がっていたりします。ブルリフは2クールの作品らしいですが(2021年においてこれは最も素晴らしいニュースです!)ぜひ最後までこのサブタイトルで駆け抜けて行ってくれると個人的に嬉しいな、なんて考えています。

  • 第4話 ないものねだり
  • 第5話 何もみえないわたし
  • 第6話 心に茨を持つ少女
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アニメ『BLUE REFLECTION RAY / 澪』における、ロックバンド・The Smiths関連の話①(第1話~第3話)

『BLUE REFLECTION RAY / 澪』(以下、ブルリフ)、今期わたしイチオシのアニメです!
思春期の少女たちの繊細な感情を情緒たっぷりに表現した演出、変身ヒロイン的な迫力のあるアクション……などなど本作品の魅力は数多くあります。
www.bluereflection-ray.com

youtu.be
OP、好きだな~。


さてそんな中、個人的に極めてこの作品に惹かれてしまうのはなんといっても、各話サブタイトルにThe Smithsの楽曲タイトルが用いられているっぽい(今のところソースはありませんが……)ということなのです。
ザ・スミス、好きなバンドなんですよ。


ソースはないのですが、流石に「心に茨を持つ少女」The Smithsでしかないだろ! と思います(The Smithsには「心に茨を持つ少年」という有名な邦題の楽曲があります)
6話の予告ツイートでタイトルを見たときに「おっ」と思って他のサブタイトルを見直したのですが、どうにも他のタイトルにもThe Smithsのオマージュが仕込まれているのではないか……とだんだん感じてきました。


バンドの方の解説も簡単にしておきます。
The Smiths(以下、スミス)は、80年代のイギリスで活躍した伝説的バンドです。日本においてビートルズとかクイーンなどぐらい名前が知られているかというとそうではありませんが、UKロックファンならば知らない人はいないレベルのバンドではないでしょうか。
キャッチーかつメロディアスなポップセンス溢れる楽曲。そして、そのメロディーに乗せたモリッシーの書く歌詞。彼のシニカルなユーモアや、弱者への慈しみに満ちた繊細な歌詞によって生み出された世界観は、多くの人々を虜にしました。


わたしも好きなバンドは数多くありますが、歌詞を読んで「これ、アタシだ……」と思ってしまうぐらいに歌詞が刺さるバンドってそうそういません。「これを考えていたのは自分だけだと思っていたけど、こんな歌を歌っている人もいるんだ」てな感じでしょうか。わたしにとってスミスはそういう衝撃を受けたいくつかのバンドのうちの一つでした。
スミスの世界観は世間に馴染めないような少年少女(のような心を持つ人々)を魅了してきましたが、ブルリフがそういう姿勢を持つロックバンドの曲を持ってきたところに、この作品がどういうお話を描こうとしているのか、なんてことをつい感じ取ってしまいます。


さて、この記事はスミスを絡めつつ、オマージュ元と思われる楽曲の紹介だったり、あと楽曲を絡めてブルリフのちょっとした読解だったり考察だったりという名のこじつけをしてみようかなという内容になります。

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人間がへたくそな人たちは『またぞろ。』をせっかくなので読みましょう

早速ですが、皆さんは"アレ"、やったことがありますか?


アレというのは……そうです、「留年」です。もっと言えば留年じゃなくてもかまいません、休学でも退学でも浪人でも休職でも退職でもニート期間でもなんでもいいです。ここで重要なのはそれによって――人生において「足踏み」をしたことがあるかどうか、という話です。
わたしは……まあ、こんな話をするぐらいですから、結構いろいろ、あります。


「足踏み」は一般的にはあまり歓迎されるべきではないものとして扱われています。定年間近の一番給料の良い年が一年減る、なんて例え方をされることもあり、まあそんな人によってはいつになるかわからないことははっきり言って心底どうでもいいのですが、とにかくこの「足踏み」というのは模範的な人生を送る上では、少々乱暴に言ってしまえば、”無駄”に思われてしまうことが多いのではないでしょうか。


起こってしまったことは変えられませんが、しかし"過去"の出来事を意味づけるのはその先の”現在”もしくは”未来”においてではないでしょうか。過去の経験が意外なところで生きたなあ、なんて経験をされたことがある方も、けして珍しくないのではないかと思います。


そこでここで一つ耳寄りなお話があります。それこそがあなたが『またぞろ。』という漫画を読むことに他なりません。
なぜかといえば、「足踏み」の経験があるあなたこそに、留年生たちの繰り広げる『またぞろ。』という作品をより深く理解するチャンスがあるからなのです。あなたの足踏み経験は、もしかしたら『またぞろ。』を読むためにあったのかもしれません。


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『またぞろ。』まんがタイムきららキャラットで連載中の、留年生やその予備軍の人たちがわいわいやる学園コメディです。
きらら作品らしい柔らかで可愛らしいタッチの女の子がたくさん出てくる、楽しくもあたたかく、そして少々毒というか牙というか、そういうものもあるコミックです。
ここからはわたしの感じた作品の魅力をご紹介していきたいと思います。

seiga.nicovideo.jp
なんと2021年5月15日まで、1巻の半分ぐらいを無料公開しており大変お得です。わたしもこれを読んで単行本を買いに行きました。


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「留年生というのは世界一、繊細な生き物なんです!」

穂波殊さんという主人公のリアルさ

穂波殊さんはこのお話の主人公なのですが、自他共に「人間がへたくそ」と評されてしまうような不器用な人です。朝一人で起きられないし、眠気には勝てないし、部屋は片付けられないし、人見知りをするし、失敗したらすぐに逃げようとするし、周囲の目を気にしすぎて縮こまってしまうし、自身の自虐的な姿勢にそのまま自ら潰されてしまいそうになります。
殊さんは作中でそこまで大きな失敗をしません。しかも彼女はよりよい学生生活を送ろうと何度も決心をしているのですが、そのたびに日常生活の色んな所にポコポコ空きまくっている穴に落ちてしまいそうになります。


冒頭でも軽く話したようにわたしにもまあ足踏みの経験があります。その上で殊さんのこういう不器用なところが非常に理解できると言うか、他人事と思えないと言うか、とにかくかなりのリアリティを感じてしまいます。

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『またぞろ。』第3回より。留年した次の年の入学式を早速寝過ごしてしまう殊。

このシーンはわたしのとても好きなシーンの一つです。わたしもまあ朝はどちらかというと大変弱いのですが、「やってしまった」朝というのはだいたいこんな感じではないでしょうか。
朝ってギリギリのほうがせわしないんですよね、そういうときは速攻で動けば間に合うかもしれないので自分としても急ぐんですよ。ただ致命的な寝坊だとそうはいきません。既に手遅れのはずの陽の光が差す自室は、自分ひとりが遅刻したろくでなしだということを除けば、さながら休日のゆったりとした目覚めの部屋のようです。
もはや起こってしまったことはどうあがいても覆せません。5分遅刻とジャストギリギリ間に合うことは時間ではたった5分の差ですが、遅刻したかどうかでは雲泥の差があります。一方で5分遅刻も10分遅刻も30分遅刻も「遅刻した」という事実の上では大して変わらないので、もはや急いでもしょうがないんですよね。


ここで殊さんが冷や汗をかきながらもちょっと笑ってることにリアリティを感じます。笑いっていうのは最後の自己防衛なんですよ。どうしようもないことをそのまま受け止めると辛すぎるし、とはいえ今やれることもないから、とりあえずちょっとでも笑い飛ばして心を軽くしようっていう意識があるんですよね。作中でも殊さんは、どうしようもない過去の事実を前にして、「へらっ」と笑い飛ばしたり、「笑い話にでもしていただければ……」なんて語ることが何度もあります。
書いてて苦しくなってきましたが、ひとつひとつ本当にリアルなシーンだと思います。致命的な遅刻を何度もやった経験があるか、こういう人の心理を相当理解していないと描けないシーンなんじゃないかなって思ってしまいます。


殊さんほど「持ってない」主人公というのも、感覚的なお話にはなってしまい恐縮なのですが、なかなかいないんじゃないかなという気がします。
一般的に不器用とされる主人公でも、物語を動かしていく上で一芸があったりします。それは「異様なぐらい他人に優しい」とか「ギターが鬼気迫るぐらい上手い」とか、あるいは「プライドが高く負けん気が強い」ぐらいでもいいかもしれません。なんやかんやでお話を――それぞれの人生をある程度自ら動かしていくことができるそうした主人公たちに比べると、殊さんはあまりにも繊細でか弱い人だなと感じてしまいます。

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『またぞろ。』第2回より。部屋を間違えたと思い込み狼狽する殊。

この作品の主人公たる殊さんは、もしかするとあまりにも不器用すぎるからこそ主人公なのかもしれません。読者のわたしたちは、きっと殊さんのどこかしらに、日々生活を送っていく上で「これ、アタシだ……」と共感する部分があるのではないかと思います。なぜならば現実には失敗をしない人はいないし、完璧な人もいないからです。


先程遅刻のシーンを例に上げましたが、たとえ留年していなくとも、遅刻の経験ぐらいは誰にでもあるのではないでしょうか。「やっちまった」ことを後悔する殊さんの姿を見て、ああ本当にこんな気持ちになるよなあという感覚が生まれた時、登場人物たちがあの世界で生きて生活をしているんだ、という確かな息吹のようなものを感じます。


『またぞろ。』という作品の大きな魅力のひとつに、このように(人間が下手くそな)人の心理をリアルかつ繊細に描くことのできる部分にあると思っています。


最後にもう一つ、殊さんの主人公としての大きな美点として、なんども再起しようと決心する志の高さがあります。
何もかもから本当に完全に逃げてしまっては、流石にそこで物語は終わってしまいます。けれども殊さんが弱々しくも、しかしけして人々の輪の中で生きていくことを諦めない限り、『またぞろ。』というお話の中で、穂波殊さんの再起の物語は続いていくのでしょう。絶対に幸せになってほしいなと思っています。

「留年界隈」というグループの魅力

殊さん以外にも多種多様な(?)留年生がこの作品には存在します。病気を患っていたため留年をしてしまった心優しく前向きな広幡詩季さん。飄々とした自由人っぽくも、留年の理由には謎が残る六角巴さん。天真爛漫で、留年はしていませんが遅刻常習犯で、実は一番危険な阿野楓さん。留年生が3人+候補が1人いても、その境遇は千差万別です。
留年生が最初に集められたことで、なんとなく集まっているこの「留年界隈」などと呼ばれる友人グループ。彼女たちに共通するのはどことなくアウトサイダー気味というぐらいで、まともに傷の舐めあいができるほどの共通点すらありません。


『またぞろ。』という作品は、人間グループにおいて”他人”が寄り添うことで生まれる絶妙な距離感を、コメディタッチでありながらも鋭く描いていきます。

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『またぞろ。』第4回より。太っていることを運動不足として嘆く殊と、太っていることを健康だと喜ぶ詩季。


入院などによる留年ではない殊さんは、決して詩季さんと同じ目線に立って「健康になったことを喜ぶ」ということへの共感はできません。一方で詩季さんからしても殊さんの苦しみがすべてわかるわけではないでしょうし、それはこの二人に限ったことではないと思います。それが自分と他人との距離というやつなのでしょう。
彼女たちは各々の心のなかに不発弾のようなものを密かに抱えながら、なんやかんやで互いのそれをコミュニケーションでつつき合ったり、あるいは回避したりしながら過ごしているわけです。


とはいえそんなアウトサイダーたちが集まったそのグループの空気感は生ぬるくもどこか安らかで、彼女たちの確かな居場所になっていることを感じます。


やったことがある方は感じたことがあるのではないかと思うのですが、留年というのは、否応なしに他の”普通の人”から明らかな”ズレ”が生まれてしまう出来事です。そうした"ズレ"は、いろいろなところからいろいろな人が集まっている大学に比べて、地域の関係がある程度そのまま継続される高校以下であればなおのこと、辛いものとなるに違いありません。


特に殊さんはそういう”ズレ”を人一倍気にして、自虐的になったりすることが多くあります。そんな彼女にとっては、例え留年(予備軍)ぐらいしか共通点がなかったとしても、同じスタートラインに立ってくれる仲間の存在はとても心強く、助けになっているのではないかと思います。
そしてそれはもちろんほかの二人の留年生にとってもそうではないでしょうか。留年生ではない楓さんがどうかはわかりませんが……とはいえ彼女にとっても楽しい空間であることは間違えないはずです。

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『またぞろ。』第2回より。巡り合った留年生たち。


こうして巡り会えた一つの縁があるとするならば、留年に遅刻、そんな”ズレ”があることも良いではないですか、そんなことをわたしは思ってしまいます。
ある意味では誰かが留年したことによって救われている人がいる、そういうことなのですから。

どうにもならない現実の中で

『またぞろ。』で描かれる人間の関係というのは先程話したように暖かなものですが、一方で現実は辛く厳しいものです。なぜならば、実際に殊さんたち登場人物はここに至るまで手痛い失敗をしているし、そして失敗をし続けているからです。
時々日常モノのような穏やかな空気感の作品を「優しい世界」などと評するのを見かけますが、果たして『またぞろ。』世界が”優しい”のか”優しくない”かということは、はっきりとわたしは判断できません。


作中で一度、アニメかドラマかわかりませんが、フィクションの映像が流れる部分があります。この中で「留年しちゃうよーっ」と嘆く登場人物は、次に描かれるシーンで「追試合格だったよー!」と喜んでいます。これを見て「現実もこんなだったらいいのになあ」とボヤいて、そのエピソードは幕を閉じます。
よく漫画の中で「そんなマンガみたいな」などと突っ込むことで暗に「この登場人物はマンガの中にいるわけでありませんよ」なんて示すセリフがありますが、『またぞろ。』においてはこのシーンは少し別の意図があるように思います。ここで重要なのは『またぞろ。』が現実かそうでないかではなく、留年が発生しない世界なのか、そうではないのか、ということです。
そして少なくとも、留年が発生するということにおいて、その作中のフィクションよりも『またぞろ。』は一歩わたしたちの生きる現実に近いと言えます。


物語においては、登場人物の決心や祈りというのは、時に世界の法則をも超越します。それが作られたフィクションとして当然の姿勢で、そしてそれこそが物語の整合性というやつで、あるべき”ご都合展開”であるからです。


しかし『またぞろ。』における現実というものは、登場人物の力でどうにもならない過酷なものとしてハッキリと存在しています。作中で何度か殊さんは「これから頑張ろう」と強く決心するのですが、そのたびに失敗してしまいます。
ああ、またまた、同じように失敗してしまった。また、こうなってしまった。又、候。
これこそが、またぞろ。

dictionary.goo.ne.jp

この言葉をタイトルに冠する『またぞろ。』という物語は、そういう風にうまくいかないようにできているお話なのです。
さきほど殊さんには自分の力でぐいぐい世界を動かしていける力がない、なんて話をしましたが、それはこの『またぞろ。』世界そのものが過酷だということに他なりません。


『またぞろ。』のような過酷な現実を前にしたとき、人々は諦めるしかないのでしょうか? いやそうではありません、実際わたしたちは物語ではない現実を生きる上で、どうしようもないことに直面しながらも、えっちらおっちらなんとかギリギリで乗り切っていくしかないし、実際ここまでそうしてきたことと思います。
それは殊さんたちにとっても同じことなのです。たぶん彼女たちもそれをわかっているから、失敗してもまた懸命によりよくあろうと生きているのでしょう。


現実はよくできた物語のようにうまくいくことばかりではありません。社会に求められる完璧な姿、人から求められる完璧なイメージ、時にはそんなものにそのまま当てはまることはできないことがあったって、当然なのではないかとわたしは思います。


「なんせわたしたちは、留年生だからな」この諦めの籠もった自虐的なセリフに、同時にわたしはとてもおおらかなものを感じ、救われたような気持ちになります。人がゆっくりゆっくり生きることを許してくれる、そんな作品である『またぞろ。』は、たとえその世界が厳しくとも、とても優しい作品であることには間違えありません。
そしてそんな優しさにこそ、わたしは心が震えるのです。


人間がへたくそな人たちが送る、人間がへたくそな人たちのためのお話、それが『またぞろ。』なのだと思います。


あなたが現実で辛く苦しい気持ちになることがあるならば、このお話がちょっとした救いになることもあるのではないでしょうか。過酷な現代を生きるいろいろな人々に、是非読んでいただきたい一冊です。


人間失格

人間失格

2020/04/17-18 「Re:ステージ!ワンマンLIVE!!~Chain of Dream~」感想

オハヨルキア


Re:ステージ!のワンマンライブに行ってきました。状況に恵まれず延期となってしまいましたが、ファン一同悲願の開催でしたね。はっきり言ってムチャクチャ良かったです。
正直はしゃぎまくってあんまり詳しいこと全然覚えられていないんですけど、せっかくなので軽く感想を残しておきます。

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振替の先行と、後は一般で参加しました。

  • オルタンシア公演(18日①)
  • KiRaRe公演(18日②)
  • テトラルキア公演(18日①)
  • トロワアンジュ公演(18日②)
  • ステラマリス公演(18日③)
  • 総括
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2021/03/07 ~現実と虚構の間で~ 8beatStory♪ 2_wEi Special LIVE This is a “TRILL STORY”. 夜公演 感想

2_wEiとしても、わたし個人としても、実に一年ぶりのリアルライブだった。
Keep it Trill

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