日陰の小道

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【ラブライブ!】”蓮”体験記 ~『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』って一体何なんだ?~

こんにちは~。


最近むちゃくちゃ”蓮”見てました。


”蓮”とは……

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブは、
1年365日、入学から卒業までの限られた時間のなかで、
彼女たちと喜び、悲しみを共にし、同じ青春いまを過ごす、
リアルタイム「スクールカレンダー」連動プロジェクトです。


らしいです。

つまり……どういうこと?

蓮体験前夜

蓮ってどんなコンテンツなの?

……ということが全然よくわからなかった。

www.lovelive-anime.jp


ファンダムへの不満では全然ないのですが、蓮って自分の中だと盛り上がってることはわかってても、どう盛り上がってるんのか今ひとつわからないコンテンツでした。映画とかだったら「この映画めちゃくちゃ面白い!」ってイメージしやすいんですけどね。触れてみて思いますけど、全く知らない人がピンとこないぐらいにはやや複雑な構造のコンテンツなんだと思います。
それはともかく、私の観測範囲で蓮が大変盛り上がっていたことは知っていたのですが、しかしながら

「美しい……」
「青春の煌めき……」
「輝ける今……」

みたいな言葉が固有名詞("スリーズブーケ"、”みらぱ”、"ド!ド!ド!"など)と共に流れていくので、ハッキリ言って何がどうスゴいのか全然よくわかっていませんでした。オタク界隈ではコンテンツにハマることを「狂う」と表現したりもしますが、外から見ている分だとまさしく狂信的な印象で、はっきりいって「なんか怖いな~!」ぐらいの気持ちでした(繰り返しになりますが、ファンダムへの文句ではないですよ!)

正直ちょっと怖かった紹介文

リアルタイムコンテンツというもの

や、蓮がリアルタイムコンテンツっていうのは知ってたんですよ。出た時に話題にもなってたしね。それで、一応私も曲がりなりにも『ガールズラジオデイズ』(通称:ガルラジ)にめちゃくちゃハマってましたから、リアルタイムコンテンツのなんたるか、というのは自分なりにいくらか理解してるつもりです。

cemetrygates1919.hatenablog.com↑ガルラジに衝撃を受けた自分が書いた紹介記事


僭越ながら、ここでリアルタイムコンテンツについて軽くお話しておきましょうか。
ふつう、物語というのは我々の過ごす時間とは別の時間/世界で繰り広げられるわけですよね。テレビアニメをの1話と2話を2週連続放送で見たとして、わたしたちの時間ではそこに1週間の時間差がありますけど、アニメの中だとそうとは限りません。ところが、リアルタイムコンテンツというのは「供給1」と「供給2」がわたしたちに届くまで間に1週間開きがあったら、実際作中でも1週間経ってる、みたいな特性があります。
これだけ聞くと「ふーん。だったらなんなの?」とこんな感じかもしれませんけど、実際これは体験してみると思った以上にエキサイティングです。「今自分が受け取っているこれって、作品の”あちら”でも今同じ時間が流れているんだ!」 という感覚。「供給1」で刺激的なものを受け取って、1週間それについてあーだこーだと考えている時間を私が過ごしたとしたら、作品の中でもそれと同じだけの時間が流れます。だから「供給2」を受け取った時の、私側の感覚と作品側の感覚みたいなものが、どんどんリンク/シンクロしていくんですよ。
例えば放送なり配信が終わった直後に「ああ今私は供給を受け取ったわけだけど、向こうでは、まさに、今! どんなやり取りが行われているんだろうか……」だとか、空を見上げて「今この同じ空の元、世界のどこかに向こう側の人もいるんだよな……」とか考えて、だんだんと現実世界とフィクションの境目が曖昧になって「狂って」いきます。

いやだから、リアルタイムコンテンツがおもろいのって知ってるんですよ。知ってるんですけど、

””重い””

んですよね。これって。
このブログとか私のSNSとか他に見てくれてる方がどのぐらいいるのかわかんないんですけど、私って今までさっき言った『ガルラジ』とか、あと拡張少女系トライナリーとかにハマってたんですよ。だから実在性だとか、リアルタイム性だとか、そういうのってエキサイティングなのはとてもわかる。わかるんですけど、もうハマると生活だとか、意識だとか、そういうのもそっちに引っ張られるので、自分の感覚がメチャクチャになるんですよね。

cemetrygates1919.hatenablog.com↑トライナリーに衝撃を受けた自分が書いた紹介記事(このシリーズ多くないか?)


ちょうどその時の気分って、作品に自分を合わせに行くんじゃなくて、自分なりの形で作品に向き合いたい気分だったと思うんです。私の中で、リアルタイムコンテンツにハマるってことは、自分の生き方のペースを作品側に捧げる、みたいな感覚があります。結構気合が要るんですよね。
はっきりいって私なんて高校を出たのなんてもうだいぶ前の、年だけ言えばいい大人ですから、ほんとにわたくしが青春いま、やれんのか!? みたいに、自信があんまりなかったわけですよ。

正直気合が要る紹介文

蓮体験記

蓮に触れるぞ!

そんなこんなで二の足を踏んでいたんですけど、観測範囲内では日に日に無視できないレベルの盛り上がりを見せています。ちょうどその頃、蓮に触れ始めた方がぽつぽついらっしゃったんですね。で、私自身もそんな折に蓮にメインストーリーみたいなものがあって、それは動画コンテンツなのだってことを知った(教えてもらった)
私にとって蓮って、色々な人を巻き込んで脈動する謎のものすごいうねりのようにしか感じられていなかったので、その時まではコンテンツの形すら知らなかったんです! 多分ファンの皆さんはそういうことも話してて、でも私が距離を置いててよくわかってなかったんだと思うんですけどね……。

https://mtg-jp.com//img_sys/cardImages/AVR/294379/cardimage.png
蓮シーンに対しての私のイメージ


メインストーリーの動画は、その時13話まで出ていました。「まあ動画だったら、アニメを見るみたいな感覚で見てもいいか……」と思いました。実際に興味はあったのだと思います。

私は作品に触れるときに縁とかタイミングを結構気にするのですが、振り返るとこのときにタイミングが、来てたのかもしれないですね。

活動記録(メインストーリー)を見るぞ!

youtu.be


「そうと決めたら、やらなくちゃ!」

ということで、動画コンテンツを見てみることにしました。これは大体1話40~70分ぐらいの長さ*1で、まあそれが13話となるとそこそこの量ではありますが、とはいえわりとのんびり見て行けそうだなと思いました。

3Dアニメと言ってもそんなにすごくカメラワークだとか演出が凝っている印象はなかったのですが(段々とそれもグレードアップしていった感じはありますが)しかしだからこそ、わりと食事中とかに見てもいいぐらいのテンションで見ていけそうです。気合を入れてアニメを見るとかに比べると、継続ハードルは低いなと思いました。何よりも”重さ”に怯えていた私にとっては追い風です。
実際、序盤からお話の内容もなかなか面白かったです。楽しい学校生活を求めて蓮ノ空女学院を訪れた花帆さんが、スクールアイドルというまさに楽しいことに出会い、取り組んでいくこと。伝統ある部活動の中、先輩後輩の関係の中で頑張っていく……みたいな感じ。私も文化部の経験があるので、なんだかとても懐かしい気持ちになりました。
登場する皆さんのモデルも可愛らしく、またキャラクターの立て方もコミカルだけどみんな頑張ってるんだなぁって感じで、魅力的に感じました。
ストーリーが進むに連れて、それぞれの持っている悩みや問題が明らかになり、それを「あなたとわたし」もしくは「みんなで」解決していく。この「みんなで」ってのは多分ラブライブ! シリーズの理念なのかなと思うのですが、活動記録を見ているとそこもスッと受け取ることができて、だんだん蓮ノ空スクールアイドルクラブの「みんな」のことを、好ましく感じている自分がいました。

とまぁ、活動記録を見進めていて、結構楽しんでいたんですけど、まだ蓮の全貌というとなんなのか全然よくわからないというのが正直なところでした。活動記録の3話ぐらいまで見ていた頃でした。

配信も見よう!

蓮はこの他に配信もやってると聞きました。活動記録と配信、どっちがメインなのだろう? と私は考えていました。

再び『ガルラジ』の話をしますが、蓮の全貌を掴むため、私は蓮に近い構造を持っていると感じていた、ガルラジのことを思い出していました。そして蓮に比べると、私にとってガルラジの構造はわかりやすかったです。
ガルラジ(ガールズラジオデイズ)のメインコンテンツは、その名の通り「ラジオ放送」でした。ガルラジというのはキャラクターラジオコンテンツで、声優さんが演じるキャラクターたちがラジオを放送している、という形で番組をやっています。つまり、ガルラジを追おうと思ったら、とりあえずラジオを聞いておけばいいのです。

youtu.be
↑ガルラジにも蓮と同じく石川舞台のチームがあり、縁だな~と思いました。


ところで、ガルラジというのはそのラジオのバックボーンを描く物語の補完として、ショートノベルみたいなものを公開しています。なんでこの子たちはこのラジオ番組に取り組もうとしたのか? と、そういうことが描かれています。それを読んだ上でラジオを聞くと「ああこの話ってこういうことなんだ」と、コンテンツの持つ《物語》が立体的に見えてきたりします。

そういう経験を踏まえて、もしかして蓮のメインコンテンツは活動記録(ストーリー)ではなく、配信の方という可能性もあるのでは? と考えました。そこで、活動記録と並行して、配信も少しずつ見ていくことにしました。


まず見たのがこれ。うわ~本当に配信やってる感じなんだ、と素直に驚きました。
まだまだ慣れておらず、正直戸惑いのほうが大きかったです。花帆さんが大変可愛らしくて、ウォ~と思いました。花帆さんフリーレン見てるんだな……ごめん……俺はその時間『攻略うぉんてっど! 異世界救います!?』*2見てて……。
あと活動記録の3話ぐらいまで見ていたので、花帆さんがこんなに楽しそうに配信やってるのってメチャクチャいい話だな……とちょっと思いました。
あとリンクラのシステムが全く分からなかったので、アフターから締め出されてびっくりしました。早く後追いできるようにして欲しいです。


え…………。

萌えすぎ。

驚きのあまり「みんな俺に黙ってこんな萌えを享受していたのか!?」みたいな発言をSNSでしたら「前から蓮見ろって全員に言ってたでしょ!」ってフォロワー様に怒られました(すみません)
この回は正直萌えの暴力すぎて叫んでたら終わったので何もわかりませんでしたが、この瑠璃乃さんって子、かわいいな……と思いました。振り返ると活動記録とのギャップを感じられて、これはこれでいい出会いだった気がします。
今回はちゃんとアフター見るために10000pt投入しました。

この頃「蓮の配信は週3ぐらいのペースで追加される」とか「もうアーカイブが80本を超えている」とか聞いて、やべーコンテンツだなって思っていました。精力的すぎるだろ。何事?

ともかく、配信を2回リアタイしてみたのですが、まだまだ私は蓮がどんなコンテンツなのか掴みかねていました。活動記録の状況と対応した配信があるなどということも聞いたりして、なんとなく足並みを揃えているんだな、とは思っていたのですが、基本的に活動記録メインで見ていたため、あまりまだその頃はピンと来ていませんでした。この頃、活動記録の6話ぐらいまで視聴完了していました。

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブのことがまだまだわかっていないわたくし(イメージ)

ライブもあるらしいぞ!

youtu.be

活動動画メインで見てたので全然ちゃんとわかってなかったのですが、3Dライブというのをやってるらしいです。あんまり私は3Dライブの視聴経験がない*3のですが、いろんな音楽コンテンツとかVtuberさんとかがやってるイメージです。
ドラマ仕立ての活動記録よりは、おそらく台本とアドリブで進んでいく感じの、配信に近い形式でした。

ラブライブ! ってシリーズ名なぐらいなんだし、ライブがメインなのかも? とも思ったのですが、それも確信がありませんでした。やっぱりここって活動記録ありきな部分もあり、活動記録が添え物だとも思えなかったからです。

この頃の私は流石にちょっと考えが変わって来ていました。例えるならば今までは、"蓮"という植物の構造を手っ取り早く掴むために、何がひときわ目立つ花の部分で、そして何がその花の周囲にある葉なのか……ということを考えていたのですが、そもそも別にどっちがメインでどっちがサブとかそういうコンテンツではないんじゃないか、と感じつつありました。

ゲームはよくわかってないぞ!

ゲーム部分については左上の三角を押すとバトルスキップできてリザルトが見られることしかまだわかってないです。

ゲームについてはそのうちわかるだろうという姿勢のわたくし(イメージ)

蓮の魅力、わかってきたかも!?

《物語》と《現実》の交差点

そうこうしつつ引き続き活動記録を見ていたわけなのですが、進むに連れてどんどん面白くなってきました。8話あたりは一つの山場なんじゃないかな、と思うのですが、このあたりから次第に蓮のコンテンツとしてのあり方みたいなものが、私にも掴めてきたように感じていました。

この活動記録の8話をYoutubeで見ると、そのまま同じ動画で3Dライブの「103期6月度Fes×LIVE@撫子祭」が流れるようになっているんですよね。で、そのライブっていうのが活動記録の内容を踏まえてたりして、ストーリーで乗り越えたことをライブで表現しますよ! みたいな展開が結構出てきたりする。ただリアルタイムで提供されるという3Dライブがそこにあるだけじゃなくて、活動記録のシナリオを読んでいたらめちゃくちゃ文脈が乗りまくるというか、むしろストーリーの完全に一部じゃん、みたいな関係になっているんですよね。
だから、この「活動記録第8話 + 103期6月度Fes×LIVE@撫子祭」を見て、私は初めて蓮がどういう体制で動いているのか、ということを実感として理解できました。当時は、活動記録はフィクション然としていて我々の世界からは距離のある《物語》で、一方生でやってるっぽい配信やライブは《現実》と地続きなものだから、ここがどう両立してるのかよく分からなかったんです。だって蓮が《現実》だとしたら、あまりにパーソナルな部分が覗けてしまっていることになる《物語》を我々が見られるのは、おかしいじゃないですか。
けれど、これって純粋に同時に並び立っていたんだと思います。私はずっと、蓮が《物語》なのか、あるいは《現実》なのかということを考えていましたが、そもそもこの問いというのは間違えでした。蓮というのは、この両方だったのです。

『Link! Like! ラブライブ!』メニュー画面

さて、一つ《物語》:活動記録 と《現実》:配信&ライブ のそれぞれにて着目したい大きな共通点があります。それはこの両者で同じ3Dモデルを使用している、ということです。
この構造によって、《物語》と《現実》はなめらかに交差している。《物語》を主体として見ると《現実》にその登場人物が飛び出しているように感じられるし、《現実》を主体としてみると、《物語》の中に実在の人物が出演しているように感じられる。そしてこの認識はどちらが正しいというわけでもなく、互いに重なりあって共存しているのだと思います。


つまり《物語》と《現実》が奇妙に重なりあっている状態が『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』というコンテンツのあり方なのだと思います。


《物語》と《現実》が交差している感覚は、おそらく「活動記録」がアニメやノベル形式だったとしたら、成立しないものではないかと思います。単純な話、だってその時《物語》の日野下花帆さんと、《現実》の日野下花帆さんの姿は、一致しないのですから。

仮に活動記録が全編このようなアニメ調だったら、上記の感覚は得られないと感じています
(それはそうとこの花帆さんはめちゃくちゃ可愛いですよね)

タイトルを挙げた『ガルラジ』『トライナリー』が私にとってそうだったんですけれど、これらって「実在性」みたいなものを感じさせるタイトルでした。どういうことかというと、当然これらってフィクションだから作られた《物語》なわけなんですけど、この認識を破壊して《現実》なのだと錯覚させる。

また蓮以外の話になっちゃうので申し訳ないんですけど、例えば『ガルラジ』はそのメインコンテンツであるラジオを聞いている時、それってキャラクターの声なんですけれど、我々の感覚としては、それって生きた人の声を聞く体験と相違ないわけです。そうしてラジオを聞いている時、私たちは《物語》を《現実》と錯覚する瞬間がある。ガルラジはラジオが圧倒的にメインコンテンツだから、その錯覚は錯覚のまま存在して、結果として「実在性」みたいなものが生まれていく。
一方の蓮って、やっぱり半分はまごうこと無き《物語》のまま、その《物語》であるという認識が破壊されることなく、存在しています。配信やライブがどれだけ《現実》に接近してきても、活動記録を見るとそれは《物語》なんだな、という認識に”引き戻され”てしまう。それでいて、こっちがコメントとかを投げられる配信やライブっていうのは、やっぱり《現実》と地続きなわけですよ。私はこのどっちつかずなところが、しかし蓮の面白さでもあると思います。
どうしようもなく《物語》であるのに、しかしそれが《現実》と同じ時間で進行していく描かれかたをしているということ。上記の説明の通り、私はあまり蓮について(いままで経験してきたコンテンツに比べると)「実在性」の高まりを感じていないのですが、これはこれでとても刺激的な体験です。

ストーリー観点で見る、リアルタイムコンテンツの中での”今”の肯定

本記事はあまりネタバレをしない方針のため、ここについてあまり深く踏み込んだ話はしないのですが、蓮のシナリオがそもそも「今って大切だよね」という話をずっと続けていること。これはリアルタイムコンテンツとしての仕掛けと直接関係はないことだと思うのですが、実はめちゃくちゃ大事なことなんじゃないかと思っています。

「Dream Believers」 リリックビデオ

「輝かしき今」と対比されるように、活動記録のストーリーには「過去」が常に横たわっています。詳しい話は割愛しますが、この過去――1年前、まだ花帆さんやさやかさんの代がおらず、梢先輩や綴理先輩の代が1年生だった頃のことなのですが――この過去というのは「失われてしまった苦い過去」です。蓮の今が輝けば輝くほど、その過ぎ去ってしまった過去の影というのは時に大きくなる。活動記録のストーリーは、何度かその過去を乗り越えて新しい”今”を創造していくというストーリーが展開されます。

苦い過去とは言いましたが、忘れたい過去というわけではありません。ただ、その過去というのは、色々と挫折や失敗、すれ違いもあって、今のこの時間からはどうしようもなく断絶してしまっている。それを取り戻そうとするならばなんとかその過去に糸を結んで、慎重に慎重に手繰り寄せなくてはならない。そうして、蓮の《物語》の中で、先輩世代が過ぎ去った過去を見つめる時に、わたしはそのかつてあった時間の儚さに、心を打たれるのです。

振り返るとこんなにも愛おしく、届かない思い出の中の過去。劇中では、ほんの1年前のことなのですが、今年のことしか知らない私たち(や、多分花帆さんたち)にとって、それは遠い遠い昔のように感じられてしまいます。
でも多分1年前、過去がまだ今という形をしていたとき、それはすぐそこにあって、いつでも手が届くものだったはずです。

だから、蓮の物語で、その過去が愛おしく振り返られる時――私はつい考えてしまうのです。いつだってすぐほんの先にあって、そして残酷なまでに揺るぎない、今が過去になってしまうタイムリミット、ということについて。それは、今まさにすぐそばにあたりまえのようにある「輝かしき今」の近くにだって存在しているものです。
だから私は蓮に触れているといつも、"今"が愛おしく、尊く、儚いもののように感じられてしまってたまらないのです。

しかしもしも、蓮がリアルタイムで動くコンテンツでなければ、もうちょっとのんびりと構えられたことでしょう。新入生というメンバーの追加に、そして先輩たちの卒業。《物語》の上でも極めて重要なこうした転機は、普通であればまぁそうそう頻繁に来るものではなく、数年単位でどっしりと構えておけばよいでしょう。
ところが、蓮はもう、今が1年目の12月として……新入生は半年も立たないうちに参入するでしょうし、先輩方は、少なくとも1年と3か月後の、再来年の3月には卒業です……
1年と3ヶ月後には卒業!?!?
そう、今という時間もまた、過ぎ去りし過去同様、けして長くは続かないことが確定しているのですね。

私は蓮のことを全然知らないとき、その《物語》については、はっきり言ってややナメてしまっていました。というか、活動記録があることもよくわかってなかったので、どの程度《物語》が存在しているのはもわかっていなかった、というのが正確でしょうか。多分みんなはリアルタイム性のギミックにやられているだけで、配信とかを見てリアルで動くキャラクターを見て楽しんでるんだろうと、そう思っていました。でもそうではなかった。

自分が感じた『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』の面白さについて何か一つ挙げるとするならば、それは「物語の強さ」だと思っています。"今"を愛おしくさせてしまう力のある《物語》がここにある。

蓮ってまだ一年足らずなのに、楽曲は40曲程度、週2,3回配信でアーカイブ80本超え、活動記録のストーリーは長さだけで言えば2〜3クールのアニメぐらい、ライブ配信も毎月あるので、はっきり言ってムチャクチャな密度だと思います。この上で1年ちょいでメンバー卒業って、いくらなんでも生き急ぎすぎでしょって感じなんですけど、逆にこの密度によって、蓮は本当に時間の経過による変化を真っ向から描くつもりなのだろう、という迫力があります。

なぜならば、このコンテンツは、

蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブは、
1年365日、入学から卒業までの限られた時間のなかで、
彼女たちと喜び、悲しみを共にし、同じ青春いまを過ごす、
リアルタイム「スクールカレンダー」連動プロジェクトです。

なのですから……。

「蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん」になるということ

「蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん」*4最初に聞いた時は公式のファン名称だと思わずにかなり面食らいましたが、これってとても本質的でいいファン名称だと私は思っています。この名前って、クラブという対等の立場であるということ、なんですよね。私たちはアイドルとファンの関係ではあるのですが、そこにこのクラブという名称を用いるのは、ステージと客席、カメラの向こうとモニターの前、という隔たりをできるだけ取っ払って、一つの”みんな”という集団であるように、というニュアンスを感じ取ることができます。これってすごく素敵な事だと私は思うんですよ。

まぁそうは言ったって、梢先輩や花帆さん、実際のスクールアイドルのみなさんの頑張りと、ただ見るだけの私たちでは、当然立場は違うことはわかります。ただそれでも、ラブライブに向けて奮闘する彼女たちに応援という形を届けられるということ。その”あなたたち”と”わたしたち”の関係って、とても美しいものだと私は思うんですよね。

ところで、私が決定的に蓮に心を掴まれた瞬間というのがありました。それは12月11日のWith×MEETSの配信、私が3回目にリアルタイムで見た配信でした。

With×MEETS より

その配信は花帆さんの雑談配信だったのですけれど、他愛もないお話の後で、花帆さんがラブライブ! への意気込みを語ったんですよね。その時に私は、なんと言いますか「ああ、本当に花帆さんはラブライブ! に向けて毎日頑張ってるんだなぁ」ということに何故かたまらなくなってしまった。そんな時にふと配信のコメント欄を見ると、もう目で追えないくらいのスピードで、皆口々に応援の言葉を投げかけてるじゃないですか。楽しいことを見つけようとして、金沢の学校に来て、実際に楽しいことを今まさに見つけている1人の少女のことを、こんなにも心から応援している人が”実際に”いるんだと、私はあまり普段コメントが流れる配信とかを見ないものですから、なんだか本当に驚いて、気圧されて、そしてそのコメントが流れるだけの光景に感動してしまった。配信が始まる前はコメントって何書いていいかわかんないよねなんて思っていたけれど、思わず、一言だけ。「応援しています!」と、始めてのコメントを送ってしまった。

最初に私は「蓮のファンの人たちは、見えてるところが違って怖いなぁ」みたいに思ってたことをね、ちらっと書いたかと思うのですが。結局のところ、これってゆるやかに内輪になっていたか、どうかだと思うんですよ。内輪っていうのは悪い意味じゃなくてね、一つのゆるやかな”みんな”の形と言ってもいい。コンテンツにハマるって多かれ少なかれそういうものではあるのですが『蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ』っていうのは特にそういう性質があるんじゃないかなと思います。

私は、個人個人が作品に触れる姿勢というのは、自由であれば自由であるほどいいと思っています。同じ花を見て、きれいだなと思うこともあれば、全然そう思わない、ということもあっていい。その一つ一つの感想こそが、本来その人にしか持ち得ない、掛け替えのないものだと思っています。
そういう意味では、蓮によって”みんな”になることは、そういう考えとは一致しないのかもしれません。けれども、この限られた”今”の時間を共に過ごすということ、そのことに今の私は……どうしようもなく惹かれてしまっているのかもしれないです。
今の私の気持ちを正直に話せば、私より先に蓮を知ったあなたと、そしてまだ蓮のことをしらないあなたと、一緒に花咲きたいと思っています。

活動記録より

おわりに

思ったより長くなってしまい、結局これって誰向けなんだよみたいな感じの文章になってしまいましたが、「蓮ノ空のこと好き好きクラブ」の皆様にはこんな触れ方をしたやつもおるんやなぁということを楽しんでいただいて、まだ「蓮ノ空のこと好き好きクラブ」でない皆様には、これから好き好きになる道標にほんの少しなればよいな、と思って書きました。

長々とコンテンツの感想? みたいなものを書いたんですけど、私はとりあえず蓮に触れるとしたら活動記録を見ていけばいいと思っています。やっぱり、そこにある《物語》が気に入るかどうかが一番大きいんじゃないかと思うので。それでピンと来たら、もうあとは配信でもなんでも、めちゃくちゃに掘ったら全部楽しいから、言う事ナシですよね。

また、蓮のことを高速履修するにあたって、好き好きクラブの先輩の皆様方には「この活動記録の前や合間にこれを見たほうが良い」などと何人もの方にマメに暖かいご指導をいただけて、この記事を書く上でも大変参考になりました。拙文がファンダムの僅かな賑やかしにでも、もしなれるなら幸いでございます。

「蓮の蕾と校舎」2023年6月 千葉市にて筆者撮影

*1:後ろになってくるとライブ込で150分とかになってきますが……

*2:マジで面白い 皆さんも見なさい https://koryaku-wanted.jp

*3:アニメくんなので『絆のアリル』ぐらい

*4:梢先輩が「蓮ノ空のこと好き好きクラブの皆さん……」って言うのが好きすぎる