日陰の小道

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【ラブライブ! 蓮ノ空】活動記録17話『ルリ思う。』読解・感想 ~同じことと、違うこと~

2月の活動記録、17話が完結しましたね! With×MEETSで瑠璃乃と慈の仲がぎくしゃくしている様子が描かれて、ハラハラしたままシャッフルユニットの催しが始まって。正直With×MEETSをまったり楽しみたい私としては「こんな展開やめてくれよ~」などとも思っていたわけなのですが、活動記録が前半からあまりにも面白すぎて全ての不安が吹き飛んでしまったのを覚えています。
今回のエピソードは今までの活動記録の中でも特に気に入ったものなので、せっかくなので1本記事を書くことにしました。



はじめに ~人のすれ違いについて~

いきなり違う作品の話をして恐縮なのですが、私の好きなアニメのエピソードに、ガールフレンド(仮)2話『ブルー・メロンパン』というものがあります。

この回は新体操部の心美がメインのお話で、彼女は密かに体重の増加に悩んでいてダイエットをしようとしているのですが、これがどうにも上手くいかない。彼女は新体操部の期待のエースということもあって、ダイエットに悩んでいるみたいなことをなかなか白状できずに、なんだか噛み合わないコミュニケーションを繰り返してしまうのです。その後ダイエット中ということが皆にも伝わって、猛烈に運動したりするのですが、そうすると今度は大量のメロンパンの差し入れが来て、空腹に負けて台無しになってしまう。
……と、このアニメはこんな風にとにかく「話が噛み合わない」という話なのですね。心美が自分の演技に対する「安定感がある」という評を肉体の重みと解釈して落ち込んでしまったり、脂肪の燃焼の話題が青春に燃える話にすりかわってしまったりと、言葉に対して読み違え/勘違いをするというようなシーンが多いのも、すれ違いのエピソードだからなのでしょう。日本語って難しいですよね。

ガールフレンド(仮)2話『ブルー・メロンパン』より

結局この話はモデルの奈央という子が、心美の悩みを見抜いたり、またダイエットについての的確なアドバイスをすることで、上手く噛み合い始めて行きます。ところで実はこのエピソード、心美の周辺で大勢の人々がから回っていく裏で、奈央が微妙に人と馴染めていない様子が描かれてるわけなのですが、心美の悩みをスパっと解決したことで「奈央ちゃんすごい!」と奈央の周りにも人が集まってきて、終盤になってパズルがハマるように、なんだか奈央側の話もキレイに解決してしまいます。
私はこの、なんだか酷く遠回りをしているようですが、しかし”なんとなく”上手く回ってしまっている、この緩いエピソードが好きなのです。「優しい世界」などと言ってしまえばちょっと陳腐ではあるのですが、元来人というのは認識も価値観も違うわけですから、その上で双方がいい感じにハッピーであるならば、それに越したことはないと思うわけですね。なかなか現実は、こう上手いこと噛み合わないことばかりなのですが。

「人というのはすれ違うし認識も様々」しかし「関係が円満でいるには折り合いをつけねばならない」ということ。これを直接解決するには、どちらかが折れるしかないのでしょうか?
ラブライブ! の大会を終えて、各メンバーのそれぞれ異なる大会への向き合い方を見事に描ききった蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ。その先にあった、活動記録 第17話「ルリ思う。」というエピソードに横たわっているのも、こういう問いだったように私は思うのです。

瑠璃乃と慈の差異について ~「スクールアイドル 大沢瑠璃乃」の目覚め~

『みらくらぱーく!』の方向性をめぐって瑠璃乃と慈が衝突した活動記録17話でしたが、元をたどればラブライブ! の決勝敗退を受け、瑠璃乃がスクールアイドルとしてどうあるべきか、ということについて目覚めたことがきっかけでした。
3つのユニットを繋いで一つの形にする、そんな戦略で挑んだラブライブ! 決勝ですが、やはり人というのは個性がありますから、その敗退に対する受け止め方が様々であることが15話で描かれていました。普段部長として皆を支える梢が、その自身のラブライブ! への思いの強さから人知れず涙を流していたのと対照的に、瑠璃乃はラブライブ! の持つ熱気に当てられ、それと比べて瑠璃乃自身のラブライブ! への情熱が(比較的)乏しかったことを自覚していました。

元々大沢瑠璃乃という人物の造形は捻りがあって蓮ノ空のメンバーの中でも非常に面白いな、と私は感じていました。表層の姿では陽気で明るい帰国子女という彼女ですが、蓋を開けて見ると「人と関わっていると”充電切れ”を起こしてしまう」という意外なギャップがありました。後追いで蓮ノ空を見ていた時、キービジュアルやちょっとした出番から私の中で「陽気なムードメーカー瑠璃乃」の像を固めていたところ、それが活動記録8話で一気に崩れて驚いたことを今も覚えています。
このギャップ作りのいいところは、陽気が偽/根暗が真という単純で安易なギャップの面白さだけではなく、あくまで「陽気なムードメーカー瑠璃乃」というのも確かに彼女の一側面を捉えてはいることだと思っています。瑠璃乃にとって、いつでも基準となるのは他人でした。楽しいことが好きな彼女は、しかし同時に楽しくない人がいると自分まで楽しくなくなってしまう。だからみんなが楽しいために尽くしたい、他者がハッピーだと自分もハッピーになれるから真っ先にハッピーに振る舞える、瑠璃乃というのはそういう人です。
でもそれだと頑張り過ぎてしまうから、気力が尽きて”充電切れ”になってしまうと一転、誰にも負けないぐらいダウナーになってしまう。個々に目を向けることができる細やかな寄り添いと、同時に他人のために限界までいくらでも動けてしまう底抜けの優しさ。自由の国・アメリカから飛んできた彼女の骨子となっているのは、自由とは程遠い繊細さです。
この繊細さによって、他者を慮れるムードメーカー瑠璃乃と、ダンボールに隠れてしまうダウナー瑠璃乃というのは、同じ人物の中で滑らかに繋がっています。

瑠璃乃は、基本的に他人優先な控えめさがあります。
活動記録 第8話『ルリ・エスケープ』より

一方ユニットの相方である慈は、瑠璃乃と対照的な人だと思います。彼女はスクールアイドルとして成功するためには強さが、アイドルとしての実力が必要だと知っている。だから彼女はいつでも配信やステージでは完璧な姿を用意して、完全無欠のアイドル像を作り上げます。一方で直情的なところもあり、これがいいと思ったら突っ走れる迅速さもある。誰よりも早く”楽しい場”を作り上げてしまう慈が、瑠璃乃にとって救いや憧れであることには納得感があります。
しかし慈という人は、この自分中心の強さを持ちつつも同時に底抜けのお人好しでもあり、ここぞという時に「自分だけが犠牲になって丸く収まるならいいか」と、真っ先に自分自身を切り捨ててしまうという、大きすぎる優しさも持っている。この他者優先のスタンスが飛び出すところについては、慈と瑠璃乃の大きな共通点だと私は思っています。

慈は、スクールアイドルに大切なものは実力だと考えています。
活動記録 第10話『スクールアイドルクラブのために!(?)』より

2人のユニットである『みらくらぱーく!』のコンセプトは、世界中を夢中にさせるスクールアイドルです。ユニットのスタンスとしてまず世界中(他者)のことを掲げる理念というのは、慈と瑠璃乃の人物像で重なっているところがキレイに出ているんじゃないかなぁと思っています。
「めぐちゃんの理想は自分の理想」これがずっと崩れなかったので、瑠璃乃は『みらくらぱーく!』で慈の夢を実現できていれば幸福でした。しかし、瑠璃乃はもうひとりのスクールアイドルとして目覚めてしまいました。みんながハッピーであるためにもっともっと個に寄り添いたいという自分のやりたいことを見つけた瑠璃乃は、慈が相方のために作った、穏やかで幸福な鳥かごから飛び立とうとしてしまうのでした。

「もっと蓮ノ空!リンクラ新聞部 Vol.2」より

note.com

ユニットシャッフルを経て ~個々の価値観と、すれ違い~

自分のやりたいことの素晴らしさをみせつける、というような瑠璃乃のアイデアから始まったユニットシャッフルでしたが、結果的に普段のユニットでは見られない、一味違った色がたくさん見えてかなり面白い展開でした。
慈が花帆と組んだ『かほめぐ♡じぇら~ど』はとにかくアクティブな印象のユニット。やりたいことがあったらとりあえずまずやってみよう! という速さがあり、慈の様々なアイデアを実行したり、まさかの8時間配信*1を実行します。瑠璃乃は先程書いたようにとても繊細な子で、しかも充電切れもあるでしょうから、慈と組んだとしても配信の場で8時間というのはおそらく無理で、それは慈にもわかっていて今まで実行しなかったのでしょう。花帆はノリも良く、とりあえずやってみよう! という勢いも慈と共通しているので、そこがユニットのカラーになったのだなぁと思います。

『かほめぐ♡じぇら~ど』はとにかく可愛さを全面に押し出したユニットに。
活動記録 第17話『ルリ思う。』より

一方の瑠璃乃の相方は綴理。独特の空気感のある綴理ですが、そののんびりしたところは案外瑠璃乃と気が合うところだったりもします。最初は他人(綴理)のために! とから回っていた瑠璃乃ですが、綴理からそのことを見抜かれ、お互いに楽しめること、として釣りをチョイスし、目論見通り楽しい時間を過ごします。綴理もぽわんとしていながら、人をよく見て寄り添ってくれるのは瑠璃乃との共通点かもしれませんね。
綴理はこうした「個々に寄り添う」瑠璃乃のスタイルに共感し、曲を作りました。おそらくこれが『るりのとゆかいなつづりたち』で披露した『Colorfulness』という曲なのでしょう。統一された色でなく、個々にある様々な色を認めて、尊重する。Colorfulという言葉が含まれたタイトルには、そうした想いが込められているように感じました。瑠璃乃がスクールアイドルとしてやりたいことが、綺麗に表現されていたステージだったと思います。2月度Fes×Liveでの発表がとても楽しみです。

『るりのとゆかいなつづりたち』は、ペンライトの色変えにもそっと寄り添う穏やかなステージ。
活動記録 第17話『ルリ思う。』より

普段のユニットから少し離れてみることで、ユニットとしての姿から少し離れた人物の側面が浮き彫りになったのが、今回のエピソードでした。そして瑠璃乃は、彼女の考えていた新たなスタンスによるステージを見事成功させて、慈も認める新たなみらくらの可能性を提示することに成功します。めでたしめでたし、となるはずだったのですが……そう簡単にうまくもいかないのが、人間の難しいところです。
これを受けて慈は「自分がるりちゃんの可能性を閉ざしていたんだ」と思い詰めて、なんとユニットを解散しカリフォルニアへ飛ぼうとします。これも大変慈らしい行動だなとは思いますが……。

慈の中で瑠璃乃が「勝った」からこうなっているのだと思われますが、そもそもみらくらの2人とも勘違いしているように、この騒動というのはどちらが勝つ負けるという勝負では本来ないのですね。お互いに相手を従わせたくてやっているわけではないのですから。
瑠璃乃はもっと慈の力になれるよう、また自分のスクールアイドルとしての自覚にともなって、もっとみらくらぱーく!に貢献したいと考えている。
一方の慈は、自分が苦労して失敗してきた経験があるから、瑠璃乃にそんな挫折を味わって欲しくない。瑠璃乃はとても繊細な子なので、慈の心配も理解できることだと思います。

今更なことですが、みらくらぱーく! はお互いのことを想い合って、心配して、これでもかというぐらいそれぞれのことを考えて行動している。それなのに、それが相手に上手く伝わらない、噛み合わないのが今回のエピソードなのです。
冒頭でアニメのエピソードを例に上げて言葉の捉え方のすれ違いについて語りましたが、今回のエピソードでもそういう要素が見え隠れします。例えば「証明」という言葉から数学のそれを連想する花帆のシーン。また「偵察」と「警察」の聞き間違えだったり(「偵察」が正なのですが、瑠璃乃が手帳を見せるのは「警察」ですよね)します。ちょっとした言葉でも、そういう風にすれ違うことだってあるわけです。瑠璃乃は慈が勉強が苦手なので「証明」から数学を連想しないと見抜くほどに慈のことを熟知していたのに、それでもなおわからない慈だってあったわけですね。
振り返ってみると、瑠璃乃が激昂するキッカケになった慈の発言も、慈の変に遠慮がちなところが出て、それが悪く伝わってしまった結果じゃないかなぁと感じます。

活動記録 第17話『ルリ思う。』より

互いを思いやって、円滑にコミュニケーションをしようと遠慮がちな言葉を紡ぐのに、だからこそなんだか伝わらなくて上手く噛み合わない。そんな時にどうすればいいのかといえば、もうそれは正直に言葉を真っ向からぶつけ合うしかないのでしょう。それができるのも、幼馴染として培ってきた2人の関係性ゆえ、かもしれませんね。
そうして瑠璃乃から(あの他人優先の瑠璃乃からですよ!)正直な怒りと、そして愛情の言葉をぶつけられて、ようやく慈は言葉の先にある、瑠璃乃の想いにたどり着くのです。「それ以上言わせちゃ、もうどうしようもないね。」と。

「私は、るりちゃんが大好きで。るりちゃんも、私が大好き。」
活動記録 第17話『ルリ思う。』より

よかったよかった、互いの気持ちを再確認して、お互いに「大好き」ということを改めて噛み締めたみらくらの2人。ここで終わっても滅茶苦茶いいエピソードだったと思いますが、もうちょっとだけ活動記録のエピローグがあります。ここまで結構長くなりましたが、次についてが今回私が最も言いたかったことになります。

エピローグの話 ~同じことと、違うこと~

「証明」にしてもそうですが、同じ言葉にしたって連想すること、感じること、それって人それぞれで、全然違うことだったりするわけです。であれば「大好き」という言葉、これを2人で確認したわけですが、これとて”同じ言葉”ではないかもしれないと、私は思うのです。今回の話というのは、ずっとそういう人と人との認識の相違だったはずです。

ここで取り上げたいことが、「Link!Like!ラブライブ!FIRST FAN BOOK」収録のショートストーリーの瑠璃乃編『みらくら☆いるみねいと』のシーンについてです。このまぁまぁ長いブログをここまで読んでくださるような方は、多分流石にチェックしているだろうと思いますが……。この話をちょっとだけします。このタイミングで恐縮なのですが、読んでない方はブラウザを閉じて書店にダッシュしてください。






さて、おそらく「蓮ノ空のこと好き好きクラブ」のみなさんが、公式のショートストーリーでここまでやってもいいんだ。などと感じた、こいつについてです。

 そう言ってから、瑠璃乃は慈を見上げて続けた。
「イルミネーションが、きれいだね」
「え? うん、そうだね?」
 もっときれいなものを見てしまった気がして、返事の気が抜けた。
 けれど同じく瑠璃乃は笑って。
 そしてくるっとステップを踏んで、愉快そうに矛盾する。
「きれいなもの探し、ルリにはちょっと難しかったかも。ごめんね!」


Link!Like!ラブライブ!FIRST FAN BOOK『みらくら☆いるみねいと』より


オ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~イ


すみません。今回の記事は最後まで巨大フォントを使わない真面目な方で行こうと思っていたのに、『みらくら☆いるみねいと』を再読して叫びが抑えられませんでした。
このエピソードは終始慈視点で進んでいくので、瑠璃乃の真意は伝わりません。夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗」と訳しなさいとした伝説はその真意について疑問視されることも多いそうですが、とにかくここで大切なのは真偽ではなく「月が綺麗」を「I Love You」と取ることについて、共通の認識があるかどうか、ということについてです。例えば、アニメ『グラスリップ』でもこの言葉が告白の言葉として用いられているシーンがあり、この訳に関しての伝説がそこそこ浸透しているのは間違えないと考えています。慈には全く伝わりませんでしたが。
もっとも、「証明」の件で慈(の学力)をよく理解している瑠璃乃であれば、最初から伝わらない一方通行の言葉半分でこれを言っているようにも思えますね。ともかく、この意味深な発言が瑠璃乃にとって「好き」を内包した言葉であるという解釈は無理のないものだと思うのですが、慈にとっては「イルミネーションがきれい」なわけです。ここに認識の齟齬があります。故にこの告白は、瑠璃乃から慈への一方通行となってしまいました。

ですが、今回の活動記録で、逆に慈から充電切れの瑠璃乃へ、こんな言葉をかけているシーンがありました。

慈「まったく……ちっこいくせにさ。いつの間にか、こんなにでっかくなっちゃってまあ。
半年間……ううん、それよりずっと前から、がんばってきたんだもんね。かっこいいじゃん、大沢瑠璃乃。
私、どんなるりちゃんも大好きだけどね。
私と一緒にがんばってくれるるりちゃんのことが、いちばん好き……だよ。」


活動記録 第17話『ルリ思う。』より

慈としてもこれはかなりストレートに瑠璃乃への愛情を表明した言葉だと思います。充電切れの瑠璃乃にはおそらくこの言葉は届いていないので、ここで『みらくら☆いるみねいと』同様に慈から瑠璃乃への一方通行の告白がなされています。

先程、お互いのことを「大好き」と確認しあったにもかかわらず、ここでの「好き」は再び一方通行になってしまっている。けれども「好き」という言葉は本当に様々な意味を持っていて「大好き」と「いちばん好き」というのは重さが違うのかもしれない。もしかすると「イルミネーションが、きれいだね」と「いちばん好き」は近いのかもしれませんが、当人でない私にはそれを判断する術はありません。言葉には、様々な認識と、意味があるのですから。

もしかすると、瑠璃乃も慈も、「大好き」と言い合った本当の心の奥底の想いは、まだ相手に届いていないかもしれません。これは不幸なことなのでしょうか? しかし「大好き」という言葉に乗せたならば、それは相手も自分も同じ響きをもって伝わります。この”なんとなく”上手く回ってしまっていることって、とても美しいと私は考えています。


きっとあなたもわたしも同じ気持ちだと、同じ「大好き」という言葉をもって”錯覚”することができる。私はこの幸福なすれ違いを、愛おしく思うのです。


ところで、今回の瑠璃乃と慈の仲違いが始めて私たちに公開されたのは、りんく!らいふ!ラブライブ! 【第68話】の2/3の節分のエピソードによるものでした。みらくら両名が「鬼は外、福は内」の鬼に相手を例えたこの回の後に、奇しくも慈は瑠璃乃の元を去ろうとしてしまったわけですが……。
その後、活動記録のバレンタインでは、みらくらぱーく! によるなんとバレンタインのチョコ撒きが発生。このバレンタインと節分を組み合わせたような催しは、外に追い出す鬼はなく、世界中にチョコレートという愛を届けるものでした。みらくら流の2月のイベントはこうだ! と言わんばかりのこの力強い再解釈のことを、私はなんだかいいな、と思います。もしかすると進化したみらくらぱーく! は、こんな風に世界を変えてしまうのかもしれません。

活動記録 第17話『ルリ思う。』より

思えばこうした季節のイベントというのも、同じ文化背景という認識が共通していないと成り立たないものです。
ですから、ハート型のチョコレートを送りあって、その時に言葉はなくとも、きっと私たちは同じ気持ちなのだと、そう思うことができます。慈のチョコレートと瑠璃乃チョコレートの形は違って、それは多分違う人間である2人の相手に対する想いもそうなのだと私は思うのですけれど、けれどもそこに書いてある「みらくらぱーく」の文字を見て、2人は勝負という共通の認識の元、こう笑い合うのですね。

「引き分けじゃん!」
活動記録 第17話『ルリ思う。』より

*1:実際にもやって欲しい(キャストの方々は鬼のように大変でしょうが……)