昨日の夕方頃のこと、いつものようにダラダラと在宅での仕事を終え、ああ関東でも珍しく雪が降っているなぁと今冬一番の寒さを感じていたところ、それに呼応するかのように突然悪寒を感じて、私はぶるぶると震えながら早々と床についた。そして案の定、みるみる体温が上がって、立派な発熱状態となってしまった。
普通の風邪とそうでないもう少し派手な風邪亜種との差異というのは、言葉にするのは難しいのだが、明らかな不調として案外自分の中では予感にも似た区別がつくものだ。私は昨年、ちょうど引っ越しの直前に流行病にかかったことがある。ダンボールの山に囲まれながらぶるふると過ごしていた、あの苦難の時のことを私は思い出していた。その日は、アニメも見ずにそのまま就寝。
その翌日、2月6日。7時頃に上司に「急な発熱のため休みます。すみません」とだけ報告をして、それから9時になって電話予約をして、朝一番でかかりつけの近所の医者に行く。そこは細菌性の風邪の検査のために鼻からの粘膜検査に続いて血液の採取をやる方針のところなのだけれど、今回は綿棒を鼻に突っ込んでからしばらく音沙汰がない。これはもしや引っかかってしまったか、などと考えていると、しばらくして看護師の方が二本線の入った検査キットを持ってやってきて、一言。「新型コロナウイルス、陽性です」
渡された処方箋に貼り付けられたピンクの付箋には「COVID-19」と走り書きされており、「申し訳ないのですが、できれば階段を使って帰宅していただけますか」と案内を受けた。現金を手袋の看護師さんに渡し、看護師さんはそれを白いビニールの中へと入れていた。
病状が確定したとはいえ、朝に飲んだ熱冷ましがまだ効いているのか、体は思ったよりは元気だった。言われたとおりに階段を降りつつ医院を後にし、医院のビル一階の薬局へ。入ってもいいものかわからず、先程の「COVID-19」の付箋を見せつつジェスチャーすると、「今日は寒いでしょうから」と、パーティションに仕切られた簡易的な個室に案内された。パーティションに仕切られながら薬をもらい、徒歩で帰路につく。
道端では地域の人が雪かきを懸命にしており、その光景を楽しむというのは少々罪悪感があるけれども、しかしちょっとした非日常感を私は感じた。本来外出もできない状態と判明した私は、なるべく人に近づかないようにしながら、溶けかけてバシャバシャになった雪をスニーカーで踏みつける。珍しい関東の雪景色を眺めながら、私は粛々と家に着いたのだった。
先程貰った薬を飲むために、昨日のうちに買っておいたサンドイッチを軽く食べ、痰切りと咳止めの薬を飲んだ。コロナと言っても処方されるのはただの風邪薬だ。のんびり治していくしかないのだろう、と思った。ひとまず安静のために、ベッドに横たわる。ベッドに括り付けたタブレットでアニメを見てもいいが、あまりそういう気分でもなかった。今は体が大層だるいわけではないが、しかしやることもなく。
SNSを眺めることにも飽きた私は、白い天井を見上げながらただただぼんやりとしていた。一人暮らしの病気とは、かくも孤独なものなのである。
と、しばらくして、ふいに家のチャイムが鳴った。こんな雪の日に訪問なんて奇特なセールスマンもいるものだ、と居留守を使っていたところ、再びチャイムが鳴り、マイクから声がする。「お疲れ様です。先生。飛鳥馬トキです」室内のインターホン連動のカメラを見ると、トキがそこに立っていた。少し雨に塗られた傘と、黄色いビニール袋に、出で立ちは普段のメイド服。私はインターホンのマイク越しに「家に来るなんて珍しいじゃないか」と尋ねると、トキは「看病に来ました。とりあえず寒いので中に入れてください」と言う。「私はコロナに罹患してしまったので、そうするとトキに移してしまうかもしれない」と言うのだが「それならばマスクでもしていてください。私は先生とは体の作りが違うので、そうそう病気にはなりません。ともかく、寒いので中に入れてください」と聞く耳を持たない。
私は根負けして「わかった」と返事をして、それから慌てて部屋に散らばる自分の衣服をひとまず押入れに詰め込み、マスクをして、玄関のドアを開いた。変わらぬ表情でトキはこう言った。「お疲れ様です、先生。看病に来ました」
私がトキに「まだ医者に行って間もないのにどこで聞きつけたのか」と問うと、トキはどこか自信げに「C&Cの諜報力を侮らないでください」と答える。私はこのまま問答を続ける元気はなく、ともかく、来たのがネルではなくトキではなくてよかったか、と思うことにした（ネルには、激辛の病人食を食べさせられたことがある）
ドンキホーテの黄色い袋を下ろして、トキは「食品などを買ってきましたので」と言った。私は一旦冷蔵庫に詰めることを頼んで、大人しく再び床についた。トキは少し離れたどころから「先生、せっかく私が来て差し上げたのですから、なにかやってほしいことはありますか」といつもの調子で話す。タイミング次第では粥を煮ることでも頼みたかったが、ちょうど簡単に食事を済ませてしまったので「スポーツドリンクなどはあるか」と尋ねると「はい、抜かりなく」とのこと。起き上がり、トキが注いでくれたスポーツドリンクを口にすると、爽やかな甘みがあり、喉が潤うのを感じた。少し気持ちが晴れた私は「ありがとう」と礼を言った。
続いてトキは「先生、今熱はありますか」と問うので「少し」と答える。そうすると、トキはまたもや少し得意げに「熱冷ましシートを買って参りました」と言うので、普段シートはあまり使わないのだけれど、せっかくだからとそれを貰うことにした。トキが「私が貼って差し上げますよ」と言うものだから、ここまで来たら、と思い申し出を受けることにした。シートを額に貼ると、確かにひんやりとした感触があり、心地よい。私が再び「ありがとう」と礼を言うと、トキは「いえ、これもメイドの務めですから」と言った。
私はなんだか安心したのか、そうして、次第に微睡みの中に落ちていった。
目が覚めると、そこは普段通りの自室だった。病気の時というのは不思議なもので、目が覚めた直後はなんとなく混乱していることが多い。何か色々な、重要なことを考えていたような気もするのだけれど、落ち着いてくると、私は病気でただ横になっているのだ、という事実をありのままに受け止めることができた。昨晩から、少し寝ては、このような調子であった。早く快復したいものである。
ひとまず、今の私がやるべきことは、5日間を家で過ごすための対応だった。私はベッドに括り付けたタブレットからブルーアーカイブのカヨコの音声作品を流し、ネットスーパーにアクセスする。
窓の外で、どさり、と融けた雪が落ちる音がした。多分明日には、街の雪景色も消え去ってしまうのだろうな、と思った。
