日陰の小道

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【蓮ノ空】活動記録104期1話を読んで ~「伝統」の《継承》と《変化》、そしてカルチャーの話について~

蓮ノ空にもたらされた変化

「今」を生きることでおなじみの蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブにこの4月から新入生が追加された。この1年間2人組でずっと成立し、その絆を育んできた蓮ノ空のユニットが、2人から3人になる。常に移り変わる変化を描いてきた蓮ノ空の中でも、かなり大きな変化と言ってよいのだと思う。

「Link!Like!ラブライブ!」より

104期の活動記録1話は、そんな各ユニットに加入する新入生のお披露目となった。新入生が抱える三者三様のドラマが披露されたが、特にここでフィーチャーされていたのはスリーズブーケに加入する百生吟子の物語だ。
祖母の愛した蓮ノ空芸学部に憧れた吟子は、その後身であるスクールアイドルクラブの門戸を叩く。そして紆余曲折ありながらも、先輩である日野下花帆の下でクラブ活動に勤しんでいた。しかし、ライブの準備の折、現行クラブで歌われている曲目の一覧を見て、彼女はショックを受けてしまう。名前が変わったスクールアイドルクラブに、かつて芸学部で歌われていた歌はもう載っていなかったのだ。
つまり吟子は、自分たちの愛した「伝統」が今と断絶しているのではないか、と思ってしまったのである。

活動記録104期 第1話『未来への歌』

さて、ここにも関連してくるように、蓮ノ空の中で、常に語られ大切にされている「伝統」という言葉がある。歴史ある金沢という街で、そして歴史あるラブライブシリーズの中で新たに花咲こうとする蓮ノ空のポジションを反映したものでもあると思うのだが、今回の活動記録で争点となったのは、その「伝統」の《継承》と、そして避けられない《変化》の衝突であった。
そして活動記録の物語では、花帆らの尽力によって、吟子とその祖母の愛した「逆さまの歌」が形を変えながらも今なおクラブに息づいていることが示される。「伝統」は確かに《継承》されているのだ、ということを再発見したのである。

この話を受け取って、どうしても考えてしまうことがあった。蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブという場、歴史ある部活動、物語で語られる範囲のこれら小さな舞台を超えて、ここには非常に普遍的なことが描かれているように思えてならなかったのだ。というのも、ありとあらゆるカルチャーのあり方というのは、まさにこの伝統の《継承》と、そして《変化》によって積み重ねられてきたものだと思っているからだ。

ここで一つ、丁度吟子の祖母が活動していた年代にもやや近い、4~50年ほど前に発生したロンドン・パンクというムーブメントの例を挙げて、その話をしてみよう。
かなりラブライブ! からは話が逸れてしまう感じる方も大勢いるとは思うのだが、ご容赦いただきたい。

カルチャーの《変化》と《継承》~ロンドン・パンクの熱のあとに~

過激な歌詞と音楽性で一世を風靡したパンク・ロックというムーブメントがかつてあった。
中でも流行の中心となったロンドン・パンクが興隆していたのは70年代の後半のこと。イギリスの地で、複雑化するロックに対しての傍流のカルチャーとして広がったロンドン・パンクであるが、その息は長くはなく、80年代の頭にはその勢いは失われ、時代の移り変わりに直面していたらしい。



■ロンドン・パンクの代表的グループ

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ロンドン・パンクが落ち着きつつあった1980年。19歳の若き青年ロディ・フレイムによってAztec Cameraというグループが始動するのはその年のことであった。
このAztec Cameraがやっている音楽は爽やかなギター・ポップであって、今その曲だけを聞いたとしても、髪を逆立て攻撃的なファッションと歌詞で身を包んだパンク・ロックと、Aztec Cameraの姿というのは全く一致しない。しかし、ロディ・フレイムAztec Cameraの『Walk Out to Winter』という曲でこう歌っている。

Faces of Strummer that fell from your wall
And nothing was left where they hung


壁から剥がれ落ちたストラマーの顔
そこには何も残っていない)


Walk Out to Winter / Aztec Camera

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(ジョー)ストラマーというのはロンドン・パンクの代表的なバンドThe Clashのフロントマンのこと。すなわち、このフレーズには壁にパンク・スターのストラマーのポスターを貼るような、パンク青年のロディ・フレイムのパンクへの愛情と、そのムーブメントが消えさってしまった哀しみが滲んでいる。そしてロディは、パンクの熱が消えた世界で、しかしなお冬に向かって歩き出そう(Walk Out to Winter)と、決意表明をしている……と受け取れる曲なのである。
このように、全く異なる流行の中で消えてしまったかのようなパンク・ロックの精神は、このポップ・ソングの中で確かに、その先にある精神として《継承》され、発展していると言える。


また、同じ80年代にはポスト・パンクと呼ばれる音楽も出てきている。ポスト・パンクと呼ばれる音楽はジャンルの方向としてはシンセだとか色々なものを取り入れ、ロンドン・パンクに比べるとアート寄りの雰囲気を漂わせているものが多い。また熱を帯びたパンクに比べると、全体的にクールな雰囲気を漂わせるグループが多い印象もある。そういう部分から、音楽的にはシンプルな構成こそを是としているようなロンドン・パンクのそれとは、一聴しても一致しないもののようにに思う。*1

しかしながら、たとえばポスト・パンク代表格のSiouxsie And The Bansheesはパンク・バンドのSex Pistolsの親衛隊集団だったとか、同じくポスト・パンクをやっているJoy Divisionの前身バンドはストレートなパンク・ロックをやってただとか、そんな風にバンドのルーツにパンクを感じさせるエピソードが至るところにあるのだ。



ポスト・パンクの代表的グループ

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※WarsawはJoy Divisionの前身バンド

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余談:『ガールズ バンド クライ』の元ネタと思われるThe Cureの『Boys Don't Cry』のリリースもこの頃。


他にも、このあたりの年代のムーブメントで大きな役割を果たす、ファクトリー・レコードの創設者のトニー・ウィルソンだとか、あるいはBuzzcocks / Joy Division / The Smithという、名だたるバンドでいずれ活躍することになるメンバーが、マンチェスターで皆Sex Pistolsのライブを見ていて、そして触発された……というのは伝説的なエピソードとして語りつがれている。*2

こうした数々のエピソードからは、イギリスでのポスト・パンクを始めとするいくつかの若者たちの80'sシーンが、70年代終わりのロンドン・パンクの影響下にあって、そのパンクに影響を受けたパンク好きの若者が新たなムーブメントを動かしていったのだ、ということが伝わってくる。あるいは、パンク真っ只中に活躍したSex Pistolsジョン・ライドンその人が、Public Image Limitedというポスト・パンクをやっていたりもするのだけれど。

ともかく、ここまで紹介したグループについては、表層で必ずしも共通しない音楽をやっていても、そのルーツのひとつにパンクが存在していることが伺えるものばかりだ。
そこに灯るエネルギーには、おそらく共通するものが確かにあるのだと思う。パンクの持つ勢いやインディペンド精神というのは、パンクの先のカルチャーにも、形を変えながら息づいていたのだろう。

さて、今まで語ったような話は、まさに104期活動記録1話で描かれていたようなことではなかったか。ここにも、確かに《変化》を伴う《継承》が存在していた。世界を見渡しても、常にカルチャーというのは形を変えながらも受け継がれているのだと思う。

ちなみに、今回パンクの話を出したのは何も全くの無軌道というわけではない。こうした傍流から起こるムーブメントに付きまとっているのは、自分たちで行うという自立したインディペント精神と、DIYの美学なのである。インディペント精神のDIYの美学……そう、スクールアイドルの持つ美点というのはまさにこれだ。顧問不在の中で、生徒が自分で考え、主体的に表現を試みる芸術活動が、スクールアイドルであるからだ。私はスクールアイドルの、このたくましさにこそ心を惹かれている。

だからこそスクールアイドルの美学というのは、いくらかこうしたインディー方面のカルチャー活動に影響を受けたものではないかと思っている……というのは、流石にちょっと飛躍しているかもしれないが。

活動記録104期 第1話『未来への歌』

蓮ノ空の持つルーツとリスペクト

さて、活動記録を再び振り返ると、花帆たちが104期1話にて積み上げられた過去の伝統の中に『逆さまの歌』のエッセンスを探していたことというのは、答えありきのルーツ探しそのものであったと言えるだろう。蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ/芸学部、という場所ありき故に、花帆たちは自分たちそのもののルーツではなく、今残っている「伝統」のルーツを探っていたことになるが。

メタ的に考えるならば、伝統曲とされている楽曲、例えば『Reflection in the mirror』は2023年にリリースされた曲なので、物語の中での『逆さまの歌』というルーツというのは、あくまでも物語上で作り上げられたものでしかない。
しかしながら、『Reflection in the mirror』が急にこの世に生み出されてきたはずはなく、ここにも現実にはルーツとなる音楽があるはずである。いきなり楽器を持って全く新しい曲を生み出せる人間が、果たしてこの世にいるだろうか。104期1話はあくまでも蓮ノ空の内部の伝統の話をやっているのだが、にもかかわらずこうしたところも非常に普遍性が生まれている。

そう思うと、4月のFes×LIVEで『アイデンティティ』『Sparkly Spot』そして『Reflection in the mirror』が104期の曲として大胆なアレンジを施されていたのも納得感がある。
103期の『Reflection in the mirror』はストリングスがフィーチャーされた曲だったが、104期は打ち込み主体でエレクトロ・ポップ風味な曲に仕上がっていた。この大きな変化はファンによっては戸惑いも生む大胆なものだろうと思うし、私も驚きを感じた。
しかし、この103期曲の破壊と104期曲の創造によって、伝統曲がある種の聖域から引き上げられた。『逆さまの歌』が『Reflection in the mirror』へと変わったように、『Reflection in the mirror』そのものも変化しうるのだということが示されたのだ。

楽曲の持つ要素が分解され、新たな要素で再構築されたことは、103期と104期の曲がそれぞれ別の音楽的な参照元を持つということだ。そしてそれは、103期曲という既存の形も絶対的なものではなく、あくまでも104期同様にいくつかの要素を組み合わせて出来上がっていることにほかならない。
つまり、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブもまた、脈々と受け継がれていくポップ・ミュージックのカルチャーの一部分にあるのだ、ということが浮き彫りになっている。ここには、蓮ノ空や金沢というスケールを超え、現行のカルチャーが過去のカルチャーから何かしらの形で影響を与え続けていて、そしてそれはこのコンテンツも例外ではない……という、過去へのリスペクトが表現されていると思っている。

前の話と接続するならば、仮に103期に歌われた曲がパンクであるならば104期はポスト・パンク的であると言える。パンクから精神性を継承しつつも、ポスト・パンクは音楽的にはパンクと異なる志向性を持つため、楽曲やスタイルとしてはパンクの姿から次第に乖離していく。
繰り返しになるが、こうした《継承》をともなう《変化》は、ココン東西ありとあらゆるカルチャーに存在しているものだと思う。*3


私は、104期活動記録1話で表現されていることは、今まで語ってきたようなカルチャーの話題に違いないと確信しているが――とはいえ、活動記録の中ではカルチャーだとか歴史だとかそういうものには触れずに、あくまでも平易かつ直感的な言葉でそれが語られている。

しかし活動記録がカルチャーの話であるということを考えながら花帆のセリフを見返してみると、これがなんとも過去のカルチャーへのリスペクトや愛情、そしてどんなに小さなカルチャーでもきっと残る灯があるのだという、そうあるべき世界への祈りに満ちているのだろう、と感動してしまう! そして花帆のこの確信に応えるかのように、物語は素敵な結末へと向かっていく。
この言葉を引用して、この段を締めくくりたいと思う。

花帆「きっとノートのどこかにあるはずなんだ。逆さまの歌が形を変えて、名前を変えて、現代に受け継がれてるっていう証拠が。でもまだ、最初の一つもみつからなくて」


瑠璃乃「ほほう、ずいぶん確信をもって言ってるねえ、花帆ちゃん。」


さやか「どうして受け継がれているって、わかるんですか?」


花帆「わかるよ!」


花帆「だって、今でもその歌を大好きな人がいるんだよ! スクールアイドルクラブが、あたしの大好きなスクールアイドルクラブなら、きっと受け継がれてるに決まってる!」


活動記録104期 第1話『未来への歌』 PART17

活動記録104期 第1話『未来への歌』

受け継がれていく伝統

最後に少し、更にパンクから遡った「伝統」の話をしたい。パンクの祖とも言われる、1967年リリースのThe Velvet Underground & Nicoというアルバムがある。このアルバムは商業的には全然売れなかったが、そのNYアンダーグラウンドから発信された美学や精神性が評価され、後世に多大な影響を与えたということで、名盤ランキングでも常連のアルバムだ。
かの有名なバナナジャケットを、パロディなどの何かしらの形で目にしたことのある人も大勢いるのではないだろうか。このアルバムを評して、アンビエント巨匠のブライアン・イーノは「アルバムは3万枚しか売れなかったが、その3万人全員がバンドを始めた」なんて語ったそうだ。

Velvet Underground & Nico
バナナ・ジャケット

流石にリアルタイムでは聞いていない(というか、生まれていない)のだが、私もこの名盤を一度聞いておかねば、と思ったことがあった。私は不勉強なので、67年の音楽というとThe Beatlesの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』ぐらいしか聞いたことがないし、しかもこっちはアヴァンギャルドさで評価されているアルバムなのだから、さぞかしとんでもなく理解しがたいサウンドが流れるのだろう……と考えていた。

しかし実際に再生して『Sunday Morning』を聞いた時に、私は正直こう思った。「あれ? なんか思ったよりも現代的な音だな……」と。確かに録音は随分とローファイなのだけれど、このノイジーでカオティックな音は、今となってはロックの世界に当たり前にあるように思えた。これは多分『The Velvet Underground & Nico』の直接だったり間接だったりで、影響下にあるサウンドを知らない内に聞きまくっていた結果、そう思ったんじゃないかと思う。
一見して見えないところにも、様々な「伝統」の《継承》があるのだろう。そんなことを感じる事ができた、思い出の出来事だ。

youtu.be


だからまだ全然聞いたことがない、しかも50年前の蓮ノ空女学院芸学部の『逆さまの歌』だけれども……多分聞いたら案外こう思うのかもしれない。「こんな感じの曲、なんか聞いたことあるな」と。それはメロディかもしれないし、歌詞かもしれないし、あるいはなんとなく感じ取れる精神性かもしれなくて、そこはわからないのだが。
でも、そう思うことは間違えないと思っている。だって、間違えなく過去の『逆さまの歌』の影響下にある今の蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの曲を、私はそれはもう聞きまくっているのだから。

活動記録104期 第1話『未来への歌』

*1:ロンドン・パンクに影響を与えたニューヨーク・パンクはTelevisionなどアート寄りのバンドも結構いたようで、そういう意味ではそこに回帰しているとも言えるかもしれない。

*2:この話は『24 Hour Party People』の題で映画にもなっている。

*3:本来ならば、この蓮ノ空の楽曲のルーツこそを記事にて辿る方が説得力が出るし意義のあるものになると思うのだが、今回は完全にロックのカルチャーという筆者の土俵に逃げている。この点についてはご容赦いただきたい!