3話です。今回は吉祥寺先生という、作中の専門の知識を持った人が出てきて色々話してくれます。
色々話してくれるので、アマチュアの私が言うべきことってマジで何もないです! ないですが、せっかくなので好き勝手書いていきます。
前回分はこちら↓
cemetrygates1919.hatenablog.com
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放送部と演劇部
「演技だけやりたいなら、君らの居場所はここちゃうよってね」
(『花は咲く、修羅の如く』3話より)
全然ジャンル違うじゃんと思われるかもしれませんけれど、あくまで元放送部員の目線ではありますが、演劇と放送はまあまあ接点があります。というのも、演劇も放送(個人部門)もまず声が重要になってくるわけです。で、放送部の個人部門の人というのは発声練習を続けているので、発声や滑舌など、演劇と放送双方に共通する要素の土台が他よりもできているのです。
放送部の顧問で、現役の高校生の時は放送部としての研鑽を積んできた吉祥寺先生が、演劇部の副顧問でもあるというのも、これらに共通する部分があるから、ということでしょう。
私の高校には演劇部はなかった気がするのですが、大学の時にはありました。大学にいた頃私は朗読サークルみたいなとこに所属していたことがあるのですが、演劇部と掛け持ちの人がちょいちょいいたりしました。大学の演劇部はマジで苛烈に演劇をやるところだったので、お遊びでまったりと朗読をやるサークルの私は「お~すごいな~」などと思っていました。

吉祥寺先生の読みについての解説
うぉ~解説入りましたね。特にこういう解説が入ること予想してなかったので、1話とかの時にブログでベラベラ書いたのですが、放送部やその活動について認識していない人たちを当然ターゲットにしているんだな、と思います。
内容については前書いちゃったので割愛します。何も知らない人でもこの解説とかを聞いていたらアニメでやってる話がわかるんじゃないかな、と思います。

「橋」と「箸」ってめちゃくちゃ代表的な同音異義語で、私も放送部やってうぉ~なるほどな~と思ったのでドヤ顔で1話の時のブログに例を挙げたところ、アニメの話題と見事にバッティングしてしまいました。ムチャクチャ恥ずかしいです。

プロミネンス(立てる)
これはマジでめちゃくちゃ読み手が意識すべきことです。この重要な言葉を立てることができている読みこそが聞き手が聞き取りやすい読みであるということで、基本も基本ですが重要なことです。
つまり読み手というのは文における重要ポイントをしっかりと把握しておかなくてはならないということで、つまり文への理解力も大切になってくる、ということですね。
吉祥寺先生が例としての読みを披露してくれるので、わかりやすいと思います。
マジでどうでもいいことなんですけど、ブログ書いてる時に例えば太文字を使って強調すべきことって、多分アナウンスで強調すべきことなんだろうなぁみたいな気持ちで、時々私は放送部で昔読みやってた時の気持ちでstrongタグを挿入しています。放送部って、アナウンスとかだと文章生成の技能も求められるんですよね。
つまりブログの太文字の技量で、私の読みの技量もバレるってことですよね。書いてて恥ずかしくなってきましたが、このセンテンスは特に気をつけて太文字にしてみました。書き手が強調したいところなので、みなさんこの文を読んでみる時はこの部分を高くして読んでくださいね。

吉祥寺先生の指摘
「論外。そもそも読みに対してやる気が感じられん」
「ちょくちょく自分の読みに酔ってるのが伝わって、イラっとくる」
「イントネーションが単調な印象やな、聞いてて眠なる」
「正直今の読みは、声質でゴリ押ししてるだけやな」「それだけでは大会では勝てへん。技術がないと」
(『花は咲く、修羅の如く』3話より)
新入生4人の前回の発表について、バシバシ指摘してきます。アマチュア目線ではありますが、概ね言われてる通りの感じだったな、と私も思います。
これってつまり、このアニメにおいてはこの欠点を残した読みの演技として作中では実現しているということなので、演技については私は完全に門外漢なのですが、なんかよくわからんけどすごいな~~と思います。
今回の指摘を受けて、2話の4人の読み聞き直してみるのも面白いのではないかと思います。

朗読の組み立て方について
「朗読では、叫ぶセリフを読む時に大声を出す必要はないし、身振り手振りで感情を表現する必要もない。そんなことせんでも、ちゃんと叫び声に聞こえる。息遣いとか抑揚とか、そういうもんを繊細に使い分けて、文章の世界を表現する」
(『花は咲く、修羅の如く』3話より)
冒頭で演劇の話題がちょろっとでてきましたが、これこそが演劇と朗読の組み立ての差異でしょう。
演劇の声というのは重要な要素の一つでありつつも、あくまで演技全てにおける一要素でしかありません。しかし、朗読(読み)というのはそれが全てで、他に何も付随しません。そして、読みというのはまず読みとしての正しさ(アクセントや、イントネーション)を強固に組み立てた上で、その上に表現が乗っかっていくのです。
私は演劇に関してはほんとに全然知らないのでテキトー言ってたら申し訳ないのですが、演技はアクセントとかを無視しても、それがいい演技であれば、そこの舞台にその演劇の世界ができていれば、それはたぶん「アリ」ですよね。でも朗読はどんなに世界観を構築できていても、アクセントやイントネーションが不適合であれば、そこは確実に減点が入ってしまい「ナシ」ということです。
このアニメだと、吉祥寺先生曰く「声質でゴリ押し」なる花奈の朗読というのは、演劇寄りの朗読ってことになるでしょうね。

放射能マーク
マジでどうでもいいんですが、冷蔵庫に放射能マークのマグネット? が貼られています。放射能は英語で「Radioactivity」これを分離すると「Radio-Activity」つまりラジオ活動、ある意味では放送のことですね。ひょっとしたら洒落かもしれないです。
ドイツのユニットKraftwerkがこの洒落でアルバムを作っています(余談すぎる!)

瑞希の読み
1年生の時の瑞希の読み聞くと、うぉ~~~マジで下手くそだって感激します。このアニメは敢えてそうなっている下手くそな読みを実現しているということなので、こういうの聞くと「やってるな~」と思ってテンション上がっちゃいます。
吉祥寺先生は「歌とおんなじや」と音程として説明していますが「ほんとにこんな感じで自分らも把握できてたんかなぁ……」と今こういうの聞くと不安になっちゃいます。「この語の音とこの語の音が同じ」は完全に音程での把握ってことですが、流石にパっと聞いてもピンと来ないな~すごいな~と思います。
ですが、とにかくこんな感じの緻密な把握が必要となってくるのは間違えないです。原稿用紙1枚半~2枚ぐらいの内容に、ここは前と比べて高く、ここは何拍ぐらい休んで、みたいなことを結構書き込んで読みに落とし込むのです。そういう意味では、放送部の原稿というのは極めて楽譜的になってくるのだと思います。
2年生の、今の瑞希の朗読がこの後風呂場のシーンで入ってくるんですけど、流石にモノが違いますよね。この差異を出せているのが面白いです。
瑞希を演じる島袋さんは沖縄出身の方です。今期はたまたま『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』なんてアニメもやってるのが面白いことですけど、沖縄って特に方言が強くて、大会で矯正しないといけない「標準語」との差異が大きいわけですよね。
島袋さんってプロの声優としてやっていく上で、まず沖縄の方言を標準語に矯正して、その上で京都の方言を載せてこの下手くそな読みのシーンを実現してるってことになると思うので。素人から見ると途方もなくて、すげ~と素朴に思ってしまいます。
──ほっこりしました(笑)。あと、第3話は瑞希の朗読シーンもありましたよね?
島袋:技術的なところがすごく難しいなと思いました。特に、瑞希の1年生のときの読みのシーンが難しすぎて。この作品は京都が舞台で、その地方の人が思っている正しいアクセントや読みと、アクセント辞典に書いてある正しいアクセントって、違いはわかっていても、耳が覚えてくれない感じがあったなと思っていて。それを表現できたらいいなと思いながらやっていたんです。
──そこまで考えて……。島袋さんは沖縄出身ですからね。
島袋:さらに、今度はそこから成長させなくてはいけなかったんです。
インタビューを読んでみるとそういう話があれこれ出て来るので、圧倒されちゃいます。おすすめです。

吉祥寺先生の読み
「衝撃だった。声だけで人間はこんなやべーことできんだ、って」
(『花は咲く、修羅の如く』3話より)
先生の読み、ちょっとしか出てこないけど流石にうまいです。個人的にうまい人だなと思う所は、読みの声と普段の声でそこまで大きく差がないことです。前回、夏江さんが「笑声」(通りやすい高めのトーンの声)の話をしてたり、あとは自身のアナウンスの時にスパっとスイッチ入れてアナウンスモードになってたりしたかと思います。この感じは放送部としての経験がある方であれば「あ~あるある」と共感があることだと思います。
その点吉祥寺先生は、あんまりここで差異がないように聞こえるんですよ。声の質としてのわかりやすいスイッチじゃなくて、トーン/抑揚/テンポ/強弱で「あっ今読みやってるんだ」って聞き手にわかる切り替えをしてると感じます。
個人的に、ガチでうまい人って、「読み」と「そうじゃないところ」の境目が、よくわからなくなると思ってるですよね。
私はNコンにまつわるちょっとした思い出があるのですが、あれは確かNコン全国の会場で、なんかマイクが遠かったかなにかで、イマイチ声の通りがよくなかったんですよ。別に会場の不備ってほどのレベルのものでもないんですけど、このイマイチな声の通りの悪さに、出場していた高校生の皆さんは、結構四苦八苦してたのが、会場で聞いてると結構わかるんですよね。
で、その後の講評コメントで、NHKのベテランのアナウンサーの方が出てきて、そのおんなじ「声の通りがイマイチ」なマイクで喋るんですけど。おんなじ環境で、フツーに喋ってるだけっぽいのに、なんか知らんけどめちゃくちゃ声通るんですよね。私たちアマチュアの高校生たちが、必死に調子を整えて、マイクの前で頑張って声を通そう! とやってるのに。プロの人はサラッと、さもそれが当たり前であるかのように、キレーに声を通すわけですよ。あれってほんとに衝撃でした。どうやってやってんだよこれ、って思いましたね。
プロというのはそれでメシ食ってるってことなので、つまりアマチュアが頑張って頑張って……とやってることを日常的にやってるので、そりゃ練度が違うよなというのは当然なのですが。なんかそういう上手い人の読みというか喋りみたいなものを聞いてると、そういう人ほど「読み」と「そうじゃない時」の切り替えが曖昧になってくる気がします。これって私の個人的な感覚でしかないんですけど。
で、さっきの瑞希の時と似たような話題になるのですが……。この作品の話でいうと、これってアニメですから、声優さんは「キャラクターの演技」を組み立てた上で「そのキャラクターが読みをやってる」っていう、入れ子の構造でこのアニメの「読み」を実現してるわけですよね。それは下手なやつも上手いやつも。
これってすごい世界だし、つまり吉祥寺先生なんかは「そのキャラクターが普通にしている喋り(演技)」の上に「そのキャラクターがそこと大きく変化を付けないけど、うまい読み(演技)」っていうレイヤーになってるわけですよね。私みたいな素人からしたら「マジで意味不明な技術で実現してるな~」なんて戦慄してしまいます。
放送部を舞台にして「読み」というのをアニメの題材にしているからこそ出てくることで、本当に面白いことだなと思います。でも多分、私たちが普段何気なく見てるアニメでも、声優の方々って凄い技術で演技というのを組み立てられてるってことですよね。うぉ~って思います。
てか何度も聞いてると、とにかく先生役の遊佐浩二さんうますぎるな~と思いました(素朴)

おわりに
このエピソードでは、吉祥寺先生がちゃんと「指導ができて専門的な知識を持ってる人」として出てくるので、私がアマチュア目線であーだこーだ言うのもそれの再生産以下すぎて、3話はあんま言う事なさそうだなって思ってたんですけど。再生産なりになんかあーだこーだ言いたくなっちゃいますね。
恥ずかしいですけど、せっかくでもあると思うので、この感想シリーズも完走したくなってきました。頑張れたら頑張りたいです。




