日陰の小道

心はもう無重力状態

『リズと青い鳥』(2018:日)感想 切なく、狭く、暖かい、一瞬の青春世界の記録

この作品はTVアニメ響け!ユーフォニアムの時系列的には先のスピンオフのお話。山田尚子監督や脚本の吉田玲子氏など、スタッフは2016年のロングランのヒットとなった聲の形の面々が再結集した作品でもある。ちなみに僕は『響け!ユーフォニアム』は1期を以前見た程度だったので、直前に2期を視聴の上鑑賞に望んだ。
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来場特典のカードとパンフレット。パンフレットは感想を書く際にもかなり参考にさせて貰い、とても面白かったので来場した方は是非。


あらすじ

吹奏楽部に所属する、オーボエ担当の鎧塚みぞれとフルート担当の傘木希美の二人の少女。3年生である彼女たちは最後のコンクールで披露する自由曲リズと青い鳥にてオーボエとフルートでの掛け合いのソロパートを務める。曲のもととなった童話を内容をなぞりつつ、彼女たちの想いはすれ違い揺れ動いてゆく。

作品紹介(多分ほぼネタバレなし)

映画のことを書くにあたって、ネットの場末とは言えこれまで視聴後の方々のみを想定した感想はもったいないかなあとは少し思っていたのだが、今回ちょうどいい機会なので未見の方に向けての紹介もできたらなと思う。

というのも、この映画の内容をお伝えしてお勧めしたい気持ちはとてもあるのだが、この美しい映像作品に対しての僕個人の発言によって、皆様の大切な真っさらな視聴体験を多少でも汚してしまう行為はあまりにも惜しく心苦しいなとも思ってしまうのだ。故に公式サイトに載っている程度のあらすじはまだしも、それ以上の本編に対する情報を、この映画についてべらべらと語りながら勧めたい欲求を我慢してでもお渡ししたくないなと思ってしまうのだ。もちろんネタバレに関することは突き詰めるとどんな作品でもそうなるであろうとは思うのだが。

そういえばこの作品『ユーフォ』シリーズの時系列的には続編にあたるので、そこをチェックしていないとどうだろう……と思う方も結構いるのではないだろうか。
お話的には独立しているので、恐らく初見でもちゃんと楽しめる作品ではないだろうか、と勧めたいのが正直なところだが、無責任でもあるので差し障りない程度にご説明したい。今回の『リズと青い鳥』は時系列的には響け!ユーフォニアム』及び続編の『響け!ユーフォニアム2』というTVアニメの後の物語となる。映画の内容に直接関係してくるのはみぞれと希美のお話がメインとなる響け!ユーフォニアム2』の序盤のエピソードであり、『リズと青い鳥』の前日譚的な位置づけとなる。映画を見るにあたって履修が求められるのはこの序盤の数話ぐらいだと思うのだが、2期ということで当然1期のネタバレは覚悟しなくてはならないし、また映画自体も時系列的に「TVシリーズの内容をなるべく知りたくない!」という方は警戒すべきかもしれない。TVアニメの『ユーフォ』シリーズも大変面白い作品なので、こちらが気になっている方は順番に見ていくのが結局オススメかも。
重ねてになるが映画自体はシリーズ内容を知らなくても素晴らしいものだと思うし、映画を見てからTVシリーズをさかのぼってみるのもいいと思う。そこの視聴スタイルに関しては、各々の判断におまかせしたい。

この作品はとにかく動き、背景、演出、声の演技、BGMからSEに至るまで一分の隙もないと実感させられる気合作であって、普段無責任な僕でも思わず勧め方やネタバレに繋がりそうな発言には慎重になってしまう。しかしその上で是非一人でも多くの方に観てほしい素敵な作品であり、特に「人と人との関係性」だとか「思春期の少女の言語化不能の感情」といった要素がお好きな方々は是非劇場に足を運ぶべきだ。丹精を込めて描かれた二人の少女のあまりにもピュアで大きな感情を、是非皆様自身の眼で目撃していただきたい。

感想(ネタバレあり)

一回視聴時のもので、一応再度見に行く予定なのでその時にまた違う気づきや感想があったら追記ないし記事を書くかもしれない。










繊細な絵と音によって形作られた作品世界

京都アニメーションお得意の繊細な画作りはもちろん健在。『響け!ユーフォニアム』と比べると線が細くなり、また全体な色合いも彩度低めに仕上がっているのでTVシリーズとは見た目だけでもかなり違いがある。パンフレットのキャラクターデザインの西屋太志氏のインタビューでは「『生っぽさ』を強く意識した結果、華やかで肉感的な『ユーフォ』シリーズに比べるとある意味では色気をあまり感じさせないデザインとなった」というようなお話もあった。そうして演出されたみぞれと希美の「現実」は、極めてリアルな質感でスクリーンに映し出されることになるのだ。
そんな「現実」の一方で目を引くのがカラフルかつファンタジックに描かれた『リズと青い鳥』という「童話」のパート。一人ぼっちの少女リズと、そんな元に現れた青い髪をした少女。二人は仲良くなり一緒に暮らしていくが、実はその青い髪の少女の正体は青い鳥だったのだ。少女の幸せを想うが故に、リズは青い鳥との別れを決意し大空へと飛び立たつ小鳥を見送る――というような悲しいお話。コンクールの曲のもとにもなったこの童話のストーリーが、みぞれたちが物語を噛みしめるようにアニメーションとして挿入されるのだ。
これが映画において良いアクセントとなっており、退屈させまいという構成の工夫を感じる。またアニメ作品における写実的なアプローチというのは高いクオリティであるほどアニメーションである必然性が少なくなってくる、というジレンマもある。そういう観点でもアニメ作品ならではの強みをこの手法によって持たせているのは見事だ。

また、『音』の使い方にも息を呑む。作品冒頭、おとなしいみぞれ・他人の生徒・快活な希美とそれぞれの足音の違いを際立たせており、この足音はセリフ以上にキャラクター情報を雄弁に語る。これがBGMと相まってリズムを刻むようにも聞こえるのもなんとも心地いい。冒頭のこのシーンから早速、この作品の音に対する姿勢に圧倒される。
他の場面においてもあくまで音響は「静」という佇まいであって、ストーリーのために敢えて投げられる派手なBGMはほとんどなく、音は彼女たちの世界を静かに包み込むようだ。こうした音響面でも「生っぽさ」が感じられる作りであったように思う。
音にまつわる音楽の牛尾憲輔氏、音響監督の鶴岡陽太氏といった面々も『聲の形』と共通するスタッフだ。『聲の形』は難聴の少女とそうでない少年の交流をメインに据えているのだが、その両者の断絶と繋がりとを時に静かに時にセンセーショナルに彩っていた音の使い方が非常に印象的な作品。そんなメンツが「吹奏楽」という音楽を通じての人間模様を描いてきた『響け!ユーフォニアム』の外伝を担当するというのはなるほどかなりハマっている。
『ユーフォ』シリーズというのは吹奏楽という題材に真摯に取り組んできた作品である。1期最終回の演奏を丸々流してみせる思い切った構成であったり、技巧そして感情の違いを音での変化で聴かせることで視聴者に届けるというのもそうだ。この映画でも特に重要な演奏シーンがある。作品タイトルを冠した『リズと青い鳥』という曲の演奏が披露されたのは、あくまで通しの練習という通常ならばけして山場足りえない局面。しかしここで流されるあまりにも感情的なみぞれのオーボエに圧倒される。音楽を通じての感情表現というアプローチでは共通しているものの、コンクールという存在に向けて歩んでゆく『ユーフォ』シリーズとは全く別のふとした局面での感情の爆発に、両者のスタイルの違いを感じ取ることもできる。

内省的で閉じた『リズと青い鳥』の世界

響け!ユーフォニアム』と『リズと青い鳥』という2つの作品のスタイルの違いとはどのようなものだろうか。
『ユーフォ』シリーズでは北宇治高校吹奏楽部が全国大会を目指すというストーリーを掲げ、部活動という要素をメインとして群像劇チックに多くのキャラクターに焦点を当てていった。主人公は黄前久美子というキャラクターではあるものの、同学年の部員の恋愛模様をやってみたり、またオーディションではそれぞれのパートごとにドラマを見せたりする。そうして紡がれたのは「みんな」の物語であって、様々なものを抱えつつも次第にまとまってゆく吹奏楽部の物語だったのだ。みぞれと希美も2期序盤ではドラマの中心となり、吹奏楽部の物語を作り上げるキャラクターの一員としての役割があった。
では『リズと青い鳥』はどうかというとこのアニメはみぞれと希美、どこまでも「二人だけ」の物語であったように思う。みぞれが希美を見つめるという世界、そこに広がりはなくどこまでも内省的であって閉塞的な世界。
それは今の瞬間を閉じ込めておきたいみぞれの世界でもあるだろうし、対等のような関係をどこかで求め続けていた希美の世界でもあるかもしれない。そんな世界を舞台にでこの作品は二人の類似点と相違点を冷静に、残酷に、そして優しく描き出していった。

外に出かけることも当然あった『ユーフォ』シリーズと違い、今作は登校シーンから始まり下校シーンに終わるまでの間は童謡パート以外はずっと校内のカットだったというのも思い切った構成。プールに遊びに出かけるという話が出た後も、楽しかったねと写真を見せてそれ自体はばっさりカットだ。こうした作りについてパンフレットで脚本の吉田氏は、「鳥かごのような作品にしたいという共通の認識があった」と語っている。まるで学校という空間に捕らえられたかのような少女たちの姿は、閉じ込められた青い鳥の姿と重なる。

このような閉じた空間の中で作り上げられた『リズと青い鳥』の世界は、完全な希美とみぞれのための世界であると感じた。希美とみぞれの物語を演出するために、学校、靴、楽譜、楽器、窓、水槽、そして彼女たち自身というありとあらゆるものが存在している。そして彼女たちのことがわからない我々は、彼女たちのために作られた世界からなんとかその感情のかたちを拾い上げようとするしかない。
『ユーフォ』シリーズでは主人公である久美子のモノローグが随所にあり、彼女という人間の目を通じて世界を眺めることができた。一方で今回の希美やみぞれがどういったものを胸に秘めているのかというのは私達視聴者には想像をするしかなく、あくまで二人の世界をひっそりとのぞき見しているかのよう。
そしてこの距離感というのは人と人との距離感にも近いのだろう。希美とみぞれ、彼女たち自身もまた想いを胸に秘めたまま、互いに互いのことがはっきりとわからないままどこかズレた交流を繰り返す。そして我々は繊細に形作られた世界を眺めながら、その高められた「生っぽさ」によってどこまでも彼女たちの息吹をリアルに感じてしまうのだ。

モノローグもなく、セリフも説明的でないこの作品はどこまでも絵にて雄弁であろうとする。それ故に90分という時間の中にとにかく無駄のない描写を詰め込んでいる印象がある。
例えば吹奏楽部員の他愛ない雑談の中で「デートに水族館にいった時に可愛くて似ているとフグを見せられショックだった」というような内容の会話があるが、ここで恋慕の象徴として提示されたフグはみぞれが一人水槽のトラフグを見つめるシーンに意味を持たせる。
また童話のパートでリズは青い鳥の少女に赤い実を髪に飾り、そしてまた別のシーンでリズから別れを告げられた少女はショックを受け籠いっぱいの赤い実を落とす。二人の繋がりとして示された赤は、現実世界でもみぞれがオーボエの手入をする時の赤い糸として登場する。これはそのまま運命の赤い糸を必死に握りしめようとするみぞれとも読めるかもしれないし、また吹奏楽部をきっかけに知り合ったみぞれと希美にとっては楽器は二人の出会いの印でもある。二人の声が最後の最後に重なった「ハッピーアイスクリーム」の場面がコンクールの話題というのも、こことつながっているかもしれない。
劇中のこうした一つ一つの描写が、彼女たちの関係や感情といったものを指し示しているように思えるのだ。

とはいうものの身も蓋もない事を言うと作品の解釈というのは視聴者に委ねられた自由である反面正解はない。いや大抵の場合なんとなくの正解のかたちは示され、そこを補っていくのが描写の解釈の流れかなと思うのだが、今作において何が困難かというと希美とみぞれの二人の複雑に絡み合った内心については結局はっきりとはわからずじまいだったためだと思う。
なのであくまで僕の色眼鏡と脳を通して言語化したものが果たしてどの程度の"正解"かはわからないが、必死にすくい上げようと試みた彼女たちのことについて、勝手ながら書かせていただきたい。

リズと青い鳥」と「傘木希美と鎧塚みぞれ」

童話において、青い鳥を愛ゆえに逃しひとりぼっちに戻る「リズ」と、リズを愛しているからこそその選択を受け入れるしかない「青い鳥の少女」という二人がいる。映画のストーリーをたどると、当初みぞれは快活な希美と自分を比較し、自分をひとりぼっちだったリズに重ねようとする。しかし、音楽の才能という翼に気がついて行き、そして愛する者の選択を受け入れる青い鳥こそが相応しいのではないかということに気がつく。希美もまたそのことに気が付き、「籠の鍵を開ける」のだった。

鳥と人間、地上と空で生きる世界が異なるために別れを選ぶことになったリズと青い鳥。生きる世界の違いというのは、高校3年生という状況で各々の進路に進む希美とみぞれたちの姿とも重なる。終盤では、音大受験に向かいオーボエを練習するみぞれと、普通校のために勉強をする希美の姿が対比して描かれた。童話のリズと青い鳥、その関係性に自覚的になった彼女たちの生きる世界は違うのだろうか。そのまま鎧塚みぞれは「飛び立つ青い鳥」であって、傘木希美は「それを見送るリズ」だったのだろうか。

しかし個人的には童話の関係がそのまま二人にあてはまるものではないと思う。映画の冒頭で「disjoin=互いに素」と示された二人の関係。両者を割り切ることができるのは1のみであり、公約数というものを持たないほとんど重ならない関係。しかし最後の最後で希美とみぞれの声はふとした瞬間に一致する。それは控える吹奏楽部最後のコンクールへの意気込みの言葉。そのとき二人の関係は「dis」が塗りつぶされ、「joint」となるのだった。映画の最後でついに二人のそれぞれに対する想いが重なる瞬間があったのだ。

二人の想いとはどのようなものだったのだろう。みぞれの希美に対しての感情は、ハグのシーンで示されたように基本的に「希美の全てが好き」だったのだろう。脚本吉田氏はみぞれについて「恋する人」と話している。
では希美はどうだったのか。彼女は一度はみぞれから求められたハグをやんわりと避けるものの、再度みぞれから抱きつかれたこの時にの「全てが好き」に対して「みぞれのオーボエが好き」と返している。希美は『響け!ユーフォニアム2』の4話で、彼女が吹奏楽部をみぞれに相談せず辞めた理由に関しても「みぞれは頑張っていたから」「みぞれのオーボエが好き」といったことを伝えている。かつて暖かい言葉として響きつつも、今回はどこか突き放すようでもあった「みぞれのオーボエが好き」という言葉。それは共にいた事でズレてしまった二人の関係に目を背けようとしていた希美が勇気を出して放った言葉でもあるだろうし、みぞれの才能への嫉妬を孕んだ言葉のようにも思える。

ひた隠しにされた希美の複雑怪奇な感情について、正直言って観測者でしかない僕が言語化できるようなものではないのだろうし、そして無理にすべきではないのだろう……という無力感を感じてしまったりもする。
ただ希美がみぞれのオーボエ「だけ」を好きかというとそうではないのだと僕は思う。ハグのシーンで、彼女が「忘れた」と話したみぞれと希美の出会いの場面。しかしその後の回想で流れたその出会いのシーンは、みぞれの顔が映されたものであり、すなわち希美の視点での出会いの思い出なのだ。希美にもきっとみぞれへのいろいろな「好き」があって、そんな二人の「好き」がふと重なったのがハッピーアイスクリームのシーンだったのだと僕は思いたい。
最後のコンクールを控えた高校三年生の夏。オーボエの赤い糸は、きっと繋がっている。

刹那を切り取るということの希望

個人的な話だが希望に満ちた創作物というのが自分は好きで、それは厳しい現実の中で出来上がった「作り物」の物語だからこそ報われるお話だとか、幸せなエンディングを見たいという想いがあって。
この映画のパンフレットにも「ハッピーエンドは映画が作り出したマジックというか、生きる術である」という話が出ていて、なるほどと深く頷いた。『リズと青い鳥』という映画がハッピーエンドかどうかというのは人によって感じ方が変わってくるだろうとは思うが、山田監督によると希美が話す「物語はハッピーエンドがいい」という心情に向けて組み立てていければ、という想いがあったらしい。「作り物」でありながらもそこに「リアル」を積み上げたからこそ、エンディングを幸せにしすぎるのは嘘っぽくなってしまうということなのだろう。故にこの映画はあくまで「ハッピーエンドに向かっていく」終わり方をするのだ。

鳥かごからあるき出した希美とみぞれの物語は今後どうなってゆくのだろう。ただ未来がどんな形になろうとも、この映画の90分で描かれた彼女たちの時間は、そして最後に重なったあの言葉は、決して色褪せることがない。あの瞬間に彼女たちには「joint」があったのだ。
本作の主題歌であるHomecomingsによる『songbirds』という曲の和訳に「歌にしておけば 忘れないでおけるだろうか たった今好きになったことを」という一説がある。僕はこの歌詞がこの作品の素敵さをこれ以上なく端的に表した詩だと思う。いつかは記憶の中から薄れてしまうような青春の1シーン、いずれ消えてしまうあの当時にしかなかった瞬間の熱量を、忘れないでおけるように切り取ってくれたのが『リズと青い鳥』という作品の優しさであり、精一杯の希望の描き方だったのではないだろうか。
どこまでも繊細で、そして優しく希望に満ち溢れた『リズと青い鳥』の世界。カメラで録画されたかのような希美とみぞれの青春の一瞬を、きっと僕は忘れることがないと思う。

(4/27 主題歌について追記)
主題歌CDの『Songbirds』は発売日に購入して聞きまくっていたのだが、ふとMVを見たら「これはこの作品におけるマスターピースだった……」と改めて感激してしまったので追記をさせて頂きたく。

リズと青い鳥』という作品は、作品世界のリアリティを高めることで、空想世界でありながらさも実在の青春時代の出来事を切り取ったかのような映像を作り上げていた。故に作品本編ではこの青春世界を振り返るという視点は存在せず、振り返りは我々が映画を鑑賞することによって間接的に成し遂げられるようになっている。山田監督と脚本吉田氏の対談でも「大人視点になった途端作品テーマが薄れてしまう(から入れないよう気をつけた)」というお話があり、そこに関してはかなりこだわりを持って制作されていったのだろうということが伺える。

youtu.be
さてそこでこの『Songbirds』のMVを見ていただきたい。映像では青い空のカットに続いて、劇場にメンバーが入ってきて映画を鑑賞する……というストーリー仕立てになっている。これはあくまで主題歌のMVなので『リズと青い鳥』の作品の一部と捉えるのは流石に不適切かとも思うが、とはいえ作品側から初めて提供された「青春世界を見つめる眼差し」である。

映画において『Songbirds』という曲は、最後のエンドロールに『girls,dance,staircase』という曲に続いて流される。サウンドトラックDisc1のラストソングでもある『girls,dance,staircase』は、映画の静寂を基調とした世界からスムーズに入っていくことができる静かな曲で、本編のイメージとも一致したカラーの曲である。一方『Songbirds』は聞いていただければわかると思うが爽やかな8ビートのギターポップに仕上がっており、いかにも青春モノというカラーこそあれど正直言うと本編の雰囲気から考えると異質で、浮いているようにも思う。サウンドトラックに収録されずシングルとして同時発売なのにも明確な線引きがあるように思える……というのは流石に穿った見方過ぎだろうとは思うが。

鑑賞時はそこの理由に関して特に考えていなかったのだが、MVを見て自分の中では腑に落ちた感覚がある。すなわち映画のエンドロールという本編とその終わりの微妙な境目において、我々の目線と作品世界の目線とに少しずつ重なる架け橋のような存在が『Songbirds』だったのではないだろうか。
思ってみればこの曲の映画物語を想起させるような歌詞は、一人称でありながらどこか他人事のようでもあり、当人でありながらも俯瞰的な視点があるようにも感じられる。特にそこが感じられるのは「If I was aware of the eyss behind the lends(レンズの目線に気がついていたなら)」という一説だろう。『リズと青い鳥』の世界がレンズを通して映されたものだという意識はもちろん当の登場人物たちにはあるはずもない。ということは、我々と同じ客観的な視点がある「その世界をレンズを通して見る人」とはすなわち「過去の青春を見つめる自分自身」なのではないか。
MVの最後の部分の「あの瞬間好きになったことを」という言葉も顕著な部分だろう。ちなみにCDカードではここも他と同じく「たった今好きになったことを」であったので、実写映像というMVにこの歌詞のギミックを入れてこられたのにはすっかり参ってしまった。

このように、『リズと青い鳥』という作品が「青春時代の純粋な記録」というスタイルを確立するために捨てざるを得なかった「大人視点」というものを作品側からも提供するのが、作品の空気感と比較すると異質な『Songbirds』という主題歌だったのでは、と僕は思う。そしてこのやや場外から放たれた曲により、「記録」としての『リズと青い鳥』はより強固なものになったのだ。

映画『リズと青い鳥』ED主題歌「Songbirds」

映画『リズと青い鳥』ED主題歌「Songbirds」