日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選

今年も単話10作品を選んでゆく。今回私が行ったルールは以下の通り。

  • 2019年1月1日~12月31日までに放送した作品。
  • 20本選出した上でランダムに視聴をし、改めて10本を選出。
  • 順番は”だいたい”放送順で、順位はつけない。



2019年も非常に多彩なアニメ作品に楽しませてもらった。私の感じたワクワクドキドキの一端が伝われば幸いである。

バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~ 第10話『これ、どうやって撮るの?』

脚本:西村ジュンジ 絵コンテ・演出:細田雅弘 作画監督:Hwang Seong-won、Moon Hee

海の底、都会から遠く離れた小さな村、『パーレル』にて繰り広げられる、賑やかな少女たちの日々。村の伝統的なお祭りの様子を撮影してほしいと頼まれた、マーメイドの少女・ソナタが渡されたのは「撮りたいと思ったものを撮影する」という不思議なカメラ。彼女の持つパーレルという村への愛着が、その撮影した映像を通して我々視聴者や村の住民たちに伝わってゆく。
「カラパレ」が描いてきたことに「共感」というものが一つある。これは非常に曖昧なもので、理屈ではなく感動によって得られるものであった。1話での劇場に出会ったあの日、キネオーブというメディアによる映像を見上げて、それぞれ感じたことは違えど「素敵」ということを共有した5人の少女。この10話にてソナタが撮影した映像というのもまた彼女しか見ていない世界でもあるのだが、しかしそれが「素晴らしい村の記録」として皆の目にも映る。個々の世界が違うことをきっちりと示しつつも、一方でそんな様々な存在が寄り添うからこそ見える世界がある。ソナタ自身はあまり自信がなかったというのが非常に彼女らしくて、他者の目を通じて初めて彼女は笑顔を見せる、そんな人々の関わりがとても暖かい。
ああ、などとエピソードの魅力を語ろうとしてみたがどうにもしっくりこない。きっと私が一番感じていることはあまりにもシンプルなことで、それはとにかくこの作品が美しかったのだ。ソナタが素敵だと思って撮影した――きらきらと光るクラゲの群れが、遠くから見下ろすパーレルの景色が、水に揺蕩うキャロの横髪が、奇妙に揺れるポコの尻尾が、村の人々の表情が、こんなにも美しく、そしてこんなにも愛おしく感じられるなんて。カラパレという作品は決してゴージャスなアクションがあるアニメでも無ければ、緻密で繊細な絵が提供されるアニメでもなかった。しかし水中というシチュエーションを十二分に活かし、伸び伸びと生きるマーメイドたちのアニメーションは、私にとっては極めて映像が心に突き刺さった作品であった。
だからこそ、ここで初めて「ソナタの見ていた世界」が見えた瞬間、本当に私は彼女に共感をして、同じものを美しいと感じられたことに感激したのだ。海底の村であるパーレルという場所はあまりにも現実離れしている世界で、決して地上で生きる私たちが見ることの出来ないものだ。しかし近い未来に都会へと移り住むソナタたちにとっても、結果的にこれは「決して二度と見ることのできないあの頃の風景」でもある。得てして思い出の中の風景というものは理想であり、そして何よりも美しい。そんな美しさにとにかく「共感」した作品であった。

W'z 第11話『church chat chat! 《チャーチ・チャット・チャット》』

脚本:八薙玉造 絵コンテ:金澤洪充・鈴木信吾  演出:山岸徹一 作画監督:安達翔平、植木理奈、内田孝行、谷圭司、藤坂真衣、古田誠

ハンドシェイカー』という前作を引き継ぎ、尚昇華する2世代目の物語。本作でも目まぐるしく動くバトルシーンでのカメラワークは健在だが、しかし若干カメラが暴走していたきらいがあった前作のそれと比べると、アクションと「噛み合っている」感触がある。『ジグラート』という異空間で人間の領域を超え、縦横無尽に跳び回るキャラクターたちの迫力ある動きはそれだけでも唯一無二の魅力がある。
この11話でユキヤとハルカ、W'zの主人公ペアと相対するのは前作主人公ペアであるタヅナとコヨリ。そしてそのユキヤたちに助太刀するのは彼の育ての親であるレイジロウとユキネ。そう、これは『ハンドシェイカー』における初陣の再現でもあるのだ! 「俺は負けねえ」と父親としてあの時と同じセリフを叫ぶレイジロウの姿は、単なる1話で乗り越えるべき敵としてのそれとはまるで違う。「続編」であることがこんなにも完璧に活かされたこれ以上なく熱い展開に、心が躍らない視聴者がいるのだろうか? 『W'z』も見どころが多いアニメだったが、この演出があまりにも好きすぎて10選ではこの11話を選出した。
戦いが終わり、後半ではユキヤの出生の秘密がいよいよ語られる。ジグラートに生まれ、ジグラートに誰かを連れていける彼だからこそ、実現できた生みの親との再開と、そして繋ぐことの出来た人の輪。世代を超えて人と人とが手を取り合うことを何よりも肯定した本作。そして他でもないこの作品が、前作『ハンドシェイカー』と手を取り合っているからこそ生み出された感動がある。共にあるという「ウィズ」の名に偽りなし。

明治東亰恋伽 第12話『ストロベリームーンに抱かれて』

脚本:はるか 絵コンテ:大地丙太郎 演出:山本泰一郎 作画監督:秦野好紹、宍戸久美子、とみながまり、加野晃、米本奈苗、佐々木恵子、中谷藍、Kim Yoo-Mi

明治での本編の大部分で「明るくお茶目なヒロイン」だった芽衣の一話での現代の姿を見ると、こんなにも冷たく孤独な印象があったかと驚く。この12話で彼女はずいぶんと変わった。いや本編のセリフを借りると「今のわたしが、本当のわたしだって気がついた」のだ。そんな芽衣がいよいよ明治に別れを告げ、現代へと戻る最終話。
一話の再演である制服姿での鹿鳴館での舞踏会。明治にタイムスリップしたばかりのかつては状況に戸惑い、翻弄されてばかりだった芽衣だが、今ではたくさんの人々と笑顔で向かい合い、エスコートされつつ優雅に踊る。これもまた彼女の生まれ持った「物の怪の声が聞こえる力」のおかげであり、「本当のわたし」に戸惑っていた時の彼女はもういない。物の怪の登場で混乱した1話と違い、最終話の鹿鳴館のシーンのなんと穏やかなことか。今までの思い出を噛みしめるかのようなダンスシーンに、この12話までの彼女の歩みを感じる。
かつて、明治に来た芽衣が初めて出会った二人の男性、菱田春草と、そして森鴎外芽衣が鴎外のフィアンセとなったこともあり、出会った人々の中でも特に深い交流があった二人、そんな彼らとの切ない別れのシーンも情感たっぷりに描かれる。大きな月を背景にしたシーンはタイトルの通り『ストロベリームーンに抱かれて』いるかのようであり、非常にロマンチックに仕上がっている。そしてこれもまた1話の再演でもあり、現在から過去、そして過去から現在へと繋がり展開してゆくシナリオが、1話から12話への時間・話数の流れによって巧みに表現される。明治での12話をかけて肯定した芽衣の「過去」は、1話の現代の「今」を変えるのである。始まりと終わりを対応させるのは私も大好きな手法の一つだが、この作品はそこに関して随一の上手さであった。
そして彼女は思い出を胸に「あるべき世界」へと戻る、その小さな、本当に小さな一歩のために。

ひとりぼっちの○○生活 第11話『たぷたぷからプリプリまで』

脚本:花田十輝 絵コンテ:いわもとやすお 演出:宝井俊介 総作画監督:田中紀衣 作画監督:山崎敦子、たなべようこ、今田茜、壽恵理子

内気な主人公・一里ぼっちが友達を作るために奮闘する本作。この11話の頃にはぼっちの周囲にも友達が増え、そんな折に登場するクラスメイト・小篠咲真世とのエピソードとなる。人の輪が広がったからこそ以前よりも強さを手にしたぼっちの姿。また彼女を支えるなこ、アル、ソトカという友人たち。(佳子もメイン組として登場しているが、友人となるのはもう少しかかる)物語も後半に差し掛かるからこその積み重ねが感じられることが嬉しい。
さて、タイトルの「たぷたぷ」=「Tap Tap」が示すようにこれはスマホという道具がうまく軸になっているエピソードである。真世にとって離れた両親とのコミュニケーション手段でありつつ、遠慮がありうまく伝えることができないメール。また一方でなこが提唱する「スマホたぷたぷグループ」にも絡んできており、これらでスマホは繋がりの象徴として登場する。そしてスマホは契約するものであり、契約というものもまた繋がりである。故に真世はぼっちたちと折り鶴アルバイトの契約で繋がっていき、そしてその先にはシンプルに「一緒に居たい」という友達というある種の契約が生まれるのである。
ぼっち生活というアニメ、そしてぼっちというキャラクターは、曖昧さを捨て去り、親愛を直接言葉に出すことで関係を築いていく作品・人物であった。その姿勢は堅苦しいほどに生真面目すぎるが、しかし曖昧さに甘えられない人々の救いにもなる。言葉にすることを恐れた真世はぼっちの行動に勇気づけられ、両親に甘えることができたのである。そしてそれを繋いだのは再び登場したスマホのメール……と綺麗に対応した構成が非常に美しい。
サブキャラクターが中心となった1話完結のエピソードであるからこそ、綺麗にまとまったお話になっていると思う。

八月のシンデレラナイン 第12話『世界で一番あつい夏』

シナリオチーム:田中仁、伊藤睦美、吉成郁子、大内珠帆 絵コンテ:石山タカ明 演出:工藤進 作画監督:正金寺直子、加藤壮、野本正幸、髙野友稀、谷口繁則、石川慎亮、C.K.LIM、H.W.JOO、H.J.KIM

翼たち里校野球部がいよいよ「チーム」となり、迎えた全国大会の初戦であるライバル・清城高校との一戦。試合模様を丸々と描いたこの最終話では、クライマックスにふさわしい迫力のある野球シーンに目が離せない。
ところでこの作品の特徴的なのは、とにかく野球というスポーツを「楽しむ」という姿勢。そして楽しみたいからこそ全力で勝ちを求めるし、そしてそれはこのチームでなければならないという強固な思想。チームとして各々のドラマを一つ一つ魅せていったからこそ、この最終話の試合では全てのシーンがまさにそのキャラクターたちのクライマックスとも言うべき、大きな山場として次々と登場する。いよいよホームランを達成する良美に、ピッチャーとして立つ夕姫、補欠ながらも交代要員としてグラウンドに立つ智恵……目頭が熱くなる名シーンの連続である。茜が飛んできたフライをキャッチしたという、ただそれだけのシーンで、思わず涙が溢れてきてしまう。こうした感動が生まれるのも「このチームで野球をしたい」と、努力を続けてきた今までを見てきたからこそであろう。いよいよ始まった夏の開幕たる一戦は、ずっと目指していた夢の一戦でもあった。
最終話でもう一つ印象的なのが、対戦校のキャプテン・神宮寺小也香だ。何よりも「強さ」を第一とし、今までも翼たちの好敵手だった彼女だったが、ここで初めて「弱小部を立て直した」という過去が語られる。すなわち清城にとっての小也香は、里校にとっての翼と非常に近い存在だったのだ。そんな小也香もまたここで初めて「チームで楽しむ」ということを認め、試合はより白熱してゆく。対戦チームもまた「超えるべき敵」ではなく「共に全力で競い楽しむための仲間」であるというそんな姿勢が、なんともこの作品らしい。
ちなみにこの世界においては、女子野球というジャンル設立に向けての活動がかつて存在したらしい。チーム内外の影響を受けながら歩んできた里校野球部の道には、更にそんな先人たちの熱意が共にあるのだ。そんな様々な想いが受け継がれていくという物語の中で、往年のヒット曲のカバーが流れるというのもまた面白い。『世界でいちばん暑い夏』『どんなときも。』がこんなに野球ソングになってしまうと誰が思っていただろうか。輝かしい青春の熱に満ちた最終回。作中での「眩しい」という一言があまりにも象徴的に響くエピソードだ。

からかい上手の高木さん2 第7話『林間学校』

脚本:加藤還一 絵コンテ:赤城博昭 演出:岩岡夢子 総作画監督:諏訪壮大 作画監督:中野江美子、阿曽仁美、別所ゆうき、川島 尚、岩永大蔵、宍戸久美子

これは個人的な感想なのだが『からかい上手の高木さん』という作品に対して、非常に反省があった。正直に白状すると、私はこの作品の大部分を「ゴールが定められたシチュエーション萌え先行の退屈な恋愛模様」と認識し、長らくあまり真剣に見ることができていなかったと思う。とはいえゴールが定まっているのは事実であり、実際このエピソードでは冒頭に結婚後の「元高木さん」の姿がちらりと登場する。しかしだ、ゴールが定まっているからといって「退屈な恋愛模様」だとは了見があまりにも狭すぎた。原作には触れていないのであくまでアニメでの感想にはなってしまうのだが、「からかい」とされてしまう高木さんの西片へのアプローチが、こんなにもいじらしく、こんなにも切ないものだったとは! そしてそれをようやく私が理解したのが、このエピソードなのである。
「高木さんは西片をからかっている」その前提によって視界が曇る。一方で「高木さんが西片に恋をしている」のもまた自明であったというのに。先入観をなくしてみると、実に高木さんは西片に対して直球のアプローチを仕掛けているように感じる。しかし西片もまた高木さんに気がありつつも、照れだったり自信のなさがあったりと、それにうまく応えることができない。高木さんも高木さんで「からかいからかわれる関係」に甘んじ続けてしまっている。この二人の関係は「両思いになるゴールが定まっている」が現状は両思いではなく、単なる「お互いにお互いを片思いしている状況」でしかないわけなのである。
そしてそんなあまりにも微妙な二人の関係が「林間学校」という非日常的な行事によって浮き彫りとなる。「フォークダンスにて好きな人と最後に手を繋いでいたら両思いになれる」それ自体は取るに足らない噂話であろうが、しかしその上で高木さんと手をつなぐことがギリギリでできなかった西片の切なさたるや。続くシーンでは星空のもと、身体的な距離は近くにあるのに、心は未だ本当に寄り添えてはおらず。そんな二人の「距離感」が織姫と彦星に例えられる切なくもロマンチックなシチュエーション。この手をつなぐという行為は、最終回のクライマックスシーンにも対応しているのがなんともにくい。
そしてそんな物語をうまく彩るのが、私が表情芝居の第一人者と勝手に思っている赤城博昭監督の仕事ぶりである。高木さんの絶妙な表情だったり、彼女の色気を伴う魅力といったものが、繊細な日常シーンの描写で表現される。圧巻。

女子高生の無駄づかい 第6話『まじょ』

脚本:福田裕子 絵コンテ:橘さおり 演出:石井輝 総作画監督:青野厚、安田祥子古川英樹 作画監督:Kim Hsesook、Hong Chongyong、南伸一郎、飯飼一幸、池原百合子、吉田潤、中尾高之、佐々木洋也

非常に個性的な女子高生たちが織りなす、学園コメディ作品。今回初登場の「まじょ」こと翡翠も他に負けない強烈なキャラクターで、あまりにも他と異なる価値観故にすれ違いのコントを繰り広げる。仲良くなるために「死に方あみだ」を考案したり、感謝の印に自身の髪を織り込んだミサンガを渡すなど強烈な印象を残す。
さて、一方でここでは不登校であった「まじょ」のクラス復帰が描かれる。上述の通り価値観が違う彼女は暴走しがちなのだが、しかしあっけらかんとした「バカ」こと望をはじめ、おおらかなクラスにおいては奇人も疎外されることもなく、なんだかんだで次第に「まじょ」は周囲に馴染んでゆく。もとより思想も価値観も違う個性的なメンツで混沌としているこのクラス。今更もう一人増えたところで問題ない、と言わんばかりの懐の広さが今はとても暖かくも感じられる。
結局ついぞ「まじょ」は周囲と噛み合うことはなかった。いわゆる中二病のヤマイには終いには「怒らせてはいけない危険な相手」と誤解されるし、「まじょ」が好きなものが果たして相手にも理解されたのか、というとなかなかそうはいかないのだろう。しかしそれでなんとなく順調に回ってしまう世界の素晴らしきことよ。「それな」「ウケる」と女子高生らしい言葉遣いを試すことには失敗してしまったが、等身大の彼女の言葉は取り繕うよりもずっと相手に届いていく。「バカ」の感じた当たりのチョコバットの価値と「まじょ」のそれは決して重ならないが、そのチョコバットが素晴らしいことに違いはない。本作品タイトルだけを見ると「無駄遣い」と彼女たちの日々に対して否定的なニュアンスがあるが、それとは裏腹になんとも素敵な青春の一ページが描かれている。

Re:ステージ!ドリームデイズ♪ 第9話『向こうの親御さんには私から連絡しておくわ』

脚本:冨田頼子 絵コンテ:葛谷直行 演出:上田慎一郎 作画監督:薮田裕希、辻村 歩、梶浦紳一郎

一度は諦めた夢を「もう一度」追いかける、女子中学生たちのアイドルストーリー。中学生アイドルにとっての登竜門『プリズムステージ』決勝への進出が決まった主人公グループの『KiRaRe』だったが、ここにきてメンバーの紗由の家庭問題が浮上してくる。物語でも初期から登場し「アイドルになることが夢」とまっすぐに語る彼女だったが、しかし中学進学を機に母親からその「夢」に反対されてしまっていたのだった。
このエピソードでは「大人」と「子供」の間で苦悩する紗由の姿が描かれる。厳しい母に育てられ、人一倍「正しさ」に敏感な彼女は、我儘を押し通すこともできずに、迷った挙げ句同級生で同じくメンバーの舞菜の家を訪れる。ここでは「子供」の象徴としてアヒルのおもちゃが登場するが、「これがないとお風呂に入れない」と恥ずかしがる紗由を舞菜は優しく「そんな紗由さんも素敵」と励ます。ここまでのエピソードでは行動的な紗由が内気な舞菜を引っ張るシーンが多かったが、ここにきて逆転の構図。中学生というあまりにも微妙な思春期の時期に、「ずっと紗由さんと一緒にいたい」「ずっとはずっとだよ」と無邪気に語る舞菜に紗由がどれほど救われただろうか。また他のメンバーも弱気な紗由に対してエールを送る。「ボクの時はあんなに引き止めてくれたのに」と語るのは入部の際に紗由たち部員とひと悶着あった香澄。紗由が今まで励まし、牽引して来た人々が今度は彼女の背中を押してゆく。全員が全員それぞれを補い合って成り立っている、ここにはステレオタイプな「強者」も「弱者」も、そして「大人」も「子供」も存在しないのだ。
さて、紗由の母の説得も兼ねた学校でのライブ。ここで舞菜と紗由が連れ立って歌うのが『ステレオライフ』という曲。「ステレオの左右」を絡めつつ「強さも弱さも混ぜて私なんだ」とする歌詞は非常に今回のエピソードとマッチしており、その上で「心のセンターを進もう」というフレーズに強い意思が感じられる。『Re:ステージ!ドリームデイズ』というアニメは作品作りにおいて作詞家・作曲家も交えての脚本会議を繰り返していたそうで、非常に楽曲とストーリーのリンクに関してこだわりがあった作品であった。このエピソードにおいてもゆったりとしたメロディに乗せて歌われるこれら詞が、紗由の母のみならず視聴者にも深く深く突き刺さる。前エピソードではアップテンポな曲に乗せて激しいダンスアクションを披露していたが、こちらではまた別のダンスで我々を魅了する。ライブシーンの演出が極めて強烈なアニメ作品であった。
紗由に対して「大人」であることを求めていた彼女の母が、自分の娘の無邪気な笑顔によって涙をこぼすのも良い。「家であなたの笑った顔を見ていなかった」と「子供」としての紗由の姿を蔑ろにしていたことを悔い、彼女の夢を認めるのだった。ラストシーン、このエピソードで一番の眩しい笑顔を見せる紗由は、きっとこれからも心のセンターを進んでくれることだろう。次のお話以降では、厳しかった紗由ママがすっかり親バカと化しているのもご愛嬌。

トライナイツ 第12話『弟と兄』

脚本:たかだ誠 絵コンテ:佐々木勅嘉 演出:にしづきあらた 総作画監督:そらもとかん 作画監督:中川貴裕、田中淳次、水谷剛徳、三関宏幸、清水美穂、野沢弘樹、菊地シュンスケ、竹内一将、長尾浩生、小原和大、いまざきいつき、そらもとかん

ラグビーで極めて重要な体格にて劣る主人公・遥馬理久。そんな彼は持ち前のタクティクスで蒼嵐高校を勝利へと導き、いよいよ決勝にて赤麗高校のエース、兄・朝宮怜皇と対峙する。
ここでの蒼嵐VS赤麗は、全VS個の戦いでもある。個々の実力では蒼嵐を圧倒する王者・赤麗だが、しかし蒼嵐はチームワークにてこれに対抗する。そしてこれは、個人のフィジカルでは決して兄に届かず、ラグビー落第者の烙印を押されてしまった理久にとっての反逆。また同時に、蒼嵐にとっても灘キャプテンを途中で失い、無残な敗北を喫した昨年のリベンジマッチでもある。その灘も理久の奮闘を目の当たりにし、そして彼が力尽きたことでいよいよ立ち上がり、フィールドへと舞い戻る。二重三重にお膳立てされた物語のクライマックスの一戦、一進一退する激しい攻防に思わず拳を握りしめてしまう。
赤麗の実力は確かなもので、蒼嵐は粘るものの徐々に押されてしまう。そんな逆転の一手、それは前の戦いでも行われた「理久がタクティクスを捨てる」という作戦である。しかしそのタクティクスは他のメンバーに受け継がれ、理久という持ち主の手を離れてなお縦横無尽に繰り出される。また本作は理久と対照的にフィジカルに絶対の自信を持ったプレイヤー・狩矢光が理久の盟友として登場している。そんな光は一方である意味フィジカルを捨て、怜皇に押し負けつつも理久にボールをつなげる。これぞチームワークを築き上げてきたからこその展開であり、この物語のクライマックスとして非常にふさわしいものとなっている。そして試合の後はノーサイドの精神により、理久と怜皇は堅い握手を交わす。どこまでも人間のつながりを肯定するその一貫した姿勢が素晴らしい。
ところで、集団スポーツとしてそのチーム感を肯定していくのは、上でも挙げた『八月のシンデレラナイン』と通じるものがあるように感じる。2019年にこうしてやや近い思想のスポーツアニメが出てくるのも面白いが、そしてそれが同時に10選されるほど私に刺さる2作になるとは。ここで両者が異なるのは、『八月のシンデレラナイン』の場合は「このチームが好き」→「故に勝利したい」というロジックだったのだが、『トライナイツ』の場合は「勝利するためにはどうすればよいか」→「チームでの役割分担」となるわけだ。これはそれぞれのスタート地点で違う目標があったからでもあるが、同じチームの肯定でありつつもこうした違いが出てくるのも興味深い。これらのアニメ両方が、自らの持つテーマをきっちりと描ききったというのは非常に天晴だ。
さてもう一つ個人的に思う『トライナイツ』の良いところとして、台詞回しが非常に卓越しているという部分がある。言葉少なくも背中で語るかのような最低限かつ印象的な台詞回しは、男性的なロマンに溢れていたようにも思っている。評価的には賛否分かれた印象のある本作だったが、期待以上の素晴らしい最終回を見せてくれたことに感謝したい。「(この未来が)見えていたわけじゃない。信じていただけだ」

ライフル・イズ・ビューティフル 第10話『姫・イズ・クライシス』

脚本:砂山蔵澄 絵コンテ:島津裕行 演出:三好なお 演出協力:球野たかひろ 作画監督:北島勇樹、川村裕哉、瀧澤茉夕、島﨑 望、Kim Dae Hun

ビームライフル競技に取り組む女子高生たちの姿を描く本作。コメディチックなスタートだったのでもっとゆるいアニメかと思っており、実際そんなゆるさが楽しいアニメなのだが、しかしそれだけのアニメではない。県予選のあたりから競技部活動モノとしての熱さをめきめきと発揮しており、45分の制限時間の中、ただひたすら的を狙うビームライフルという競技のシビアさ・過酷さといったものが緊張感のある演出の中でうまく表現されていた。この10話は全国大会の最中。広島県・筒賀での全国大会も第2射群の番となる。
この射群でひときわ目立つのが、全国大会常連、前大会優勝の峰澄高校3年、貝島沙由である。可愛い子を見ればナンパし、マメに選手のチェックをしていたかと思えば見た目の評価、セクハラまがいのスキンシップで後輩にも呆れられる……と非常に軟派なキャラクターとしての印象が強かった彼女だが、その実力は本物。ひとたびライフルを持てば余裕はそのまま、華麗かつ安定した立ち姿を披露し、高得点をキープし続ける射撃で他を圧倒する。このような「二面性」はそのままこのアニメの面白いところでもあり、おちゃらけるところはおちゃらけつつも締めるところはきっちり締める、そんなバランス感覚が嬉しい作品なのだ。そして一見地味なライフル競技またも地味なだけではなく、様々な感情が交錯する熱い人間ドラマが繰り広げられている骨太な競技なのだ。そして、この作品を体現するかのような沙由は独白する。「射撃の美とは、内面と外面の調和によってこそ生まれる。上辺だけ取り繕っても私には勝てない。故に――ライフル・イズ・ビューティフル!」
さて、このエピソードでもうひとり忘れてはならないキャラクターが存在する。主人公チームの一員である千鳥高校一年、姪浜エリカ。プライドが高く、日頃から優雅であろうとする彼女だが、チームがまさかの暫定一位ということもあり、第2射群の前に強いプレッシャーを感じてしまうのだった。不安や動揺が非常に左右されてしまうこの競技では致命的であり、結果としてエリカの特典は伸び悩み、苦いスタート。しかし気が強く負けず嫌いの彼女は、ここにきて「自分ではなくチームのため」奮起する。「0.1点でも多くかき集めて、ひかりに繋ぐ!」と内心叫ぶ彼女の射撃は、ラストだけ見れば大会でもトップクラスの成果に。そのあまりにも気高いに、心を打たれてしまう。
更にここでまたもうひとりとても良かったキャラクターが、県団体戦予選で敗退した他校部員であり、またエリカの姉貴分である東雲あきら。普段から色々な相手をからかってばかりの彼女は、このエピソードでもここぞとばかりにエリカをおちょくるが、その一方でエリカを人一倍励ましていたのも彼女だった。そんなあきらは的へと向かうエリカの後ろ姿を眺めながら、心のなかでこうつぶやくのだった。「いいなあ団体戦、出たかったな」と。普段から飄々としてあまり本心を見せない彼女だったが、この時ばかりは本心からの吐露だったに違いない。
競技そのものは静寂のなかで行われるビームライフルだからこそ、その内面では激しい感情のうねりが繰り広げられている。競技として、作品としてのあるべき姿を打ち出した会心の一話であった。

惜しくもノミネートを逃した残り10本

今年見た作品ということでまずエピソードを20本選んだが、今回もここから半分にするのは極めて悩ましい作業であった。
選外とはなってしまうものの、間違えなく素晴らしいエピソード群である残りの10本。それもまた一言コメントと共に残しておく。


えんどろ~! ろ〜る12 『エンドロールのその先は⋯⋯』
ロールの否定、それは「エンドロール(end roll)」であり、「ロールプレイ(role play)」でもある。RPGゲームのパロディ要素が色濃かった本作が、その設定を活かしてたどり着いたあるべき最終回。

超可動ガール 第12話 『君の宇宙を見せて』
現実からの愛情や祈りがフィクション存在にも響く、フィクションとの付き合い方においてこんなにも幸福な姿があるのだろうかと思う。「直接侵入できないために直前のエピソードから最終回に入りこむ」というシチュエーションもまた、作品世界の連続、すなわち作品世界の実在への祈りである。

BAKUMATSUクライシス 第10話 『消滅!巨城スサノオ!』
今年最ハイテンションなエピソード。スサノオ一二将残りの4人がビームを放ち、坂本龍馬がぶっ飛び、そして高杉晋作桂小五郎の物語が山場を迎える。「面白いもん見せてやる!」に恥じない1話。

ぼくたちは勉強ができない 第13話 『天才の目に天の光はすべて[X]である』
古橋文乃がいよいよ本領を発揮する。夜空を見上げながら過去を語るよりも美しいシチュエーションはこの世に存在しないのでは?

グランベルム 第7話『ミス・ルサンチマン
全てを捨て、全てを賭けてただエルネスタを曇らせようとし、そして燃え尽きるアンナ・フーゴの生き様があまりにも苛烈な1話。ドラマとシンクロさせる戦闘の魅せ方も極まっている。それにしても新月エルネスタ深海は強靭すぎる。

フリージ 第26話『我が家よ、永遠に』
UAEの2000年代大ヒットコメディアニメらしいのだが、今年日本上陸ということで選出。監督が祖母を想い作品を手掛けたことを聞くと、失われつつあるかつてのあり方への愛情を感じずにはいられない。過去の単なる営みである古代遺跡が、貴重なものとして登場するのがあまりにも美しい。

まちカドまぞく 第12話『 伝えたい想い!! まぞく新たなる一歩!!』
原作の情報量をなんとかできる限りアニメに載せるというパワープレイが見事に高速テンポのコメディ感をも生み出しており面白い。原作の細かいアレンジの中でも最終話でのナレーション演出は出色の出来だった。この2巻以後の原作も非常に面白いので是非2期を期待したい。

ぬるぺた 第5話『お姉ちゃん・イズ・デッド!?』
5分ながらも狂気とも言われる映像・展開のケレン味と繊細なドラマを両立させた作品。宇宙空間においてぺたの再起を描いたこの回は、最終回まで見たあらゆる要素を考察すると再度解釈をしていく必要があるとは思うのだが、しかしそれでも素晴らしい出来だろう。

私、能力は平均値でって言ったよね! 第12章『赤き誓いは不滅って言ったよね!』
第三の人生を歩む「マイル」としての決意や幸福が改めて描かれ、転生作品という設定をこれ以上なく活かした会心の最終話。タイトルの出し方が上手いアニメは名作。

神田川JET GIRLS #11 『凛、実家へ帰る』
凛とミサ、微妙なすれ違いをする二人の過去。今まで登場したキャラクターを絡めつつ、その憧れや劣等感にてエピソードとしての軸を作りつつ二人別々に解決させてゆくのが鮮やか。クライマックス手前に、極めて期待を煽る1話。



この他にも多くのアニメに楽しませてもらった。アニメ外でも『ガールズ ラジオ デイズ』などの虜になったりと、2019年も非常に創作物に触れることで得られる幸福があった。
これにて2010年代も終了となる。この10年はTVアニメを真剣に見始めた10年でもあり、最後の2年間だけだがこうして10話選出も出来てよかった。そのうち10年代の総括ということで10選も出来たらいいなと思っている。実は今回挙げた話数と並ぶぐらい好きな話数が存在する作品もあり、非常にどちらを挙げるか悩みつつ、密かにそのために取っておいたりもする。
新たな10年の幕開けとなる、今年2020年にも多くの素晴らしき作品と出会えることを祈りつつ、また新たなアニメ作品に触れていきたい。