日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

【ブルアカ】ブルーアーカイブが”ゲームの物語”としてすごいことを実現しているという話

最近『ブルーアーカイブというゲームを再開して、メインシナリオを読んでいました。
実はこれがびっくりするぐらいあんまりにも良かったのでびっくりして、なんだか居ても立っても居られず、この度おすすめ記事を書くことにしました。
まだブルーアーカイブのシナリオを読み切っていない方の、後押しに少しでもなればいいな、と思っています!
bluearchive.jp

<この記事はこんな人に向けています!>

  • 「今一応やってるけどシナリオ読むのが後回しになりがちで、生徒からのモモトーク通知たまりまくってるよ~」って思ってる(前の筆者みたいな)人
  • 「前やってたけどゲーム部分がだるくて続かないよ~アニメとかにならないかな」って思ってる(前の筆者みたいな)人
  • 「ブルーアーカイブってあれでしょ? エッチなバニーガールがいっぱい出てくるエッチなゲーム」って思ってる(前の筆者みたいな)人

正直わたしも先日インターネットを眺めていたらマリーちゃんのイラストが流れてきて、「う~んかわいいな!」と思ったので再開した、みたいな経緯のそれほど熱心でもないプレイヤーです。今回の記事は、そんなちょっとブルーアーカイブのことを舐めていたプレイヤーが、ブルーアーカイブの「仕掛け」にコテンパンにやられてしまったことを解説する記事だと思っていてください。
ちなみにマリーちゃんはまだ引けていません。


さて、それではこの記事では、ブルーアーカイブの何が凄いと思ったか、という話を(なるべく)ネタバレを避けながら話していきます!
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「透き通るような世界観」って何なの? ―イメージ戦略が生み出すギャップと緊張感

ブルーアーカイブは2022年の2月でリリース一周年を迎えます。こうした周年を間近に控えた時期ということもあってか、現時点で最新のストーリーである『エデン条約編』ブルーアーカイブというゲームが一体どんなゲームなのか、ということが改めて示される総括めいた内容を含んでいました。
ここで単純にシナリオが練られていて面白いだとか、演出がキマっててアツい、みたいなことは一旦置いておきます。そこに関してはわたしがあれこれ言うよりも実際に触れていただいたほうがどう考えても手っ取り早いし、そして触れていただければ一発でわかることだからです。


ここではこの作品がわたしたちプレイヤーを物語の世界に夢中にさせるために、どういう仕掛けがあったのか、ということについて軽く書いていきます。


先に最新のシナリオで総括めいた内容があったと書きましたが、ではブルーアーカイブという作品は一体どういう空気感のゲームなのでしょうか。
このことに関しては「透き通るような世界観」というワードが公式から提示されています。それではこの「透き通るような世界観」とは? 冷静に考えてみると、わかるようなわからないようなワードです。

ギャップで攻めるブルーアーカイブ

配信前に全貌がよくわからなかった頃のブルーアーカイブはわたしの中では「なんか今風(?)でおしゃれっぽいゲームが配信されるんやな」みたいな感じでした。
恐らくですが、そこそこ多くの方がこういうイメージでこの作品を待っていたんじゃないかなと思っています。そしてその予想は大方裏切られ、配信前のイメージと実際のゲーム内容とのギャップに直面することになります。

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このCMを見てもらうとわかりやすいのですが、要は表層に「透き通るような世界観」から連想されるオシャレなイメージを配置しつつ、実のところは「ようこそ、硝煙立ち込める『少女』たちの青春へ」とでも言わんばかりの、爆発と煙と混沌が渦巻く殺伐シーンが連発します。「いや全然聞いてた話と違うじゃん!」というプレイヤーが受けるギャップによる掴みが、初期の戦略だったのではないかと思わされます。
このCMが放送される頃にはブルアカがリリースされてそこそこ経っていたので、ギャップを隠すのではなくむしろプッシュするCMになっていますね。

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今かつてのPVを見返すと、流石にだいぶ受ける印象が異なります。なんだかんだで流石に銃火器の存在ぐらいは示されているのですが、「いやだって……ほら……なんか銃弾にカラフルなペイントとかされてるし……」という顔になります。あと便利屋も謎の敵幹部みたいな顔をここではしていてウケます。

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「透き通るような世界観」を代表するようなクール美少女のシロコさんが、実際は覆面を被って銀行襲撃を繰り返し計画・立案するやべーアナーキーな女、というのはブルアカ初期の語り草だった印象がありますね。

ギャグ時空めいた強度による、火と硝煙の中での”日常”

殺伐と言いましたが、基本的にブルーアーカイブの舞台となる学園都市キヴォトスの生徒たちは尋常じゃない耐久力を誇っています。銃弾を打ち込まれようと爆発に巻き込まれようと”ちょっと殴られた”とか”転んだ”とか恐らくせいぜいその程度のダメージです。


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最初は実際の銃火器とは設定が異なるものなのかな……? なんて思っていましたが無惨にも破壊されていく街の描写を眺めていくうちに、どうやら「マジ」の銃火器を使っていることが流石にわかってきます。


この銃火器を使っても生徒に死傷者が出るような被害は出ない”という設定は、ブルーアーカイブの根幹にも関わってくる重大な要素です。これがあるとないとでは、作品の雰囲気ががらりと変わってくるでしょう。
この設定は所謂「ギャグ時空」のように機能しています。実際に爆弾が爆発すれば人間なんてひとたまりもありませんが、ギャグ作品だと頭がアフロになったりトホホ~という感じで済んでしまうことがあります。いや今どき頭がアフロになるなんて演出はなかなかないかもしれませんが、ともかくこれは作品のリアリティラインをどこに引くか、という話なのです。”爆弾が炸裂しても別に人は死なない”というところまで現実の事象と作中の描写を遠ざけてしまえば、爆弾が炸裂することを日常描写の中に取り入れても問題ないのです。


ブルーアーカイブの世界でも、どうやら生徒以外の住民や、プレイヤーの分身である先生は銃火器で撃たれると普通に怪我をしてしまうようです。つまりこの作品においては、銃火器を日常的にギャグとして用いるために設定ラインで周到に理由付けをしている、ということが言えます。

園都市キヴォトス


数千の学園が連邦を形成し作られた超巨大学園都市。
キヴォトスの住人は銃火器をまるで携帯電話のように持ち歩くため、
この都市ではトラブルが絶えない……


たが、それもキヴォトスの日常の一つである。

最新ストーリー『エデン条約編』の異質さ

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ここで最新ストーリー『エデン条約編』の話を少しします。今までのストーリーでも様々な危機はありましたが、それでもこの『エデン条約編』がもっとも異質かつ危機的なエピソードだったと感じています。


銃火器によるトラブルと、ある程度は平和といえる日常。この2つが奇妙に両立しているのは、上の節で記したように、キヴォトスの生徒にとって銃火器による”死”が身近ではないからです。
しかし逆に言えば、このセーフティラインである設定が失われた瞬間、キヴォトスは真の無法地帯となってしまいます。


『エデン条約編』には”死”の可能性があります。生徒たちの頭上にうかぶ『ヘイロー』と呼ばれる天使の輪。それを破壊することでキヴォトスの生徒は死に至るとされています。このシチュエーション自体は早い段階から匂わせられてもいましたが、本格的にそれが抗争の先に当然起こりうるものとしてはっきりと提示されたのは、ここが初めてではないでしょうか(イベントストーリーやサブストーリーを全て読めていないため、そちらでとんでもないエピソードがあったらすみません。教えて下さい)


銃火器による抗争≒死」


この構図が成立した場合、ブルーアーカイブの世界は根本的にひっくり返ります。銃で撃たれてイテテテじゃ済まなくなり、キヴォトスの”日常”は”学園青春モノ”とはどうあがいても結びつかないものになるでしょう。
そこにいるのは銃火器を持った珍妙な女子生徒”ではなく、ただの”子ども兵士”ということになってしまいます。


『エデン条約編』を経て改めて考えてみると、この作品の言う「透き通るような世界観」というものがどういったものか少しわかってきます。
銃火器がぶっ放されようが爆発で街が破壊されようが、「学園の生徒としての青春」がきちんと存在していさえすれば、そこには「平和な青空」が広がっているということなのです。
透き通った青空は、真の戦争の灰と硝煙によって曇り空へと変貌してしまいます。ブルーアーカイブの「透き通るような世界観」というのは、ただギャップを生み出すためのジョークというだけではなく、実際に今までのドタバタな日常の中には、たしかに存在もしていたのです。
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各組織の様々な思惑が入り乱れ、政治劇も交えた『エデン条約編』はブルーアーカイブのメインストーリーの中でも屈指のシリアスさを誇りますが、単に話がシリアスで緊張感があるというだけにとどまらず、『ブルーアーカイブ』というゲームのあり方そのものが覆ってしまいかねない劇薬だったと言えるでしょう。
一周年を間近に投入されたこの大型シナリオは、まさにブルーアーカイブという作品そのものの今後を道を示す、極めて重要なエピソードでした。こうした”攻め”のエピソードを投入して、今まで追っていたプレイヤーたちに緊張を与える。一方で単なるイメージ戦略かと思っていた作品の一見事実と異なる「透き通るような世界観」のイメージが、改めてしっかりと厚みのあるものに感じられてきたことにわたしは驚きました。
この作品がアプリゲームという媒体を通じて、体験を絡めた物語を描こうと挑戦しているということが伝わってきます。


こういう”追い得”なエピソードが今後も投入されると思うと……追っておいたほうが面白そうだと思いませんか?

ユニットとプレイヤーの、”生徒”と”先生”の関係がもたらす効果とは? ―ゲームシステムとシナリオの相互作用

『ブルーアーカイブ』という作品が、巧妙に作品の空気感をコントロールし、そして時には揺さぶりをかけてプレイヤーを巧みに翻弄しているということをここまで書いてきました。


ここでもう一つ着目してみたいことがあります。それが、ブルーアーカイブにて、ユニットでありヒロインである少女たちは”生徒”、そしてプレイヤーが”先生”というポジションになっているということです。これは本作のテーマにおいても極めて重要な構造であり、そしてこの作品がゲームでしか描けない物語を描いているということにも繋がってくる話です。続いてはこのことに関して少し書いていきます。
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強烈なキャラクターでなくとも際立つ、”先生”の物語上の特異性

プレイヤーの分身たる先生ですが、正直言ってそこまでこの”先生”という人物に緻密に組み立てられたキャラクターとしての造形があるとは現状思っていません。むしろこの”先生”が何を考えているかは今ひとつわからないぐらいです。わかっているのはこの”先生”がお人好しで、学園や組織という垣根を超えて”生徒”の味方をする、”キヴォトスの全生徒にとっての先生”ということだけです。
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キヴォトス全体における独自の権限を保有する『シャーレ』という組織の異質さをもってすれば、よりトラブルの中心に立って能動的に解決してみせることも、”先生”には可能ではないでしょうか。事実、シナリオ上では先生がより大きな権限を保有しうることが示されています。しかしこの”先生”という人は、知り合いの生徒と親しげに離しつつ、各組織への異常とも言える広さの人脈パイプもほどほどに使いつつ、のらりくらりと表には立たずに立ち回っていきます。
”先生”というのは生徒を導く立場としての意味を持ちますが、一方でこの”先生”は基本的に生徒の自主性に成り行きを任せることが多いです。もっとも、他の生徒への致命的・甚大な被害が出なければ……ですが。


”先生”がこうしたある意味人畜無害な存在とはいえ、影響力がないわけでは決してありません。キヴォトスというのはとにかく複雑に利害や歴史が絡み合って、多くの対立が発生している場所です。そんな中で複数の組織の核となるような人物に、個人的な親密さを複数持っている人物というのは、明らかに異質な人物です。
メインシナリオが「1部:対策委員会編」→「2部:時計じかけの花のパヴァーヌ編」→「3部:エデン条約編」、と進むにつれ、どんどん内容が生徒同士の激しい抗争になっていきます。そしてこれに呼応するかのように、”先生”のこの独特のポジションもまた同時に自然に異質さを増していきます。そしてその異質さは、混迷を極める物語の中で、無視できない存在感を発揮していくのです。


キャラクターが濃いわけではなく、寧ろ薄いぐらいなのに、にもかかわらず”先生”の物語上での存在感が凄まじい。これに関しては”わたし”たちプレイヤーが、”先生”であるという意識を極力阻害しないようにしつつ、しかし重要な役割をもたせるという構造を、絶妙なバランスで成立させていることに成功しています。
恐らく、例えば映像化によって”先生”が外見を獲得し、より一個のキャラクターとして”わたし”たちが認識できるようになったなら、この感覚は少し異なってくるのではないでしょうか。

プレイヤーの代弁者としての”先生”

では、現実にゲームシナリオをプレイしている”わたし”とゲーム内の”先生”に同一性を感じられるかと言うと、正直そこまででもないようにわたしは思います。あくまで物語上に存在しているのは”シャーレの先生”です。”わたし”たちが直接できることは選択肢を選ぶぐらいですが、ここで選択肢は物語の進行に重要な意味を持っていません。”先生”はあくまでゲーム内の世界の一人物として行動し、そこに”わたし”が介入する余地はありません。


ですが、ここでの”先生”というのは”わたし”たちプレイヤーが「みんないい子だから幸せになって欲しいな~」なんて思う漠然とした気持ちに対しては、これ以上なく忠実に物語上で役割を遂行してくれています。あまりそこまで”先生”に人間味を感じないが故に、「生徒の幸福を実現しようとする概念」ではないかとすら感じます。
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ここに、単なるプレイヤーの”わたし”とゲーム世界の”先生”が一致する部分があります。そしてこの構造は、作中の舞台設定においても巧みに再現されています。
キヴォトスで生きる人々にとって、あらゆる”生徒”を普遍的に愛することは無理なことです。なぜならば人々が暮らしていくそこにはそれぞれの生活があり、それぞれの出身があり、それぞれの場所があり、それぞれの立場があるからです。
一方で”わたし”たちプレイヤーはそうしたしがらみから開放され、純粋に生徒の幸福を願うことができます。そしてこの構図はキヴォトスにおいてあらゆる組織を超越した絶対的な中立組織『シャーレ』の”先生”とちょうど重なるようになっているのです。


”わたし”たちは”先生”自身との同一性を感じられませんが、しかし一方でこの立場の絶妙な一致によって、”先生”は”わたし”たちプレイヤーの代弁者たり得ています。


つまり、異なる世界の”わたし”はゲーム世界においてどうしても異質なのですが、”先生”も同じぐらい異質なせいで何故か似たような立場になっているのです。そして直前の節で語ったように、作中での”先生”はその異質さにより、唯一無二の物語上の役割を獲得しています。
別に同一視しているわけでもないが、しかし自分の代弁者と感じられる存在が、物語を解決するための不可欠な重要な鍵となっている。シナリオを読んでいるときのこのなんとも言えない奇妙な感覚に、とても面白さと興奮を感じました。


こうした感覚が生まれるのも、ゲームがプレイヤーである”わたし”と”先生”をどう絡めていくか、ということを極めて緻密に計算している結果ではないでしょうか。
”先生”は表現上男性とも女性ともとれるような曖昧な描かれ方が徹底されていますが、これも男女問わずプレイヤーが”先生”と”自分”を重ねやすいための構造を、本作が作り出しています。


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指紋認証のタッチ演出。”先生”が使用しているシャーレの端末がタブレットというのも、プレイヤーとのシンクロ感を向上させるための小技でしょう。

”生徒”へのゲームならではの愛着

ここまでプレイヤーと”先生”との関係について書いてきましたが、ここでプレイヤーと生徒の間にもゲームならではの仕掛けが存在しています。
というのも当たり前の話なのですが、ゲームを攻略する上で生徒をユニットとして使っていると、それなりに愛着が湧く、という点です。


第2部『時計じかけの花のパヴァーヌ編』では主人公チームのゲーム開発部を邪魔する存在として、生徒会のユウカが度々登場しています。生徒会として当然の業務ではありながらも、このエピソードにおいてはかなり憎まれ役という性質がある彼女。一方でこのゲームにおいてはまっさきに仲間入りするキャラクターです。メモリアルロビーというシステムのお披露目にも採用されている彼女は、性能としても扱いやすいタンクユニットということで、初心者の時期に助けられたプレイヤーも多いでしょう。
多くのプレイヤーにとって、このエピソードで敵として登場するユウカは、最も信頼が置ける生徒の一人でもあるのです。


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ユウカが『時計じかけの花のパヴァーヌ編』で敵役に選ばれているのは、プレイヤーである”先生”と(正確に言えばここで”先生”が肩入れしているゲーム開発部と)構図的には対立しつつも、本質的には敵ではないことを示す効果がありました。これによってここで描かれている争いが、重大な抗争ではなく、あくまで生徒同士の、言ってしまえば「子供の喧嘩」であるという物語のスタンスが提示されています。


プレイアブルキャラであれば、仮にメインシナリオで出番がなくとも個別のシナリオを持っているため、プレイヤーが彼女たちを知る機会が生まれます。つまりこのゲームは、”プレイアブルである”というメタ情報がつけられているキャラクターに関しては、基本的に信用できるように(少なくとも現段階では)作られているのです。
逆に考えてみると、”先生”が信用できる生徒だからこそプレイアブルとして実装されている、とも考えられます。根本的にこうしたユニットの実装はゲームとしてのリリースの都合なども多分にあるでしょうが、システムそのものを物語に組み込んでいるため、物語の側からシステムを解釈することも可能なことに非常に面白さを感じます。これもまた、やはりゲームという媒体だからこそ感じられるフレーバーですね。
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これに続く『エデン条約編』が特に緊張感のあるシナリオとして受け取られるのは、上述のメタ情報を活用できないからという部分もあると考えています。物語のスケールが大きくなるにつれて、まだプレイアブルではない生徒キャラクターもシナリオには大勢登場しています。そのうえで、このエピソードは敵味方が入り乱れ、権謀渦巻く中で「果たして誰が味方で、誰が敵なのか」ということが常に問われるシナリオとなっています。
生徒同士の”喧嘩”という構図をあくまで一貫させつつも、何が起こるかわからない不穏さが『エデン条約編』の持ち味だったと言えます。そしてそれは先の章で書いた『エデン条約編』の”死”の身近さに関する話とも繋がってきます。プレイアブルではないため、脱落する生徒が登場する可能性もある――ということが、このシナリオの先の読めなさを加速させていました。
『エデン条約編』は、現状のゲームの状況を完全に活用したシナリオでした。逆に言えば、現状出揃っているメタ情報のみでこのシナリオを駆け抜けることが、最もこのエピソードに優れた体験をもたらすとも考えられます。


すなわち、ブルーアーカイブというゲームがシステムそのものをシナリオに組み込もうとしている以上、常に最新の状態がもっともそのシナリオを十全に楽しめる状態なのです。


これが、わたしがこのゲームを今すぐ追ったほうがいい、それが一番エキサイティングだと考えている理由です。
今回はキャラクターに関しての見解でしたが、ブルーアーカイブという作品にそういう性質があるならば、他の部分でもシステムがシナリオに影響してくるということは十二分に考えられますし、逆にそこを楽しみにもしています。
もっとも、わたしも最新エピソード以外はほぼ後追いでしたし、それでも十分面白いであろうことは保証しますが!
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さいごに ブルーアーカイブの持つテーマ ―「大人」と「子供」の関係

ブルーアーカイブに登場する”先生”と”生徒”は、しばし作中で「大人」と「子供」と言い換えられています。
「子供」とは一体なんでしょうか? 年齢が若いこと、未熟であること、責任を果たせないこと、色々な言い方ができると思います。ブルーアーカイブに登場する”生徒”たちは、各々が学園の重要なポジションに立って擬似的な社会を形成している以上、一見すると「子供」の定義から離れてしまうのでは、とも感じます。


ではその上で本作が”生徒”を「子供」と扱っているのはなぜでしょうか。わたしはこれを「無垢さ」と言い換えられるのではないかと考えています。
善にも悪にも所属せず、しかしだからこそ善にも悪にもなりうる可能性のある”無垢”さ。本来何者にも染まらない、「”澄み切った”無垢さ」が「子供」たちにはあります。不安定であるからこそ、外部からの力によって簡単にその性質を変えてしまうという危うさがあります。

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プロローグで登場するシロコに似た謎の少女。シロコの”白”さは何色にも染まりかねないという危険性を、先輩のホシノも作中で警告していました。


本作品において、そう思うこと、認識すること、契約すること、信じること、というのは極めて重大な意味を持ちます。これらはわたしたち人間が勝手に決めて枠にはめているだけの行為ですが、しかし現実の社会においても幻想でありながら、しかし社会そのものを形成するための重大な要素でもあります。人間は生まれたときから大人であるわけではなく、大人と子供の境界を人間自身が定めて、”そういうものだ”としているから大人になります。
『エデン条約編』では「子供」が”生徒”か”兵士”かという問いがありました。この「子供」の姿を決めているのも、社会を作っている「大人」たちです。”先生”が「子供」を”生徒”として扱う立場であるとすれば、彼女たちを”兵士”にしたがっているのは一体どこの誰なのでしょうか。未だ全貌が見えぬ狡猾な敵の「大人」が、今後も”先生”と対立していく存在なのだと思います。


プレイヤーの代弁者たる”先生”は、ユニットとして銃火器を少女たちに扱わせます。こうした構図を提示しつつもなお、”先生”が彼女たちを”生徒”として扱おうとする意味は、ブルーアーカイブという作品がそうした姿勢であることは、極めて重要なことであるとわたしは感じています。
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いちプレイヤーとしての意見ですが、ブルーアーカイブのシナリオをゼロから読もうとすると結構大変です。このゲームは案外スマホのスペックを要求したりしますし、動作が軽快とは言えません。その上でそれなりに多くの手間のかかる任務をこなさないと、メインストーリーの最新にはたどり着けません。
ですが、その手間を乗り越えるだけの価値がある。シナリオを読んでわたしはそう感じたため、ぜひ皆さんにも同じ興奮を味わってもらいたいと思っています。


『エデン条約編』を読み終わってから本記事を書くにあたって、改めて『対策委員会編』を読み返しましたが、ここまで一貫したテーマをこの頃からちゃんとやっていたのか、と正直驚きました。わたしがブルーアーカイブというゲームを舐めていたと言われても仕方がないな、と思います。
未だに世界の謎など全貌がまだまだ見えない本作ですが、これからのゲームで一体どのような物語を見せてくれるのか、わたしもとても楽しみにしています。

おまけ:エデン条約編の好きなシーン(軽いネタバレあり)

ネタバレだけどとっておきのシーンを紹介しちゃおうかな……



+クリックで開きます




















……




















……



















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うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
完全に弱ってるヒナたむ、萌え!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




ヒナたむ……いや、”空崎ヒナ”さん。





空崎ヒナさんの完全に弱った部屋着姿を見られるのは、『エデン条約編』だけ!




ヒナさんの笑顔を、守護(まも)りたい……。


あと大変な時にボロボロになりながらもめっちゃ助けてくれたヒナさんも超イケメンで惚れそうだった……でもとりあえずいっぱい寝て休んでな……



「(プルルル…ガチャ)あっすみません、夏場シャーレの先生の仕事を休職していた者なんですが……水着ヒナの復刻お願いできないですかね~」


「……(”大人のカード”を用意している俺)」


おわり


追記:「重火器」の使い方が違うのでは? というコメントを見かけ、記事で引用した公式ツイートを確認したところ、そちらで使われていた「銃火器」というワードを使おうとした時に特に気にせず(すみません)「重火器」を使ってしまっていたことがわかり、該当箇所を公式に準拠した「銃火器」に修正しました。