日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

話数単位で選ぶ、2021年TVアニメ10選

今年もこの記事を書いた。21年に視聴した作品を、以下のルールで選出。
特にお気に入りの10選エピソードを紹介する。

  • 2021年1月1日~12月31日までに放送した作品。
  • 20本選出した上でランダムに視聴をし、改めて10本を選出。
  • 順番は”だいたい”放送順で、順位はつけない。

装甲娘戦機 第7話『スズノの秘密』

脚本:むとうやすゆき 絵コンテ:沖田宮奈 演出:松村樹里亜 総作画監督堀井久美、平山円 作画監督:斎藤和也、さとう沙名栄、永田有香、はっとりますみ、若林漢二、千葉孝幸

アニメやホビーのメディアミックスコンテンツ『ダンボール戦機』のスピンオフ作品。ちなみに『装甲娘』のシリーズとしても当時動いていたゲームプロジェクトとは異なる独自路線だったりと、少々出自が複雑。恥ずかしながらわたしがダンボール戦機シリーズに触れたのは本作が初だったのだが、大変楽しめた作品だった。


この作品、日常と非日常の描き方のバランスが絶妙で、「戦時下において兵士として扱われる少女」と「できなかった修学旅行のやりなおし」という2つの軸が奇妙に絡まり合って構成されている。前者として見れば緩すぎるし、後者として見れば危険すぎるわけで、この奇妙で独特な雰囲気に最初は首を傾げていた。しかしアニメが他ならぬこの”ギリギリさ”こそをまさに描こうとしていることがはっきりとわかってからは、そのバランスに舌を巻きっぱなしであった。


このチームは「兵士の集団」なのか、それとも「仲良しグループ」なのか。この7話はチーム小隊の一員であるスズノが、まさにこの狭間で揺れ動くエピソードだ。
今後の作戦の事を話しつつ、訪れた香川のうどんをひたすら全員で食べまくっている……というなんともこのアニメらしい気の抜けたシーンから始まる。食事というのはこのエピソードで極めて重要で、スズノが皆と一緒に食事をする楽しさを「飲み込む」かどうか、という葛藤がここに存在している。小隊の皆が「仲良くなっていく」という大きな流れに逆らうスズノ。うどんの麺というのもこの「長いもの」だろうか。敵性生物の『ミメシス』という戦いの象徴がうどんを嫌っているという冗談も、そう考えると実は素っ頓狂なだけの話ではない。うどんめいたロープに吊るされたロープウエーのど真ん中で立ち止まってしまうスズノの心情は、まさに戻るか進むか迷っている状態だ。
仲良くなることで傷つくことを恐れ、皆と距離を取るスズノだったが、リコに根負けしていよいよ焼きそば(長い麺)を啜る。張り詰めようとしてもどうしたってお腹は空く。なぜならば彼女たちは道具ではなく、一人の生きている少女でもあるのだから。「もう、慣れちゃいましたから」とリコの今までの呼び方を受け入れるスズノは、今まで積み重ねた「長いものに巻かれる」ことを受け入れるわけだ。
クライマックスにみんなと一緒にお団子を咥えるスズノがいるのが嬉しい。食べすぎてユニットがまともに入らない……なんてとんでもないオチのギャグシーンも、きっちり「兵士の否定」というテーマをやりきっている。


エピソードの脇を固めるキャラクターの良さも光る。やたらと親身なAIのネイトだったり、ちゃんとスズノの心情を理解している隊長のキョウカなど、小隊の暖かい空気もまた良い。
一見トンチキだが、作りとしては大真面目。張り詰めた極限状況のなかで少女が少女として生きることを描いた、極めて本作らしい力強いエピソードを選出した。


スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました 第6話『リヴァイアサンが来た』

脚本:髙橋龍也 絵コンテ:木村延景、鈴木清崇 演出:高田恭輔 総作画監督:後藤圭佑 作画監督:原科大樹

同名ライトノベルのアニメ化。過労によって死んでしまい、異世界に転生したアズサ。スライムを倒し続けるうちに気がつけば”高原の魔女”と讃えられる大魔女になっていた彼女のもとには、次々に個性的な面々が訪れる。スローライフを求めつつも振り回されてしまうアズサとその周辺の人々をドタバタを描いた、コメディ作品だ。


前世で過労死しているだけあってアズサの姿勢は徹底してアンチ労働的だ。アズサ自身は次々とトラブルに追われているが、作品としては常にのんびりとした空気が漂っている。毎回新しい美少女キャラクターが増えて(本当に終盤に至ってもドンドン増えて)いって、にぎやかになっていく様子がとても楽しい。300クールぐらい放送してほしいと思っていたので、2期決定の報には大変喜んだ。


6話はマッドハウスグロス回ということもあってか、特にキャラクターの生き生きとした動きが目を引くエピソードだ。デフォルメされて可愛らしくふにゃふにゃになったり、様々なコミカルな表情を見せたり……という一つ一つの動作が実に嬉しい。個人的にこういう崩しの入り乱れた演出こそが、アニメを見る上での大きな喜びだよなぁ……としみじみ感じてしまう。お話としてはまったりとしているのに、アニメーションが楽しすぎて目を離せない。シナリオとしても「幽霊のロザリーがどうドレスに着替えるか奔走する」など「みんな一緒」が徹底されていて、非情に心温まる。
アクションで印象的なのはベッドにファルファとシャルシャが飛び込むワンシーン。日常のふとした瞬間を躍動感あふれる細やかさで描くことで、この作品の説得力そのものが増していると言っても過言ではないと思える。
ロザリーとハルカラのベランダのムーディーな会話シーンも良い。ひょいっと画面のフレーム上部に座ってしまうロザリーの現実離れした軽やかさたるや 「これぞアニメだからできる嘘!」という感じで素晴らしい。


このアニメの話に関しては、だいたい「アニメが良い」に終始してしまうかもしれない。アニメが良いので選出、シンプルだが揺るぎない理由ではないだろうか。


NOMAD メガロボクス2 ROUND12『“喝采が鳴りやんでも、声なき者の声は消せやしない”』

 脚本:小嶋健作 絵コンテ:佐野隆史 演出:村上 勉 作画監督:はっとりますみ、金凱、4TUNE

漫画作品『あしたのジョー』を原案としたアニメ『メガロボクス』の続編。前作で栄光を掴んだジョーだったが、本作ではすっかり落ちぶれてしまってからの苦い再スタートとなってしまう。


ゼロから上り詰めていく前作からすると、今作の構図は実に真逆だ。転落したジョーは鎮痛剤による中毒に溺れ、かつての仲間たちとも袂を分かち、苦々しい展開が続いていく。
前作が「手に入れる」話であるとすれば、本作は「取り戻す」話である。同じどん底からでも、ゼロからではなく、マイナスからのスタートだ。しかしだからこそ、その這い上がるための歩みは力強くもある。


今エピソードで中心となるマックは、本作においてジョーと並び立つライバル的なポジションのボクサー。奇跡のように相手を打ち負かす逆転劇、通称『マック・タイム』が自らにつけられた装置によるものだと知り、その栄光が砂上の楼閣であったことに彼は深く絶望する。かつてのギアレス・ジョーに憧れたマックの軌跡は前作のジョー伝説の再来のようでもあるが、ジョー本人も落ちぶれている今、マックのポスターに華々しく書かれた「HERO」の文字も同じように滑稽でしかない。
彼の全ては幻だったのだろうか? いやそうではない。かつて身を挺して子供を助けた警察官マックの必死さから出た行動は、確かに周囲にとっては間違えなく英雄的であった。マックの軌跡を悲しげなハチドリの歌とともに流す演出が心に刺さる。例え完全なヒーローでなくとも、彼の必死に過ごした半生が幻であると、一体誰が言えるのだろうか。ハチドリの歌に登場する旅人は「ただ、家までの帰り道を教えてもらいたいのです」と話し、マックもまた自らの家に帰る。一方でジョーもまたかつての古巣にて温かな時間を過ごしていた。
結局の所、ここにいるのは英雄たちではなく、ただの人間たちなのだ。彼ら一人ひとりが、けして勝つためではなく、ただ生きるために必死に戦っている姿に、とにかく心を揺さぶられてしまう。マックとジョー、作品の核となる二人の生き様を象徴的に描いたエピソードだ。


夢が破れ、”物語”が終わった後の物語を描いた本作。前作の栄光と真っ向勝負をするような、ある意味では蛇足めいたスタイルの作品である。しかしここには、紛れもなく続編でしか描くことのできない地平が、”人間たち”の物語が存在している。物語に対してのあまりの真摯さに、本作の一つの終着点であるこのエピソードを選出した。


バクテン!! 第12話『明日も!』

脚本:根元歳三 絵コンテ:黒柳トシマサ 演出:仁科くにやす、黒柳トシマサ 総作画監督:中西彩 作画監督:鶴田眸、島沢ノリコ、杉本里奈、伊藤憲子 

東北地方を舞台に、新体操に励む少年たちの姿を描くオリジナルアニメ。フジテレビがパートナー各社と共同で取り組んでいる、東日本大震災の被災地を舞台とした「ずっとおうえん。プロジェクト 2011+10…」の一環である作品だ。


通称「アオ高」の新体操部で、空の鮮やかな青のイメージがそのままアニメになったような作品。少年たちのスポーツにかける青春がなんとも爽やかで、そしてアツくなれる作品でもある。
まず何より、モーションキャプチャーを使用した新体操のアクションが目を引く。静と動のダイナミックな表現で迫力に溢れた新体操シーンは、それだけでも一見の価値があり、わたしも1話を見た時に度肝を抜かれたことをよく覚えている。


真っ直ぐなスポーツへの取り組み方に、楽しげな部員たちの掛け合い。カラリと晴れたような爽やかさの本作ではあるが、決して明るいだけの話ではない。上述の通り作品の背景には東北大震災があり、作中でも直接は語られないが、おそらく津波によって家族を失ったキャラクターがいるであろうことを匂わせている。この作品は躍動的な”空”と相反するものとして、這いつくばるような地上の”水”が配置されている。空と水が同じく青系のイメージを持つというだけではなく、本作の背景に水害があるのも無関係ではないのだろう。
本作は”空”へと飛ぶために、その傷に向き合わなければならない。終盤、大会を控えて主人公の翔太郎が手首を怪我してしまい、彼が大会に出られるかどうかの選択が大きなドラマとなっている。当人や同じチームメイトにとっても一大事だが、ここで重大な選択を迫られるのが指導者の志田監督だ。かつて怪我によって選手生命を絶たれた監督にとって、翔太郎を試合に出すことは極めて悩ましい決断となる。
夕日の中、部員たちに監督が話をするシーンが良い。未来は子どもたちの選択に委ねられており、大人は誤った道を正すだけ。青空の先の時間の夕焼け空は大人たちの空であり、終わった後の空である。そんな監督が翔太郎たちの演技の話をする時には、監督の夕焼けの世界が再び青に染まる。もう飛べないはずの監督は、翔太郎たちの姿に希望を託すことで、もう一度飛ぶことができたのである。空のモチーフを扱ってきた、このアニメらしい未来への希望の美しい示し方がここにある。その後には綺羅びやかな星空を見せてみるのもにくい演出だ。


翔太郎の怪我は大事には至らなかったが、傷を扱うこの作品では結果オーライでは済まされない重みがしっかりとある。彼が再び飛ぶ未来が示されていることは、このアニメなりのフィクションとしての祈りがそこにあるのではないかな、と感じた。アニメーションに込められたその美しさに感動し、本エピソードを選出している。


セブンナイツレボリューション -英雄の継承者- 最終話『終結-ネモ-』

脚本:小太刀右京 絵コンテ:関絵理奈、松浦有紗 演出:室谷靖 総作画監督:松浦有紗 作画監督:小川みずえ、石﨑裕子、江上夏樹、出野喜則、小澤和則、門原菜子、柑原豆真、西川雅史

アプリゲーム『セブンナイツ』シリーズ発の作品。学園を舞台に、英雄の力を借り戦う継承者の少年少女の物語をアニメオリジナルストーリーで描く。


目を引くのはアクションの巧さ。主人公であるネモはワイヤーフックを武器に戦うが、機動性に優れ遠近両方に対応できるこの武器を上手く魅せることに成功している。ギミックの面白さと画面のアイデア力でアニメのリソースを節約しつつ、終盤で思いっきり開放してきたリソース管理の巧さも光っている。こうした制作に関する部分をアニメの評価に入れてしまうのは少々邪道かもしれないが、しかしTVアニメにおいて大切なことの一つであることには間違えないだろう。


さて、本エピソードは最終回ということでいよいよ最終決戦を迎える。終盤、各々の思惑や対立があり瓦解しかけたセブンナイツの面々だが、いよいよここでは全員の力を一致団結して巨悪へと立ち向かう熱い展開となっている。黒幕であるソフィーティアの怪物に変貌した姿が、実に異形としか形容できないような、極めて禍々しいデザインで良い。「すべての罪を断罪する」と世界を滅ぼそうとするソフィーティアだが、その狂った正義の姿はある意味では救いの聖母めいてもいる。肉が膨れ触手が蠢くその姿はもはや人の面影を残さないが、それでいて元の女性的なフォルムを残しつつもあるのもこうした設定と噛み合っていて上手い。
単独で強大なソフィーティアに対し、ネモたちは集団だ。ネモのワイヤーフックも「結ぶ糸」だろうか。ソフィーティアが断罪であるならばネモたちの姿勢は受容。ここに至るまで、セブンナイツのメンバーですら誰もが多かれ少なかれ罪を重ねてきている。すべてを精算するための清らかな死に対し、ネモたちは汚れた生を守ろうとする。正体を明かすネモは自らを怪物の姿に変貌させなお戦うが、人と異形の間の彼の姿は、ソフィーティアのおぞましさとはまた異なり、悲壮感溢れる姿で涙を誘う。
怪物である彼を助けたただの少年ネモが、無名の英雄だったというのも感動的。英雄というのは力があることではなく、他者を守る気高い精神こそに宿る。怪物の姿になろうともなおネモは、その英雄の意志を見事に継承した者、すなわち「英雄の継承者」なのだ。
戦いが終わった世界で、人々は手を取り合う。相手を守り、相手に守られる、幸福な相互関係によって平和な世界というものが実現するのだろう。


シナリオの盛り上がり、アクションの素晴らしさ、演出の巧さ、全てが高水準な1話。王道の物語を純粋な力をもってぶつけてくれた本作に敬意を評し、この大団円を迎えた最終回を選出。


Sonny Boy 第11話『少年と海』

脚本:夏目真悟 絵コンテ・作画監督:久貝典史 演出:大野仁愛

突如として学校ごと謎の空間へと漂流してしまった少年少女のドラマを描くオリジナルアニメーション。エンディングテーマに銀杏BOYZを起用し、挿入歌にも様々なミュージシャンが参加をしている。


夏目真悟氏が原作・監督・脚本と務めている、21年のテレビアニメ全体で見ても異彩を放つ作品だ。各エピソードはそれぞれつながりを持ちながらも、毎話全く雰囲気の異なるシナリオや美術が打ち出され、視聴者を夢見心地にさせる。イラスト的でビビッドな塗りは現実離れした鮮やかさな画面を生んでいるが、同時に泥臭くリアリティを感じさせるアニメーションの芝居も相まって、常にじとりとした湿っぽい青春の香りが漂っている。


大勢いた同級生たちも気がつけばそれぞれの道を進み、最終回直前の11話では長良を導き続けた希も消え、長良と瑞穂二人が残るのみとなってしまった。そんな中、二人が再会したのがかつて単独で旅立ったラジダニ。このエピソードではこの三名が会話を繰り広げながら、”死”について語っている。今を見ずにずっと止まった思い出の風景や恋人を永遠に描き続けた人物。自らの好奇心をすべて失うことで死を発明してみせた発明家。ここでの”死”とは肉体的なものに限らず、自らの同一性が損なわれることでもある。
変化というものは時間の流れとともに否応なしに訪れるし、そしてそれは少年少女にとって、子供から大人になる過程に必ず存在するものだ。大人になるということは死ぬことなのだろうか? この作品には子供のまま取り残されてしまった者たちが何人も登場する。二人が残った世界は澄んだ空と静かな海が残る、穏やかな楽園めいた世界だ。しかしそんな中、長良と瑞穂は希を弔って、希の残したコンパスを手に、進んでいくことを選んだ。青春の青を抜けて、何も見えない漆黒の宇宙へと、二人を載せたロケットは飛んでいく。


アニメーションの表現を駆使して、青春の情動をパワフルなタッチで描く。21年のアニメに関して考えていたら、この作品を選ばないのは嘘だろうと思わざるを得なかった。子供にも大人にもなりきれなかった者たちのための、渾身のひとつのエピソード。


BLUE REFLECTION RAY / 澪 第24話『ブルー・リフレクション』

脚本:和場 明子  絵コンテ:吉田りさこ・吉田 徹  演出:田中 瑛 総作画監督:村上雄、坂本哲也、音地正行 作画監督:中熊太一、前原薫、佐々木綾、林信秀、河野直人

ゲーム『BLUE REFLECTION 幻に舞う少女の剣』を原点とした、ゲームやアニメなどメディアミックスで新たに展開する『BLUE REFLECTION』三部作の第一弾。想いの力でリフレクターという戦士に変身する少女たちの物語を描く。


謎の怪物と戦うのが主となる、前作ゲームやアニメ後に発売されたソフト『BLUE REFLECTION TIE / 帝』とは異なり、敵味方に別れたリフレクターの人間同士の抗争がメインとなる本作。家庭や社会に虐げられた少女たちの苦しさを消し去らんとするルージュリフレクターと、その”想い”を守る主人公チームが互いの感情をぶつけ合っている。親の失踪、家庭内暴力、カルト宗教……様々な問題を提示しながら、社会・人間のあるべき姿への問いが、ここには存在している。
個人的にはUKのロックバンド、ザ・スミスやそのボーカルモリッシーの楽曲をオマージュした各タイトルも興味を惹かれるが、そこに関しては本ブログの別記事にて個別に記している。


最終回のこのエピソードでは、主人公バディの陽桜莉と瑠夏、ルージュリフレクターの中心人物・紫乃の両陣営がいよいよ対峙する。人々の”想い”を消し去ることを臨む紫乃は、同じように自らの半身であるもうひとりの”紫乃”を排除しようとする。敵陣営の首魁たる紫乃であるが、自らのかつての記憶に苦しみ、同じ姿の”紫乃”を消し去ろうと躍起になる姿は、自分自身を否定するしかなく、泣いている少女のようにか弱い。陽桜莉や瑠夏たちリフレクターが戦う理由は「想いを守る」ことだ。ここでの紫乃打ち倒すべき相手ではなく、なおも救う相手として、リフレクターたちは彼女に向かい合っていく。
紫乃と激突した陽桜莉と瑠夏は、紫乃の精神世界めいた過去の風景の中に立っていた。路地裏を駆ける紫乃の足元に咲いている花。少女たちの想いであるフラグメントはこの作品において花をかたどっており、この路傍の花は社会や家庭に虐げられた少女の、そしてその中の一人である紫乃の姿に他ならない。紫乃の手を取る陽桜莉。手というのは人体で花の形状に近い部位かもしれない。
「わたしはただ、わたしでいたい」当たり前の人間としての幸福を奪われ、もうひとりの”紫乃”を自ら殺そうとした、紫乃の悲痛な呟き。ひと目につかず踏みつけられた花に目を向けること、そこに手を差し伸べること。その簡単なはずのことの困難さを痛切に描いた全24話だったように思う。


「誰かと一緒に楽しいねって心から笑って、泣いて。誰にも想いを否定されず、自分が自分を好きだって、そう思える。そういう世界に、私はいきたい」「いこう!」少女たちの走り出した先にあるのは、花が咲き誇る世界。現実の苦しさを徹底的に描いたアニメが最後に到達する幸福な世界は、私たちの世界に近いようでいて、未だたどり着けない理想郷。
「この世界だって、あなたの、わたしたちの想いがあれば変えられる」個人的な21年ベストアニメーションの最終話を選出。


月とライカと吸血姫 第7話『リコリスの料理ショー』

脚本:牧野圭祐 絵コンテ:須永司 演出:新留俊哉 総作画監督:加藤裕美、反町司、内田利明、渕脇泰賀 作画監督:Kwon Oh sik、Lim Kuen soo、Chae Gwang Han、Jeong Yeon soon

同名ノベルのアニメ化作品。宇宙開発に取り組んだ冷戦下のソ連のイメージした架空の共和国を舞台に、吸血鬼イリナと人間の青年レフが宇宙に挑む姿を描く。


吸血鬼のイリナは多くの人々から差別されており、いつ道具として使い捨てられるかもわからない、シビアな世界を生き抜いていく。プロパガンダや情報統制がまかり通った国家内において「嘘と真実」が常に付きまとう作品だ。かつての冷戦時代を意識したような、くすんだ色味の画面やレトロなBGMが良い雰囲気を生み出している。
シリアスな舞台設定には一見そぐわないような、アニメーションらしいユーモラスなデフォルメ演出も多用されている。これもまたアニメという媒体における「現実離れした"嘘"」だろうか。作り物であることを意識させつつも、ここで描かれているのは人間同士の繋がりや人の夢といった普遍的なテーマであり、これは同時に「現実と地続きの”真実”」でもある。


第7話はいよいよイリナが宇宙飛行に挑戦する山場のエピソード。宇宙と地上との通信において、共和国は敵国である連合王国に秘密裏に実験を行うべく、暗号での伝達をイリナに命ずる。料理ショーに見立てて、「問題がなければ共和国のボルシチのレシピを披露、そうでなければ連合王国のチーズバーガーのレシピを披露……」というものだ。つまり、サブタイトルの「リコリス(イリナのコードネーム)の料理ショー」というものがそのまま宇宙飛行挑戦の話であると示しているわけだが、これもまたそれを知らない視聴者からは暗号めいているのが面白い。宇宙空間をふわふわと浮かぶ宇宙船の映像のバックにはなんとも軽快な料理番組のBGMが流れており、初の有人飛行をまさに成し遂げている偉業の真っ只中で、まるでそぐわないような落差があるのが印象的だ。こうした部分でも常に”嘘”が”真実”の周りを周到にコーティングしているということを、作品として一貫して描いている。
イリナは宇宙船の中で「ボルシチのレシピ」を披露する。しかし今回で最も核となる”真実”は、共和国が宇宙への第一歩を歩みだすことに成功したことではない。イリナがその後続けて紹介した、グミのナストイカとレモンの炭酸水。共和国の軍人もイリナの行為に首を傾げるが、イリナと常に共にあったレフにだけはそれがレフに向けた秘密の喜びのメッセージであることに気がつく。ロケットがパーツを切り離していくように、大国の思惑すらも切り離したそこには、ただ若者二人が宇宙を前にした感動のみが存在しているのだ。
「グミのナストイカ、届いたぞ」地球へと戻ってきたイリナと迎えるレフは、二人きりのパラシュートの残骸の中で言葉を交わす。矮小な人間二人のささやかな交流。この瞬間、イリナが成し遂げた偉業こそが、この作品においては最も重大で尊い”真実”なのである。


”嘘”であるアニメーションという媒体ならではの戦い方を見事に成し遂げた本作から、最も印象的で美しかったエピソードを選出した。


やくならマグカップも 二番窯 第9話『澄んだ秋空の向こうに』

脚本:荒川稔久 絵コンテ:手びねり組、神谷純、前田薫平、市村仁弥 演出:前田薫平 作画監督:吉岡彩乃、中野友貴

美濃焼の産地岐阜県多治見市を舞台に、陶芸に挑む少女たちの姿を描く。21年春に1期『やくならマグカップも』が放送された後、2期である『やくならマグカップも 二番窯』が秋に放送された。
本作は前半15分がアニメーションパートで、後半15分は主演の声優陣が多治見の街を観光する実写パートを放送するというやや変則的な構成になっている。今回は前半のアニメの15分に関する内容となる。


この作品の主人公である姫乃は陶芸初心者の少女。亡くなった伝説の陶芸家である母を意識しつつ、1期においてコンクールへの出品に挑戦した彼女の、さらなる陶芸への挑戦を2期では描いている。
多治見の美しい四季の風景と共に、登場人物の感情の機微を繊細に描いていくアニメーションが心地よい。


この7話で姫乃は、父・刻四郎の喫茶店に飾る棚の空きスペースに飾る作品について思い悩んでいる。店名「ときしろう」と父の名前を冠したその空間は、刻四郎の心境に重なるものだろうか。妻を亡くした刻四郎の心の穴をどう埋めるか、という問いでもあるのかもしれない。そしてそんな刻四郎の妻であり姫乃の母である姫菜は、あまりにも偉大な陶芸家なのであった。自室の棚枠にハマっているかのように見える姫乃の横顔は、まさにその枠のなかの空白に自らを閉じ込めてしまっている状態だろうか。
親子のちょっと微妙な距離感も含めて悩む姫乃と刻四郎の親子だが、2期においては更にもう一組、ぎくしゃくした関係が登場する。それが陶芸部の先輩、十子とその祖父・十兵衛。姫乃に比べると実績も実力もある十子だったが、陶芸の大家である十兵衛との関係は芳しくなかった。この6~7話にかけては十子と十兵衛の和解エピソードでもある。「青い夏もええが、真っ赤な秋もええなぁ」遠回りに、祖父とは違う赤の作品を作った孫への称賛。ここではじめて十兵衛も、夏から秋にかけての季節の移ろいとともに変化を受け入れることができたのだろうか。青という枠を乗り越えた十子が祖父にずっと認められていたことをシーンは感動的だ。十子からこの話を聞いた姫乃は、そこにどこか自分と同じものを感じ、思わず涙を流し、その迷いがどこか晴れたような心地になるのだった。
十子に電話をかける姫乃の親友・直子の長回しのカットや、十子や姫乃の成長を喜ぶする三華の描き方も抜群に良い。陶芸という人々の生活に根付き、ともに発展してきた文化の美しさが、巡っていく季節のなかで人々の暖かさと緩やかに接続しているように感じる。


陶芸という伝統芸能を題材にしつつ、アニメーションという新たなジャンルで町おこしに挑戦している本作。見事アニメーションとしての力でその魅力を発信する姿からは、この作品そのものが「枠をうちやぶる」ことに成功していると言える。天晴なアニメ作品の大好きなエピソードを、今回は選出。


ヴィジュアルプリズン #11『SKY』

脚本:菅原雪絵 絵コンテ・演出:北村翔太郎 総作画監督:川﨑玲奈、矢向宏志 作画監督:前澤弘美、斉藤準一、井元一彰、金子みき、福世真奈美

ヴィジュアルプリズンという戦いの場で、自らの歌の力を競う吸血鬼たちの戦いを描く、オリジナルアニメーション。原作クレジットにも名前のある上松範康氏が挿入歌の作詞作曲も努め、彼の世界観が表現された作品となっている。


とにかく演出がパワフルなアニメ作品。1話丸々をPVめいた作りで歌唱シーンをぶつけて来たのにも驚いたが、その後も何度も印象的なシーンが登場している。歌だけではなくバトルアクションに関しても、歌唱シーンに負けないどころか、むしろ超えているのではないかというぐらい迫力がある。
その一方で各キャラクターの描き方は丁寧で、登場する各バンドグループが競ったり交流したり、というところから内外の関係がどんどん深まっていくのも良い。


今回の11話は主人公バンドO★Zの中核メンバーであり、眠りについてしまったギルが、そして彼を失って立ち止まってしまったアンジュたちO★Zが復活を遂げるまでのエピソード。かつての事故のシーンで道に落ちる血の赤は地であり過去であり永遠だ。一方で「SKY」が示す、O★Zの抱いた青は空であり未来であり変化だろうか。ロビンが青信号が赤信号に変わるところを駆け抜ける演出が、信号機の珍しい使い方で面白い。赤が青になって進む演出はよく見るが、ここでロビンは赤を突き放し、そしてアンジュと共に歌うことを決める。ギル復活後、赤い世界が青に染まるのも鮮やかで、歌唱シーンの映像の強さも相まって実に決まったシーンに仕上がっている。
O★Zの面々が立ち止まってしまった時には、赤のLOS†EDENが寄り添ってくれるのも嬉しい。サガが失ったことで始まったLOS†EDENだが、彼らの実力もまた本物であるし、そして否定されるべき存在でもない。LOS†EDENの各々が食事の話をしつつ、過去に拘っていたサガが最後の最後で「腹減ったなぁ」というシーンの組み立てが良い。永遠の吸血鬼であるサガたちもまた、立ち止まっているのではなく、今を”生きて”いるのだ。


一見破天荒にも見えつつ、パワフルな映像と丁寧なシナリオにと、力と技を兼ね備えた作品。音楽の力を信じつつ、赤と青の色彩の映像美を絡め、アニメーションで音楽モノをやるということの一つの理想像であるといっても過言ではないと感じた、このエピソードを選出。


惜しくも選外となってしまった残り候補10本

今回は残念ながら僅差で選外としたが、負けず劣らず名エピソードだったアニメをここで簡単にご紹介。


怪病医ラムネ 第2話『竹輪の陰茎』
陰茎とちくわ、更に浮気の指輪までモチーフとして話を展開する意欲回。迫真のちくわの絵の迫力がすごい。


SK∞ エスケーエイト #02 PART『はじめてのサイコー!』
後半どんどん超人バトルになっていったが、序盤のここでは極めて地に足の着いたスケボーモノとしての内容が楽しい。


ゲキドル Stage.6『人形の家』
せりあの過去が開示される1話。演じ・代用になるという一貫したテーマが演劇やアイドル、更には性産業、そして”人形”というSF要素もも絡めて描かれていく。


のんのんびより のんすとっぷ 八話『先輩はもうすぐ受験だった』
夏の終わりと秋の始まりという季節の変化を緩やかに描く。フルートの独奏シーンがとても印象的で良い。


キングスレイド 意志を継ぐものたち #26『世界樹の戦い』
王道ファンタジーアニメ堂々の最終回。2クールやったアニメがこんな終わり方をしたら嬉しいな……というアクションの迫力やキャラクターへの目配せが良い。


SSSS.DYNAZENON 第10回『思い残した記憶って、なに?』
恒例(?)の五十嵐海氏一人原画回。(すみません、五十嵐氏はコンテと作監を担当されていますが一人というのは勘違いでした)迫力のアニメーションで精神世界めいた過去との対話を描く。


女神寮の寮母くん。 #3『孝士、思い悩む』『孝士、復学する』
「触れる」ことをテーマに人との交流を描く。影による明暗の印象的なカットが効果的に使われており良い。


かげきしょうじょ!! 第十一幕『4/40』
奈良っちの渾身の演技パート。役者の熱演も相まって、表情の芝居に長けたこのアニメの良さがたっぷりつまったエピソード。

RE-MAIN 第11話『出せ! 俺に出せ!』
いよいよ迎えた試合。「止まった時間が動き出す」水球と絡めたこのテーマの結実が素晴らしい。


ビルディバイド -#000000- #10『願い事』
「コピー」に「モンスター化」とTCGを絡めつつ物語を描く作りが相変わらず上手い。桜良の決死の戦いを見せつける、迫力の回。

さいごに

今年も無事に10本、自分なりのアニメを選出できて良かった。
はっきり言って見返す時はどれもこれも「面白すぎる!」と叫びながらの視聴だったし、あれこれ理由をつけてみたものの多分に感覚による選び方だ。
「面白すぎ!」の中身を言語化することは何度やってもなかなか上手にはできずに、今回書いてみてもまだまだ精進すべきだなあと実感してしまう。


今年は生活スタイルも追い風となり、例年よりアニメの本数を見られた年だったように思う。
テレビアニメは見れば見るほどどんどん面白いものが見つかってしまうので、本数を見た今年は例年に比べても選出には大いに頭を悩ませた。
数を見た一方で、まだまだアニメに関してはもっと深く見ることができたかなとも思う。22年は深さの年、こちらの実現を目標にしていきたいところ。
すでに新年のアニメも始まっているが、どれもこれも面白い作品ばかりで目移りしてしまう。アニメ、今年も引き続き、やっていきましょう。