日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

日々について

風の日にはしゃいで抱き合って泣いて
夜空に誓った「日々のうた」を


the pillows / 日々のうた)


2019年頃だったか、聞いていたネットラジオがあった。

ちょうどその時Twitterをやっていて、とある人がこんなことを言いながらそのネットラジオのことを話していたことを今でも覚えている。

「いつかこれを聞いていたということが、忘れられない財産になる」

細部については齟齬があったら申し訳ないが、タイムラインを流れていくそんな言葉に、不思議と無視できないような引力を感じて、気がつけばそのラジオのページへとアクセスしていた。初めて聞いたのはなんだったか、今となってはそのこともはっきりとは思い出せないが。

ラジオにも不思議な引力があった。サービスエリアをラジオスポットとして、遠く離れた地から流れるラジオに、何故か惹きつけられるものを感じた。気がつくと、毎週の更新の時間を楽しみにしている自分がいた。
ラジオが発信されているらしいサービスエリアはその場というだけで、客として訪れた時にも別段ラジオスポットが見物できたりするわけではない。しかし、普段は移動でただ通り過ぎていく、通過点というだけのそこに、なんだかたまらなく訪れてみたくなる気持ちが湧いてきて、何度か「ただサービスエリアを訪れてみる」ということをやってみたりもした。そのラジオのリスナーには不思議とそういう人が何人かいて、まるで電灯に惹きつけられて集まる羽虫のように、ふわふわと数人がそのサービスエリアに集まることがあったりした。とても不思議な感覚だったが、そこには「ラジオを聞いている」という薄っすらとした繋がりが、しかし確かにあったのだと思う。

そんな風に、ラジオを聞いていた頃のことを振り返えろうとするとなぜか、ラジオそのものよりも周辺であったことばかりを思い出してしまう。
ふと東京の夜を散歩をした時の空気。
訪れた夜のサービスエリアのぼんやりとした雰囲気。
地方都市のなんでもない薄暗い夜の道。
煌々と光る観覧車。
海岸にゆっくりと沈む夕日の光景。
高速道路から見える工場の明かり。

Twitter上で新しいラジオのファンと知り合うとか、合同でラジオの本を作られた時に珍しく文章を送ってみたとか、自分でもラジオを録ってみただとか、そういう小さいちょっとした変化も振り返るとありつつも、それほどこれによって劇的な何かが自分のなかであったわけでもない。しかし、あの時の時間とともにあったラジオはたしかに自分にとっての礎の一部になって、その未来の今に自分がいるのだろうという感覚が微かにあったりもする。
何事においても、振り返るとそういう小さなことのひとつひとつで自分自身が出来上がっていくのだと思っているが、そういう共に過ごしたことを強く意識するラジオだったように思う。

もはやラジオの放送は終わって、昔というほどでもないわけだが、当時のことを振り返ってみるとやはりあの時間というのは財産だったのかもしれないと感じられた。何があったというわけでもないが、しかし同時に何かが確かにあった・・・・・・のだとも思う。

結局何があったのか。振り返ってもそこにあったのはただの日々しかない。であればそのただ日々が、ただの日々でありながらも、何か心に残っていることがあるのかもしれないな。
きっとこの今も、言いようのない感傷も、いつか日々に飲まれてしまう。その頃には、あのかつては確かにあった・・・・・・ということも、もっと忘れていくのだろう。

しかしそれもまた良しと思えるのは、今こうして微かに日々のことをなんとなく抱えていることもまた、そう悪くないからかもしれない。


忘れないでくれ
時が経って
僕は必ず落ちぶれるけど
笑わないでくれ
子供みたいに欲しい物に
手を伸ばしてただけなんだ
わかるだろう?
わかるだろう


夢じゃない どれも全て
二度とない「日々のうた」


the pillows / 日々のうた)

2019年、夏、甲斐市にて