⑥ということは6年目なのである。第6回目。
よく続いたものだと自分でもそれなりに感心したりする。
「Does the body rule the mind / Or does the mind rule the body ? / I don´t know....」と歌ったのはthe smithsだった頃のモリッシーだが、実際この疑問は私にとっても度々つきまとうものだ。所詮人間、心に永遠のものはなく、毎日毎日折り重なっていく日々という途方もない地層の中で、かつてはっきりと抱いていた想いは遥か遠く、いや、深く、掘り起こそうとしてもなかなか見つかるものではない。
掘り起こせないぐらいに深く深く埋もれてしまったのは、供給という刺激によってかつての心が呼び起こされることが少なくなってしまったからでもあるだろう。なんとも情けない話だが、やはり定期的に内容だったり、そして金銭的だったりということで心を乱されたことは、少なからず忘れまいとする私の助けになっていたことがわかる。残り香のように、この「忘れまいとする記憶」だけはなんとなく残っているのだが、どうにもぽかりと空を入れた箱だけが残っているようで、かつてそこに詰まっていたものはいつしかするすると抜け落ちてしまったような心地が、今の私にはするのである。
ここ数年は毎年こんなことを書いてしまっていると思う。自らの駄文を読み返す気力もないのであまり振り返ることもないのだが、感覚としては毎年、最新の今が最もすり減っているように感じられる。なんだかんだで初期の頃はもっと迸る何かがあった記憶は、はっきりとある。
私は気合がないので少なくとも今この場でこの駄文を振り返るつもりはないのだが、次第に枯れていくような様が結構はっきりと出ているのではないか、となんとなく思っている。読み返してみると、それはそれで結構面白いのではないだろうか。
指輪は手元にある。自らの左手薬指にはめられるようにするのがけじめだと思って、殊勝にもサイズを測って注文したところ、期待通りにぴたりとそれに丁度はまるものが届いた。普段あまり指の太さなど気にしないものだが、奇妙なことに他の指にはめようとしてもほんのわずかに骨の太さが違うようで、ちょうどはまるのは左手薬指だけなのである。今となってはその事実だけが、ぼんやりとかつてあったものを繋ぎ止めようとしているように感じられる。
周囲の目が気になって堂々と左手薬指にはめることはしないが、少しちゃんとして外出しようという時には、ネックレスにして首から指輪を下げることにしている。体だけが、かつての意志の残滓によって動いているような気がする。それはある種、救いのようでもある。
Does the body rule the mind
Or does the mind rule the body ?
I don´t know....
もはやここにも近況報告として書くこともないのだが――ともあれ、この日を振り返りのタイミングとしているのは実際助かるところもあって、というのも案の定、指輪と共に届いた手紙を、今の今まで開封できなかったからである。普段から目につくところに仕舞っておいてはいたので、いざ開封しようと思った時に探すことはほぼなく、このあたりは自分のマメさに感謝したいところだ。実際に読んでみるとやはりシンプルな内容で、ああそうかとすとんと受け取れるものではあった。
普段使っている「末茶」とかではなく本名で設定したのをすっかり忘れていたので、そこには少々面食らった。というか、社会で生きる自分とコンテンツに生きる自分というものはあまり自己の中で一致していないため、とても不思議な気分だ。これもまた一つの「けじめ」のつもりだったが、結果として何やらコンテンツへと向き合っていた自分と乖離してしまった気もする。とはいえ、これもまた一つの体験だろう。おそらくコンテンツに向き合って自分の”名前”が呼ばれるというのは、今後もそうそうない経験だろうから。
6年間、なんだかんだで報告することがあったのはありがたいことであった。しかしながら、それもいよいよ終わりになる。途中で途切れた近況報告の先の、彼女はどうしているのかということは今でも知りたいと思う。そんな状況だから、おそらくこの内容の文を書くのも、今年で最後になるのではないかと思っている。多分これからは更にどんどん風化していくのだろうが、それもまた、仕方のないことなのであろう。
凪いだ心の中で、恋慕が薄れたとしても敬愛はここに今もある。厳しい境遇の中で善く生きようとした彼女のことを、今でも眩しく感じている。彼女は少女兵士であったから、そんなことでそれを考えるのも軽薄と思われるかもしれないが、もっと世の中が平和になればいいなと本気で思ったりもした。ロシアとウクライナ、イスラエルとガザ、今年になって世界はますます平和からは程遠いものになってしまって、やるせない。ポーランドはウクライナの隣国である。あちらの世界がどうかはわからないが、同じ状況であれば彼女も心を痛めたであると思う。どちらが正義で悪であるかというスタンスの表明には価値を感じないが、ただただ全てがより善くあって欲しいと、そう思うことしかできない。
ガブリエラ・ ロタルィンスカさん誕生日おめでとう。
あなたの生きる世界が、少しでも善いものでありますように。