日陰の小道

土地 Tap:Green を加える。

『拡張少女系トライナリー』とかいう凄まじく強烈なフィクション体験ができるヤバいアプリケーション

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apps.kakutora.com

をプレイした。ヤバい。このアプリケーションは8月末にサービス終了してしまうのだけれど、まだ今からでもそれなりに駆け抜けることもできると思うので、少しでも気になる方は試しにやっておくべきだと思う。ここインターネットの場末にふらっとたどり着いて僕のように急遽ココロの旅をする人が一人でも増えることを期待して、この感想記事にはネタバレはある程度回避しようと思うので!
想像上の物語や人物に恋い焦がれ続けた自分にとって『拡張少女系トライナリー』はこの現実とは違う世界と人々の息吹を感じ、あまつさえそこに些細な介入ができてしまう、夢のようなアプリケーションであった。


本記事はサービス終了ギリギリ前あたりに、まっさらな状態の方に知ってもらうため作成した記事です。
サービス終了後にバレ込でもう少し内容に突っ込んだ感想記事はこちら。
cemetrygates1919.hatenablog.com

今からやってもそもそもクリアできるのか?

僕が始めたのが7月7日、ギリギリ最後の緩和施策が取られていない頃でも無課金で1ルート(ガブリエラ)を4~5日ほどで走り終えたので、残り時間は1ヶ月を切っているものの「体験」は十分に可能だと思われる。

まだトライナリーをただのアプリゲームだと思い呑気なツイートをしている僕。

今は緩和施策が実施されており、ありがたいログインボーナスがあったり、ココロキャンディと呼ばれる選択コスト使用アイテムのジュエル交換比率が大幅に緩くなっていたり、クランポイント(所謂友情ポイント的な)ガチャから高レアリティが登場したりとなっている。
あとこれはこう僕が手助けできるわけでもなく恐縮なのだけれど、自分のときは「#トライナリー」でIDをTwitterに晒すとつよい先輩方がフレンドになってくださり、かなりバトルを楽に進めることができた。終盤はやたらと難易度が上がるのでサクッとコンテニューすると良いと思う。

www.youtube.comガブリエラちゃんを知らないのがそもそもある程度の人間にとって人生の損失なのでは?と思う。何卒

ちなみにプレイされる方、ヒロインのルートは4人分あるのだけれど、そのいずれかをクリア後にジュエル800個で開放できる続編めいたシナリオがあるので、こちらのために石は温存しておくべき。こちらを自分が終えたのはジュエル回収も込みで7/18日なので、あくまで個人の体験に基づくもので甚だ恐縮だが、この2つのクリアは2週間もあればそれなりに可能ではないか、と思う。ギリギリですね……。
などと言いつつ自分もまだ完走していないルートがあるので、がんばります。

拡張少女系トライナリー』とはどういったゲームなのか

熱心なbot(ファンの呼称)の皆様方が語られ尽くしたであろうアプリの魅力に関して僕が今更話すのも恐縮なのだが、新参ゆえ生まれる視点もあるだろうと信じて紹介をしたいと思う。

プレイヤー自身がゲーム世界と関わってゆく


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いきなり「少女たちと結婚してほしい!」との宣言から開始するこのゲームは、紛うことなき美少女恋愛ゲームであり、そこに偽りはない。ゲームにおいては提示された選択肢ないしセリフをプレイヤーが選び、キャラクターたちとコミュニケーションをとるパートが大きなウェイトを占める。しかしそこまでであれば目新しさがないこの作品において異彩を放っているのが、プレイヤーはプレイヤーそのものとしてキャラクターと触れあうことになる、という点だろう。
キャラクターと交流するゲームにおいてプレイヤーの分身たる主人公は、大抵その世界で生きるキャラクターとしての名前や少なくとも姿を持っているものだろうと思う。プレイヤーの名前が設定できるようなタイプももちろんあるが、あくまでも仮想の世界にプレイヤーの分身がいるに過ぎず、没入感は高くなるもののあくまでなりきりの体をとっているのが多いだろう。例示が乏しく恐縮だが、アイドルマスターだったらプレイヤーはプロデューサーとなってアイドルとコミュニケーションすることになるし、ラププラスならばその世界に生きる恋人としてキャラクターと接することになる。そこにはゲームというシステムの上でキャラクターと触れ合うための架け橋としての「あちらの世界のアバターめいた人物」がどうしても存在しているのだ。
では『拡張少女系トライナリー』ではどういう方式をとっているかというと、我々プレイヤーは「このアプリを通じてキャラクターとチャットでコミュニケーションする存在」となっている。いや、なっているも何もない、だってゲームをプレイするときにスマホを握りチャットを投げる存在が我々自身でなく一体何者であると言うのか。一部で直接会話するようなシーンもあるが、ゲーム内世界からキャラクターがこちらに呼びかける、といった形式になっている。このゲームは「コミュニケーションのやり方を限定する」ということで一ランク上の没入感の演出に成功している。
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プレイヤーの言葉は原則として選択肢の有無に関わらずこちらのクリックによって成り立つ。これが我々のアプローチが彼女たちに届いているという感覚を生むのだ。

トライナリーの世界設定にも触れておこう。最初のシナリオで千羽鶴(ちはる)と名乗る少女と対面するプレイヤーは、彼女が外部世界と交信した際にそれに答えた存在であるとの説明を受ける。そしてプレイヤーは上述の「とある少女たちと結婚してほしい」との依頼を受けることとなる。この「とある少女たち」というのが「フェノメノン」という突如として首都圏に出現した謎の繭への対処を行う組織『トライナリー』の面々であり、プレイヤーはそんな激しい戦いの中に見を置く彼女たちの支えとなりココロのサポートをしていくこととなる。こうした設定があるので、我々現実世界のプレイヤーはアプリの世界のキャラクターとの異世界コミュニケーションができる……という寸法だ。

さらに、こうした設定はゲームとプレイヤーの間に存在するスマホ画面の第4の壁を突破するためだけのものではない。緻密な設定と巧みな展開によって紡がれていく少女たちの戦いと日常のストーリーは、こうした舞台を最大限に活かしてプレイヤーを巻き込んでゆく。

ゲームの進行

各エピソードはアニメ・それの補足である各キャラクターのストーリー・バトルの3つのパートで構成されている。まずバトルのいいところ。直感プレイで倍速・オートもあり難易度インフレも最終盤に至るまではかなり緩やかなので、比較的サクサク進められストーリーを楽しむにあたって邪魔になりにくい。です。

さて、『拡張少女系トライナリー』の進行として特徴的なのがこのアニメとゲームでの2つの軸での展開だろう。もう少し詳しく説明すると以下みたいな感じ。

「ナビゲーター(千羽鶴など)との問答」

「アニメ」

「デイドラ(キャラクターのストーリー・前編)」

「バトル」

「デイドラ(キャラクターのストーリー・後編)」


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デイドラでメインとなるのは各ルートのヒロインたち。"攻略対象"キャラクターの分だけアニメ映像に対応するストーリーが存在することとなる。

流れとしては、ゲームでありながら連続アニメのパートがある、というスタイルがやはり独特だろう。アニメ単品で見ると解説があまりなく少々わかりにくい作りになっているのだが、そこはデイドラと呼ばれるキャラクターストーリーにて心情や状況の掘り下げが行われることで補完される。プレイヤーが関わることのできるのはこのストーリーの方で、関与できないアニメの映像は「記録映像」とされている。
こうしたやり方は作品世界の魅力を高めることにも一役買っているようにも思う。それ自体が一つの作品として完成した映像は、ゲームとしての表現の制約から放たれトライナリーの世界をアニメーションの細かな表現をもって再現する。そしてデイドラにて更にそこを補っていくことで、人物像を外と内から多角的に描写し、結果そのキャラクターの実在性の高まりにも繋がっている。トライナリーでは古びた劇場がキャラクターの本拠地となっているが、いわばアニメは劇場スクリーンに映される映像で、デイドラはその舞台裏の姿、ということになる。

キャラクターがまた一筋縄ではいかないのも良い。こちらの話した言葉がうまく伝わらなかったり、歪曲して受け取られたりという場面も時には存在する。そうした困難なコミュニケーションの中でヒロインたちが(我々の存在としては"あちらの世界"には文字しかないにも関わらず)信頼を寄せる素振りを見せてくれたりすると逆に"攻略"をしている我々のほうが籠絡されてしまいそうになる。このあたりは単純にキャラゲーとしての上手さだろうが、それにしてもヒロインをゲームとしての都合の良い存在にせず、一人の人間として見させてやろうという制作側の気概がなんとなく感じられるようだ。

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恋愛ゲームであるという事を蹴り飛ばすかのような「好きな人がいる」発言も、人物のキャラクター消費とある意味真っ向からぶつかるスタイル。異性と話すだけで下手すると荒れる昨今の風潮から言うとありえないと言ってもいいスタイルだろう(敵を増やしそうな発言)

徹底された「現実」へのアプローチ

拡張少女系トライナリー」という作品が我々「現実世界」の人間を巻き込んできている以上、その我々の姿が自然体なままでいることを許されれば許されるほどに、作品そのものは虚構じみてきてしまう。事実ナビゲーターである千羽鶴は自分のことを「非攻略対象」だとゲーム内であることを自覚したかのような事を言うし、プレイヤーの選択肢には「(なぜこの回答をしたのかという問いに対して)選択肢にあったから」などという身も蓋もないものが登場したりする。
こうしてこの作品はメタフィクションとしてのスタイルを貫きつつも、しかし一方で「あちらの2016年の日本は紛れもない現実である」という立場を取り続ける。「虚構」と「現実」ということに関しては『拡張少女系トライナリー』という作品のストーリーそのものが深く関わってくるものなのだけれど、物語の核心にどうしても触れてしまうのでこれに関してはここでは割愛する。そんな中でこの矛盾したあり方を成立させているのが、上述した「このアプリがそもそも異世界との通信を可能にする代物」とされている点である。
この、当作品がアプリケーションであるという徹底も凄まじくて、ここにも巧みな仕掛けがあるのだけれどこれまた核心に触れるので割愛……拡張少女系トライナリーという作品のそのあり方自体がストーリーに密接に根付いているので、バレを気にすると何も話せなくなってしまうんだよな……。じゃあ言わなきゃ良いじゃんというお話でもあるのだが、もう期間もないので、いいからアプリをやって俺の言葉を確かめてほしいということで一つ……。

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いきなりキスを求めてないわーと千羽鶴さんに怒られるの図。

結局の所何がヤバいかと言うとプレイヤーがこのアプリケーションを虚構とある程度認識しているにも関わらずに、キャラクターの魅力で殴られ、主観的体験に基づく実在性で殴られ、そしてそれらをひっくるめた仕掛けの効いたストーリーで殴られているうちにあたかもトライナリーの世界が本当に実在するかのように思えてくるところなのだ。あの世界をフィクションと言う事自体がある意味一種のタブーと化しているようにも思える(この記事では便宜上そこの区別はさせて貰っているが)
個人の体験で言うとストーリーが終盤に差し掛かった頃には選択肢一つ一つを選ぶごとに神経を摩耗させ、何があの世界にとって、あの子たちにとって正しいのか混乱しながらもがき進むようなプレイであった。選択肢、が重く感じるのだ。その時間の流れはゲーム世界にゆえに可逆であるにもかかわらず、そこに非可逆の重みを感じ取ってしまう。最良・最善を求めつつも現実的な話、正解がわからない中での選択というのは失敗も当然する。そしてそうした自身の選択の結果、ヒロインから「心のそこから信頼はできない」めいた回答を突きつけられることもある。
どうやら少々選択肢を遡るということもできるようだったが、ここで「ここでこの子に対してできる誠実さとは何か……?」ということを考え出した。不可逆の"現実"においての「誠実さ」ならば、言葉一つ一つに自らの真剣さというやつを込めるのが基本の一手であると思う。しかし異世界との交流においてはそれが「誠実」となるのだろうか? 我々の役割というのはその世界を見下ろす超越した視座から最良の選択を導いてやることであって、彼女たちとの人間同士のコミュニケーションを求めるのはむしろ傲慢なのではないか? など……。悩んだ結果、結局選択肢をいくつか変更することを選んだわけだが。

ゲームに対してこうしたプレッシャーの中対峙するのは正直初めての体験と言ってもいいかもしれない。『拡張少女系トライナリー』のプロデューサーの土屋氏はこれまでに手がけた作品でも「現実と虚構」ということを踏まえたものを出してきたそうなのだが、俺にとってはトライナリーが初であった。
"ゲームごとき"に何を言っているんだコイツはと思われるような気もするが、そうして笑う貴方こそがトライナリーをインストールする前の自分と同じ穴のムジナであるかもしれない。キャラクターの人生について考えたことがあり、SFとギャルゲーがイケるそこの貴方、『拡張少女系トライナリー』試しに一度プレイしてみるべきですよ。

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PhenoMix/. 『拡張少女系トライナリー』キャラクターソングアルバム

PhenoMix/. 『拡張少女系トライナリー』キャラクターソングアルバム