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TVアニメ『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話の「視点」の映像について

先日、TVアニメ『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』が最終回を迎えた。
アクションや演出に派手さはないものの、アニメ全体を通じてかなりユニークな画作りが多く、見ていて退屈しない作品であった。
特に最終回の映像のキレは凄まじかった。この最終回は物語の流れだけ見るなら回想と会話に終始しており、ここだけで判断すれば平坦で穏やかなエピソードという風に思えるのだが、本作でも随一の印象に残る内容に仕上がっていたのではないかと思う。今回は最終回の流れを振り返りつつ、この回の演出について書いていきたい。
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「俯瞰」(その1)

はじめに、このエピソードで多用されるのが主観の視点であることについて前置きしておこう。カットの流れとして「キャラクターが見る」→「キャラクターの主観視点のカメラに切り替わる」という動きが多用されている(この順序が逆なこともある)加えて、カメラがキャラクターの主観視点と一致している時、そのキャラクターのノローグによってアニメが進行していくシーンも度々ある。このシークエンスを繰り返し行うことで、このエピソードは様々な人物の主観的シーンを入れ代わり立ち代わり映しながら、進行していくことになる。

そんな中で主観シーン(主観カメラ、モノローグ)を得ながらも少々違う立ち位置のキャラクターがいる。それが人間とは異なる長寿のアーティファクトであるキズナである。もうひとりのアーティファクトである「オリヴィア」も含め、この2人は人間たちの生活の輪の中に混じったり混じらなかったりしつつ、付かず離れずの距離を保っている。

アバン:キズナとニック

40秒ほどのアバンは、まずキズナの語りからスタートする。「サバイバーズの面々はしばらく寝込んでいた……」と、サバイバーズを見守るキズナの目線がモノローグとともに、エピソードの冒頭に配置されている。

左:ニックを見つめるキズナ
右:ニックの机から体を引くキズナ
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)


短いながらもこのアバンの最中にニックの視点は2度動く。

左:天井のポスター
右:ポスターを見上げるニック
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)
左:机の中から短剣を取り出すニック
右:その短剣を見つめるニック
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)


今回OPはなく、続いてAパートへ進む。そこではアバンにて提示したニックの主観視点に移り変わっていく。

「主観」

Aパート:ニック主観(ニック回想~アゲートとの邂逅)

まずはニックの回想から。この回想は基本的にニック(子ども)の主観にて進んでいくが、一部異なる。
ここで早速幼いニックは何度か「覗く」というアクションを取る。これは今回取り上げている「視点」という要素にも絡んでくるアクションである。この回想では、幼いニックとその父母を乗せた馬車が賊に襲われるというシーンが描かれている。ニックの視点ではその一部始終は断片的にしか映らないが、そのことで恐怖を掻き立てる効果が出ている。
また、ここで無言で手際よくニックを馬車の二重底に隠す母の描写もいい。修羅場をくぐり抜けた感と、かつ必死にニックを守ろうとする母の愛を感じる。手の甲に傷があるのも彼女の経験の豊富さを物語るようである。

左:馬車から外を覗くニック
右:馬車内に隠れて何も見えないニック
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話

ここで一度、馬車を襲う賊の視点に移る。この切り替わりによって、母によって隠されたニックが賊に捕まってしまうのではないか、という緊迫感を演出している。賊の見ている光景と、ニックの見ている光景には差がある(ニックは賊が父母を殺害する様子を見ていない)

左:最初ニックが隠れた付近の樽を眺める賊
右:馬車の底を覗き込む賊
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

駆けつけた歴戦の冒険者・アルガスに救われることで、ニックはなんとか難を逃れる。幼いニックの視点を軸に「アルガスがナイフを投げる」→「賊がナイフで倒れる」というアクションをカットしている。幼いニックが何もわからないまま、事態が動いていくことが巧みに表現されている。まだ未熟なニックは、何が起こっているのかを「見る」ことができない。

左:ニックが見上げるアルガス
中:思わず目を伏せるニック
右:ニックが振り返ると賊が倒れている
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

血の流れる音から接続して、地下水路を冒険する幼いニックとアルガスの場面に移る。度々ニックの視点とカメラは一致するが、ニックの視野は狭く、頭上のスライムに注目しつつも足元のスライムで転んでしまったりしている。また構造上、今のニックの主観で己であるニックと、他人であるアルガスには距離がある。アルガスが何を思っているか、詳しくここでは語られることはない。故にアニメは、アルガスの視点を描かない。そしてアルガスは数年後に、ニックを自信のパーティから追放している。
このような主観による「己/他人」の距離というのは、このエピソードの核となる要素であると思われる。

左:ニック視点、スライム
右:ニック視点、アルガス
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)


これら、アルガスの【武芸百般】でのギルドでの記憶は、ニックの冒険者としての思い出である。短剣を見つめるニックは、その眼差しの先にかつて冒険者としての活動で見てきたものを振り返っている。

ニックの人生の分岐を思わせるような二股の流れる血。更に血(液体≒水)の音から接続して、ニックは外が土砂降りであることに気がつく。窓の外を見るニックは、アゲートの見知った頭頂部を見つける。

左:窓の外を見るニック
右:ニック視点、アゲートの頭頂部
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

ここではアゲートの視点が混ざってくる。ニックが2階から差し出す傘にアゲートの視界は遮られている。

左:アゲート視点、ニックの差し出す傘
右:アゲート視点、傘と雨の街並み
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

地上にいるアゲートの目に、2階から傘を差し出すニックの顔は映っていないはずである。しかし、カットによって2人の横顔は似た構図で描かれ、あたかも並んで話をしているような構図の繋がりを感じさせる。
傘によって2階と地上を繋ぐ絵面も珍妙だが、しかし不思議な暖かさを感じさせるカットだ。ここでは傘というアイテムを使って両者の繋がりを表現している。かつての2人の出会いは雨に濡れたニックにアゲートが傘を差し出したものであるから、ここではニックからその恩を返す、というニュアンスもある。

左:アゲートの横顔
中:ニックの横顔
右:傘によって繋がる、ニックとアゲート
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

Aパート:ゼム主観~ティアーナ主観

再び雨のシーンから接続されるのは、“ガーベージコレクション”にて診療所で医療行為を行うゼムのシーン。敵対するナルガーヴァの死後、彼の後を継ぐように医療行為に従事するゼムの心境が彼のモノローグにて語られる。

左:老人を見るゼム
右:ゼムへと微笑む老人
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)


続いて、夜のシーンから接続されるのは、ティアーナ主観のシーン。なんとなく日々に張り合いのない彼女の心境がモノローグによって語られる。

左:窓の外を眺めるティアーナ
右:ティアーナ視点、浮かぶ月
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

競馬で勝っても張り合いのないティアーナ。それでもふと口にした食事は美味しく、「カランはこんなの食べないかな」と呟く。カメラが青空へと向き、その空から接続しつつ、次のシーンではカランが空をバックに登場する。

Aパート:酒場にて

カランが酒場に表れて、サバイバーズの面々が酒場にて集結する。
この一連のシーンだが、今まで個人個人で順番に移り変わってきたサバイバーズ複数人の視点(主観的カメラ)が入り乱れるため、なかなか忙しない。

左:酒場に現れるカラン(1)
中:カラン位置より、引き(2)
右:ニックの位置から、カラン(3)
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)
左:キズナ位置より、引き(4)
中:カラン位置より、ゼムを見るキズナ(5)
右:キズナ視点、ゼムの足元(6)
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)
左:キズナ位置より、ゼムの応答(7)
中:カラン位置より、キズナの応答(8)
右:キズナ位置より、引き(9)
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)
左:キズナ位置より、ニックとティアーナ(10)
中:キズナ位置より、ティアーナにズーム(11)
右:ティアーナ視点、ニックとキズナ(12)
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

これら一連のカットではカメラの位置が目まぐるしく変化している。
あまり厳密でなく恐縮だが、カメラの位置をざっくり想定して図に記した。

酒場シーンでのカメラ位置

この一連のカットは、はじめカラン-ニック間(1~3)で、続いてゼム-キズナ間(4~8)、そしてティアーナ寄って彼女の視点に移る(10~12)と、おおまかに3段階に分かれている。やや目まぐるしいこれらのシーンは、当然不出来というわけではなく、どうにもまとまらないサバイバーズの空気感を不安定気味な映像でうまく表現していると思われる。チームとして共にいるにもかかわらず、各々が一人でいるの時と同様のようにティアーナのモノローグが挿入される。

酒場の引きのカット
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

ラストは斜めからの引きのカットで、落ち着かないサバイバーズの雰囲気を演出し、Aパートは終了。

Bパート:ゼムの診療所~カラン視点

夜、ゼムの診療所にキズナが訪ねてくる。左から右へとゼムの後ろを横断していくキズナは、他者の領域に踏み込んでいくようなカットで面白い。ここにはモノローグはなく、ゼムとキズナ2人のやりとりで進行する。

ゼムの後ろを横切るキズナ
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

翌日。カランが再び酒場に登場する。

左:酒場での引きのカット
中:カラン視点、ゼムとキズナ
右:カランはぎこちない笑顔を見せる
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

かつて酒場で全員酒を片手に意気投合したサバイバーズの4人だが、ここで食事を共にしない4人の関係はやはりどこかぎこちない。
ここからはカラン視点に移る。穏やかな日々に甘んじつつも、心のどこかでそれでいいのかという悩みを抱えているカランの心情がモノローグにて語られる。尻尾を引きずるアクションには、彼女の沈んだ精神状態が反映されているようである。道中、カランはかつて自らが陥れられた詐欺の手口に捕まりそうになっている獣人の少女を助けている。ニックの回想から続く、このエピソードの過去へと向かう目線の流れがある。
屋台において、カランはニックらサバイバーズのメンバーと再び出くわす。

左:ニックの声に振り返るカラン
右:カラン視点、サバイバーズ
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)
左:サバイバーズと出くわすカラン
中:カランに(画面外から)近づくティアーナ
右:並んで歩く5人
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

ここで挙げた最初のカットでは距離を感じさせるサバイバーズとカランだが、次のカットでは画面外からティアーナがカランに接近する。続いては5人並んで歩くカットになる。
この3カットを見ると一目瞭然だが、このあたりから急激に平面的な構図の画面が増えてくる。先程まで、主観視点カメラやそれに伴うカメラの移動を激しく作中でおこなってきたため、ややのっぺりとしたこの平面的な構図は、退屈さよりもむしろ先の映像とのギャップから安定感を感じさせる。
上で載せたようにこのシーンの直前には、サバイバーズと出くわしたカランのカットがある。その時は「主体のアップ」→「主観視点」と繋がるカットだったため「カラン / 他のサバイバーズ」は分断されているように映る。しかし、カメラが引いた平面的構図のカットでは、両者は同じ画面の中にいる。ここには、絵による緩急の妙がある。

「過去ばかり目を向けていなくて、今に目を向けてもいいのだろうか……」という感じのカランの決意めいたモノローグと共に、5人歩くカットでめでたしめでたし……というわけではなく、そこにオリヴィアが登場する。

「俯瞰」(その2)

しばらくは「俯瞰」という見下ろすよりは単純に引くカットの話題になるが……広く見る、ということでご容赦いただきたい。

Bパート:オリヴィア登場

オリヴィアが登場し、あれこれ捲し立てる。このシーンは先程同様に非常に平面的な構図の画面が多い。

左:平面的な構図その1
中:平面的な構図その2
右:平面的な構図その3
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

カメラの存在を強く意識させた今までのシーンから考えると、このあたりの雰囲気はがらりと変わっている。このシーンでのカメラは観客席からの固定カメラで、ステージ上を眺めているかのようなカットが多い。
暴れまわるオリヴィアが印象的なシーンだが、ここではオリヴィアが画面の外側から入り込んでくる、という動きがある。先に挙げたゼムとキズナのカットや、カランとティアーナのカットと同様の、他者の領域に踏み込むことを表現した演出だと思われる。この手法は、「己/他人」がはっきりと分かれる、Aパートまでの主観カメラでは実現し得ない演出である。

左:ニックのカット
右:ニックのカットにオリヴィアが乱入する
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

オリヴィアの言葉によって過去と向き合うことを改めて決意したカラン。彼女の決意を、ある意味では他人であるはずのサバイバーズは暖かくチームの次に解決すべき課題として迎え入れる。再び主観視点が復活するが、ここでの主観は断絶を意味しないだろう。

左:サバイバーズを見るカラン
右:カラン視点、サバイバーズ
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

エンディング:花火の下で

サバイバーズの一旦の物語は新たな目標を立ててひとまず完了、めでたしめでたし……というわけだが、最後にアニメはもう一歩「引いた視点」を獲得する。ニックの後ろから打ち上がる花火とともに、今までの人々が花火の下で生活する姿が描かれていく。「個の目線」→「観客と舞台」と横に広がってきた今回の映像は、ここで更に縦の広がりを獲得している。

左:ニックの後ろから打ち上がる花火
中:ゼムを陥れた少女
右:ステッピングマンに誘拐されかけた少女
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

サバイバーズも、サバイバーズと敵対した人々も、サバイバーズの味方であった人々も、皆花火の下で各々の生活をしている。モブキャラクターをいわゆる「捨てキャラ」としてではなく、各々の人生を生きる人々として描いてきた、本作らしいクライマックスのシーンだろう。


最後の「地上の人 / 空の花火」という対比の上で、キズナとオリヴィアは屋根の上、すなわち花火の位置に立っている。人と同じ姿でありながらも、超越した存在である2人は引いた目線から、サバイバーズや人々の生きる姿を見守っている。ここにはもう狭い主観視点は存在せずに、広い俯瞰視点のみがある。この俯瞰視点と共に、アニメそのものを総括するような会話が繰り広げられる。
アバンから再びここのシーンの中心になっているのはキズナ(とオリヴィア)である。ところで、キズナの声は小松氏演じる幼い子供のものと、清川氏が演じる老人のものと2種類用意されている。キズナの人間態の声は小松氏が担当している方だから、この作品でキズナが人間に近くなっているのは小松氏の声の時だ。ラストでは、小松氏の声にナレーションも手掛ける清川氏の演技が重なるのだが、すなわちこの声の演出によって、更にもう一歩作品は視点は人々の目線から離れている。
そしてラストカットは惑星。言うまでもなく、これは人の世に対しての最大級の俯瞰だろう。

左:屋根の上のキズナとオリヴィア
右:惑星のカット
(『人間不信の冒険者たちが世界を救うようです』12話)

まとめ

「映る世界が違う」という特徴を持つ主観視点のカメラによって、各々の抱える孤独や人々の断絶を表現しつつ、さらにその主観視点を脱することで、「絆」によってつながるサバイバーズの姿が描かれた最終エピソードであった。更に各シーンを接続してきた「空」からの視点である俯瞰視点を導入することで、最後には懸命に生きる人々を見守る引いた目線に立ち、物語を総括してアニメは幕を閉じた。
「人間不信」という個人としての小さなドラマと「世界を救う」というスケールの大きさ。一見そぐわないように見えるタイトルを、アニメなりにきっちり回収したと言えるのではないだろうか。

「人間不信」というワードらしく一癖も二癖もあり、立派な人間にはなりきれない何かと欠落した人々を描きつつも、その上で「人間不信」というワードとは裏腹に人々の暖かな繋がりを本作は描いていた。本作の「モブだろうと懸命に生きる人間なのだ」という姿勢には感じ入るものがある。今期作品としては「一人一人が英雄」というテーマを貫徹した『The Legend of Heroes 閃の軌跡 Northern War』も傑作だったが、これらの作品によって、無意識にモブとメインを線引きしてしまうような、作られた物語ベースだけではないアニメというあり方を、改めて教えて貰えたような気がしている。
かつては「変好き」でもユニークな映像や演出を見せていた、いまざきいつき監督ここにあり、というような風格のあるアニメ作品だったと思う。この最終回も、監督自ら絵コンテ・演出を手掛けている。引き続き、監督の次回作に期待したい。

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