日陰の小道

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『劇場版 ポールプリンセス!!』の魅力 ~ポールダンスにまつわる《握る》ことと《浮遊》について~


はじめに

『劇場版 ポールプリンセス!!』を見た。本作はWebアニメが先に公開されており、時系列的には映画はWebアニメの続きの話となる。ぼくは直前にWebアニメを予習してから映画に臨んだのだけれど、映画からでも問題なく見られるのではないだろうか(一応、お話的には繋がっているけれどね)

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60分の上映時間は映画としてはコンパクトな部類だろうが、後半に配置されている、見せ場のポールダンスのシーンはたっぷりと用意されていて、なかなかの見応えだ。その分、前半のドラマはわりとあっさりとしている。いやここでもトラウマの払拭とか、なかなか熱いシーンはあって後半の大会に向けて気持ちを盛り上げてくれるのだけれど、予選の試合シーンが丸々カットされていたりするので、かなり割り切った作りだなぁと感じた。
これに関してはやはり、観客にとって、後半に控えるポールダンスのシーンが最も印象に残るように狙った構成なんだろう。題材への自信と、またそれを魅力的にアニメーションで表現することへの自信を感じさせる作りだと思う。
事実、この映画はそこを十二分に達成したことで、映像作品としての魅力を生み出すことに成功している。

今回特に感想として語りたいことは、そのポールダンスにまつわる2つの要素についての、アニメとしての取り組みに関してだ。本記事のタイトルにもした《握る》ことと、そして《浮遊》について、少しばかり話をしたいと思う。

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《握る》ことの意義

Webアニメと劇場版両方の『ポールプリンセス』には全体を貫く"軸"として、再起にまつわる物語が存在している。
これに関わってくるのは、元々バレエを習っていたが、かつての失敗から逃げるように引退した星北ヒナノ、過去の怪我による引退をした元体操選手の南曜スバルの2人。両者のエピソードは作品全体を通しても存在感があるもので、後半のポールダンスの演技シーンでも、2人にはこの過去の挫折にまつわるドラマが用意されている。一度諦めた夢を、ポールダンスという、このアニメが言うところの「別の山」への挑戦という形で、2人は実現しようとしているんだよね。
すなわち、この新たなジャンルの象徴たるポールを《握る》ということは、なんとか新たな夢へとしがみつく二人の覚悟を感じさせる動作でもある。そして同時に《握る》ということは、ポールダンスという競技においても、極めて重要なアクションなのである。このシナリオの重要なポイントと、競技の重要なポイントの重なりを感じさせる構造によって、演出とシナリオ面両方で後半のポールダンスパートを盛り上げている、という本作の技巧を見出すことができる。

そしてこの《握る》という動作の対象は何もポールだけじゃない。人と人が手を《握る》行為、つまり握手というアクションも、この作品の中で何度もドラマを盛り上げてきた。前半で登場した、ダブルスを組むスバルとリリアの公園での和解の握手。そして後半でのこの2人のダブルスのシーンでも(かつての体操での記憶をフラッシュバックさせるように)スバルがポールから手を離してしまった時、リリアがその手を掴んでフォローしている。《握る》のは何も自分ひとりの力でなくともいい……ということを感じさせる。
ポールダンスをチーム戦として描いていることや、また多くの人間が関わる競技シーンそのものに人同士の繋がりが生まれることを感じさせるのは、競技シーン全体に温かみを感じさせた。こういうシナリオも相まって、ポールダンスシーンそのものをポジティブに捉えさせることに成功しているんじゃないかな。

更にこの握手が関わってくるのは、もうひとりの復帰者であるところのヒナノにもクライマックスの見せ場として用意されている。そう、彼女がバレエを辞めたトラウマの原因だった、御子白ユカリとの和解の握手だ。ここでは、ポールを必死に《握る》ことでダンスの世界に留まることができた、ヒナノとユカリの再会の歓びが表現されているようでもある。
ユカリはユカリで見送る側として、ダンスを辞めていった者たちに寂しさを感じているキャラクターだったので、ライバルキャラの彼女のエピソードにも、他者の、という形で再起という要素が絡んできている。

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劇場プログラム イラスト(『劇場版 ポールプリンセス!!』公式サイトより)

ところで、この左のイラストは本作のキービジュアルの一つなんだけど、まさにポールを《握る》という行為で、再び繋がったヒナノとユカリの姿が描かれていて、映画を見た後だと非常に感動的なイラストだった。これ単体で見ると中央のポールは2人を分かつ境界線のようにも見えるが、映画を見た後ではこの左右の空間が分けられているわけではないということがわかる。なぜならポールダンスというのは、ポールという軸を《握る》ことで軽やかに回転するダンスなんだから。

さて、ここまで《握る》という行為が映画のシナリオにおいて極めて重要という話をしてきた。《握る》という力強い動きはいわば選手目線でのポールダンスの捉え方であり、一見優雅なポールダンスの持つ、泥臭いと言ってもいいような力強さの要素の抽出であった。ポールダンスの練習によって血豆ができたりアザができたり、という少し痛々しいシーンも本作には登場するけれど、これらはポールダンスの持つリアルさを抽出しようとしたってことなんだろう。

とはいえこれはポールダンスの一側面であって、もう一つ、語っておきたいことがある。それが、まさにポールダンスの持つイメージの優雅さを表現した《浮遊》についてだ。

《浮遊》のパフォーマンスの魅力

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ぼくがアニメの”観客”として心に残ったのは、ポールダンスの演技の中で何度も描かれる《浮遊》だった。
もとより、Webアニメの方でポールダンスが初登場した場面であるところの、芯央アズミ先生初登場のシーンで印象深いのは、公園のポールであたかも《浮遊》しているかのように見える彼女の姿だった。というか多分、アニメの文脈を抜きにしても、そもそも普通のダンスに比べてポールダンスの特異さの一つに《浮遊》があるってことなんだろう。

劇場版の決勝でも、特に主人公チームのギャラクシープリンセス側に、この《浮遊》をフィーチャーしている演出が多かったように思う。星空を思わせるセットの中で踊るヒナノに羽が生えるように演出されていたのもそうだけど。
でもやっぱりいちばん印象深いのは東坂ミオのステージ。マーメイドを思わせる衣装に身を包んだミオの姿はまさに人魚そのもので、その足はまるでマーメイドの尾ひれのように感じられた。水中を思わせる演出と共に、ふわりと浮かび・逆さになる……というのは、ポールダンスというジャンルの面白さを的確に抽出し、膨らませたステージだったんじゃないかと思う。
他のチームメンバーと比べても、運動神経やダンス経験に乏しいミオは技術的にはおとなしめなポールダンスをしているように思えたが、一方で衣装も手掛ける彼女の表現そのものにかける情熱は人一倍という、そういうキャラクター性を感じさせる演出だった。元々コスプレイヤーという経歴を持つミオは、ずっとポールダンスと魔法少女を重ねていたのだけれど、まさにポールの舞台で"変身"して見せた彼女の姿は、魔法にかけられたようで、とても魅力的に感じられた。

ところで、ぼくが最も好きなアニメの一つにバミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~』(カラパレ)という作品がある。これはマーメイドのお話なので、つまり舞台が海中なのだ。このアニメの海中描写はかなり独特で、海中で紅茶を入れたり海中でクラゲを水槽で飼ったりするわけなのだけれど、そこで表現されているのって、普段のぼくたちが陸上でやっている生活を、そのまま海中に持ち込んだ様子なのだ。そしてそれはアニメで見るとぼくらにずっとまとわりついている重力という力から開放されているようで、なんとも軽やかに映るのだ。

バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~』 5話より

カラパレはそんなにリッチなアニメじゃないのだけど、例えばそういうアニメでよくあるシーンとして、キャラクターが話す時で静止画で口だけ動いたりするわけなんだけど。このアニメはそこで水中の表現ってことで、画面に配置された人物が静止画のままスーッと動いたりする。これって、現実の陸上だとありえない動きだから、めちゃくちゃ面白いとぼくは思う。そういう細部の面白さが結構詰まってるアニメなんだよね。このアニメの主題歌は『Wonderland Girl』という曲なのだけれど、ぼくはアニメというフィクションの中に、現実にはありえないワンダーランドとしての素敵さを感じていたわけなんだね。
そんなカラパレには『それはね、靴って言うの』っていう、マーメイドに足が生えて陸上で活動するエピソードが一つだけあるんだけど、ずっと海中の描写に慣れてると、そのマーメイドが陸上の感じにビックリするのを見てて、なんて陸上は重苦しいところなんだろう! なんて、見ているぼくもびっくりしたんだよね。毎週テレビアニメで見てた積み重ねがあったからだと思うんだけど、あれって今でも思い出すけど本当に面白い視聴体験だったから、是非まだって人には一度見て欲しいね。

長々と別のアニメの話をしちゃったけど、つまりぼくにとって《浮遊》っていうのはフィクションのロマンをとても感じる要素の一つなのだ。だからポールダンスのインパクトとして、繰り返しこの《浮遊》しているかのような姿が描かれるのは、とりわけぼくにとってとても魅力的だった。
でもここで面白いのって、これってポールダンスにとってのリアルなんだよね。刀から炎が出たり、分身したイメージが登場したり、海中のように見えたり、羽が生えたように見えたり……ってこれは全部アニメの演出によってもたらされてる、いわばウソなんだけど。でもポールダンスで浮いてるように見えるっていうのは、ここには全然ウソがない、現実でもできちゃうこと。これってめちゃくちゃ凄いことだなって思うんだよね。
このアニメが、海中だったり星空だったり、そういう《浮遊》を強調する演出を繰り返してるのも「ポールダンスのここって凄いよね!」という意識があるからだと思うし、いやあ実際凄いなって思っちゃう。

『ポールプリンセス!!』で描かれるポールダンスのクオリティってWebの時から高かったんだと思うけど、劇場版ではさらに見応えがあった。それぞれのパフォーマーで違うパフォーマンスがある、そんな縦横無尽なアイデアを思いっきり楽しめるというのは『劇場版 ポールプリンセス!!』の最も大きな魅力なのだと思う。


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ポール付きアクリルスタンド(『劇場版 ポールプリンセス!!』公式サイトより)

アクリルスタンドにもポールの意匠があるのが嬉しいよね。マドラーは「そんなアイテムあり!?」ってちょっと笑っちゃうけど。

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おわりに

今回は『ポールプリンセス』における《握る》ということと《浮遊》ということについて注目して記事を書いた。これらは《握る》ことが選手目線でのポールダンスの過酷さを、《浮遊》が観客目線でのポールダンスの優雅さをそれぞれ表現しているんじゃないか、とぼくは考えた。

ぼくはポールダンスについて全く何も知識を持たなくて、Web版でミオが語ってたように、それこそ洋画のセクシーなダンスなんてよくあるイメージしかなかった。でも、今回アニメを見て、《握る》《浮遊》の2つの側面を感じることで、ポールダンスについて内からも外からも面白さを感じることができた。これって一つの真新しい題材を描く作品としては、とても成功しているんじゃないかなと思った。

多分ぼく含めて多くの人って、このアニメに触れるまであんまりポールダンスのことを知らなかったんじゃないかと思う。そして、そういう人たちはこのアニメを見て「ポールダンスって凄いのかも!」って思ったんじゃないかな。まさにぼくがそうだったからね。